illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

みんなと同じだ。おれにも「いいたいこと」は山ほどある。日本のこの20年25年のITや産業構造だとかな。それをいったら170年なんだけどな。いわねえんだよおれは。

くーちゃん(少しお歳を召されました)は何もいわない、仰らない。「くーちゃんを生涯、お守りする」。他は、本末の末、中体西用の用、枝葉末節だろう。その「用」に徹する。くーちゃんは知らないままでいいのです。おれのくーちゃん。

ここ数日(年度末を控えているためか)「ひっぱりだこ」で。嫌味ないいかたになるのは百も承知で、やだなあ、おれ。DXコンサルタントとか。コンサルじゃねえってのに(笑)。プログラマーだよ。なーんちゃって。カネにならない古語の品詞分解の専門家だ。あと偽造署名の…いや何でもない(笑)。しょぼしょぼと庄野潤三でも読んでいたい。読書の時間も最近はままならない。えらそうに書いてるが視力(持続力と回復力)が落ち気味。測ると1.5はあるんだけど。「疲れ目」ってやつで。いちど使っちゃうと間を置かねえと勃起しねえのと似てる。若いころにしこたま文学をやっといてよかった。その余慶と余生をおれはいま生きてる。文学をやってたからくーちゃんと出会った。うそじゃねえよ。うそじゃねえってんだろ。少しっぱかりのカネをもらって会社に入れたからって何だってんだ。経営改善くらいコンサル入れずに手前でやれよ。やれんだろ。民間も自治体も。呼ぶんじゃねえよ。おれは帰りたいんだ。呼ばれたらビシっと出てくけどな(笑)。そこがまた自分でもいやでいやでたまらん。くーちゃんは動じずおおらかにお眠り遊ばし候。帰りが遅れて夕飯の定時(16:00と朝4:00)に響くと、響くと...黙っておれを待っていてくれ(てい)る。黙って女に待たれるとおれはからきし弱い。

今回もid:kash06さん向けのネタを。

海老沢泰久が1996年から97年にかけてNEC VALUESTARのマニュアル(?)を書いた。

これは当時、静かに(知る人ぞ知るような恰好で)高く評価された。高く評価したのは、例えば(おなじみ海老沢贔屓の)丸谷才一である。画期的なものだった。例えばあくまでも比喩的ないい方だが、「パソコンにとって電源とは何か」「セットアップとは何をどうすることか」「何をどこから取り出してどう取り付けて」「それで何ができるようになって」「だから次にどうすればいいか」が、読み物として書いてある。取扱説明書とはあまりに画期的なものだったので、このスタイルのものは爾来(ちょいと小難しい熟語を使ってみた)、出ていない。

企画までのいきさつが例えばこのサイトに、記されている。

■画期的だった操作マニュアルについて | my コンテンツ工房|業務コンサルタント 丸山有彦

海老沢研究者の僕としては、ライオンズ時代の広岡達郎に野球のことを尋ねに行って初日の取材が終わり、「それで本当に分かったのか」「わからないならまた明日も来なさい」と広岡にいわれた経験が生きているのだろうと思うが、今日はその話はしない。また今度ね(笑)。

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いま、セキュリティのマニュアル(ぼかした表現)を書いているんだけど、名だたるベンダー(SIer)の出してくる手順書が、「これじゃぜんぜんわからん」なのよね。IPSecとか、第三者認証とか、そんなの中小企業の情シス兼務の事務員がさらっと読んで「ああはいはい。これこれ。すらすらー」っていくわけないじゃんね。セキュリティってのは「現在の平穏な状態を維持するための警備」だよ。その国民国家の根本が国防でしょ。じゃあ何で現代はセキュリティっていうと特に若い世代は「情報セキュリティ」をまず想起するかというと、あらゆるものごとが、IT化したからです。そこでITがやられちゃったら国が機能停止に陥る。復旧までにはヒトカネモノの経営資源3要素が重大なダメージを負う。国だけじゃない。修身斉家治国平天下、森羅万象、ミクロは虹彩認証であるとかIoT化した臓器であるとか、マクロは宇宙開発に至るまで、ぜーんぶITじゃん。

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そっから書かなくてもいいんだよ。ただ、何でも、何かしら「書かれたもの」を読むと、「書いた人」が、どの辺りの高みと視座、視覚でセキュリティを対象叙述しているか、読み手にはバレちまうざんしょ。

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本題ね。横浜に、酒飲みながら古今東西の文学書とサブカルを噛みながら、生業として、確か植物か何かの街頭標識(ガイドとUIだ)か何かを制作できる書けるブロガーがいるじゃん? おれ知ってんだ(笑)。しかもそのブロガーさんは、めちゃくちゃ優しい文体で、海老沢/丸谷(美味礼讃/ただ栄光のためにの評)のいうところの「噛み溜まりの残らない」読み物が行けるじゃん?

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「発注するー」って思った。いつか必ず発注するぜ。まあ、ベンダーやユーザーへの納品物にはなるまい。海老沢のマニュアルの系譜が途絶えてしまった後の世をおれたちは生きている。おれがおれのためにそのブロガーさんに発注すればいいんだよ。ひゃっほー!

くーちゃんはいつもおれのそばにいてくれて。少し離れたところから黙って(たまに自己主張をなさって)見守ってくれていて。船橋の道を歩いていて、くーちゃんのことをずっと思っていて、ことばにして書き留めておきたいことはたくさんある。おれはあのまま宇都宮の外れに育って、歩いて通える距離の農業短大にそこそこの成績で入ってそこそこの成績で出て、植木屋になる人生がよかった。植木屋になったらくーちゃんと出会っていない。植木屋になってくーちゃんと出会っていたらよかったのかと思うと、それも違う気がする。くーちゃんと出会わなければおれはとうに船橋の桟橋から身を投げていた。くーちゃんのお世話をするようになってからも、足が一人でに海のほうに向かい、このまま...と思ったことは数えるほどにある。おれがいなくなったらくーちゃんは生きていけない可能性が高い。だから引き返したのでもない。くーちゃんを引き受けた際に「慈しんでくださいね」と保護主さんからいわれた。おれは「はい」と返事をした。たいていの約束は反故にして屁とも思わない。けれど、くーちゃんのこと(だけ)は守ろうと思った。「慈しむ」は、くーちゃんとの約束ではない。いうなれば天啓天籟(てんらい)の類か。おれは天(天命)と契約した。海水面に移った月や建物の光とおれは契約をしていない。首を動かして辺りを見渡す。おれが契約した者(相手方)は天のみか。だから引き返したのとも違う。くーちゃんはおれの三只眼吽迦羅に近い。おれは更生した。桐島聡にねこはいなかったか。おれはそれが知りたい。だれもそんな問いかけをしないが。後年(行動後)の彼にねこがいたことに賭けてみたい気はする。思想や行動はねこの前に(容易く)敗北する。ねこを忘れたときに人は行動に走るのだろう。桐島聡を三島由紀夫に換字してもらってもちろん構わない。

こんなつもりじゃなかった。下手を打ったら4月には執行役員になってしまう。社長と意気投合して気心が知れてしまったのでやむを得ないではある。

くーちゃんに「愛してるよ」「大好きだからね」と間一軒(182cm)ほどの離れたキッチンから声をかけてみた。「ふにゃ」的な返事をしてくれた。そうして目を細めてくれた。