illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

家庭菜園をやりたい。ベランダを片付けた。プランターをきれいにした。割れはない。スコップも如雨露(じょうろ)もある。鉢底石も、ネットもある。初心者――初心者だ。ものごころの付く前の3歳ころから、中央集権に知力体力時の運を吸い取られる端緒となる6歳、7歳、8歳まで、ばあさんの後を追っておよそのことを見てきた。こうだというのは定かに判らないが、こうでないというのは知識以前の先見の何かしらが反応する。

これは確定だ。育てやすいらしい。あともう一種。ピーマン、ピーマンとここ数日、頭の中で転がしておいて、うーん。

  • 菜の花

ほんとは、菜の花がやりたい。でも菜の花が難しい(手間暇がかかる)のは、先見の何かが反応する。覚えているとはいわないが、虫害(アブラムシ)、間引き、収穫のタイミング(短期決戦のようなことをばあさんは話していた)などがあるらしい。

(おれには)難しかろう。でもうまい(旨い)んだよね。菜の花のおひたし。花もきれい。原風景という感じがする。まあ、やれるだろう。実家に戻れば、ばあさんの農業日誌があるのは知っている。そこにどこまで書いてあるかは判らない。もっとよく話を聞いておくんだった。

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そのばあさんの50-60年の苦労の末に(おれとばあさんはちょうど半世紀50年違う)得た結論は「孫にできるだけの教育をつける」「偉くする」だった。地元の農業短大に行って栃木県庁に入るのが正解だったように思う。本郷でお茶を濁してから本当はそうしたかった。その相談をようやくしようと思った矢先にばあさんはアルツハイマーで弱っていた。日本の近代化は総体として誤りである。五輪は即刻中止。くーちゃん。