illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

諸事情により短期で宮崎に行く話があり、間(あいだ)のねこちゃんのお世話を、馴染みのペット・シッティング・サービスの方にお願いしようと思った、その打合せを、サービスの方を家にお越しいただく形で行ったのだが、くーちゃん氏(仮名)が一目散に退避し、瞳孔を開き――しばしの後に、おれの隣りに戻って、寝息を立てる――その、時間を要した。くーちゃん氏(仮名)は、いま、おれの隣りで、いつもと変わらない姿勢で、(おそらく安心して)寝息を立てている。おれは、くーちゃん氏(仮名)の気持ちを、7年も共に暮らしているのに、ずっとわからない、こうだと確信めいたいものを持てないでいた。おれのくーちゃん。

おれのくーちゃん

くーちゃんのおめめさんから目やにさんが出ていて、どうしたんだろうと思っていたんだけど、原因が掴みきれなかった。いちばんおそれたのは内臓疾患、皮膚や鼻まわりのよくない病気――だったのだけれど、落ち着いたいまにして見れば、鼻筋を、同居するほかのねこちゃん(おそらく、みーちゃん)に引っかかれて――そういえば、ガーゼと湿したティッシュペーパーで目元を拭いてあげたときに、縦に鼻筋のところがすこし切れていたようで、傷口がふさがったいまにして思えば、なのだけれど、あれはひっかき傷、その影響が、目やにさんになっていた、と考えられます。

この前のこと(玄関先でパニックになってしまった)もあって、動物病院にはおいそれとは連れていけない。拭いて、様子を見て、くーちゃんの強さを信じて、自然治癒に任せて、祈るしかない。「つらい思いをさせちゃったね」という、切ない、申し訳ない、無力を思い知る気持ちだけが、残る。

それにしても、くーちゃんは戦わない。みーちゃんはねこにも人にも、手が出てしまうタイプ。何度か注意しているんだけどね。くーちゃんは「嫌」という素振りを見せて、ねこパンチを避けたり、身を離したり、遠ざかるように駆けていったりするんだけど、おっとりさんだから、当たってしまったのかな。7歳半。こねこのまま、分離不安的なところもあって、かわいい。

その、くーちゃんに困ったことがあったとき、身を挺してかばって、守ってくれるのが、はなちゃん。はなちゃんとくーちゃんの関係ははっきりしていて、毛づくろいをする(してあげる)のが、はなちゃんで、されるのが、くーちゃん。

「ほかほかのわな」に火が入って、秋かな。どうして、おれに、こんなにかわいいねこちゃんが、こんなにかわいく、かわいいまま、大きくなったのだろうと思います。

おれのくーちゃん。

黄金頭さんへ / ものわかりとは何か

黄金頭さんが「自分がもっとものわかりの人間だったら」という趣旨のことを呟いていらした。このことについて少々。

ものわかり=もの+わかり。「わかり」は古語「わ(分。別)く」に由来する自動詞。「わく」の有名な例としては紫式部(百人一首57)「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」。せっかく久しぶりにお会いしたのに、お会いしたのがあなたであったのかどうかわからないままに。文法的な話を続けるなら「わく」は自動詞で自ずからAとBが区別される、「ものわかり」の「わかり」も自動詞で、終止形は「わかる」(自動詞)。「わける」(他動詞=主体の能動的作用)ではない。

以上から、「ものわかり」とは、《複数のものA, B, C,...それぞれが自然と「分かつ」》作用が、認識者に働くこと。あるいは認識者においては、そのような(受け身の=自然体の)認識能力のこと。

 

現代は「こと」(理。ことはり)優勢の世の中です。個別具体的な違いに目をくれず、表皮だけをなぞって抽象の位相だけで論破だなんだやる。それが大衆受けする。おそらくそれは多少、頭の回りがよければ一定程度までは楽な生き方です。けれど、そう遠くない将来に内側から破綻する。そのことを象徴的に語ったのが例えば漱石夢十夜」の「自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」ではないでしょうか。明治の特に前半期はとにかく欧米に追いつけ追い越せで「理」を早飲み込みし、日本に当てはめようとする傾向が見られます。空回りの激走ですね。その矛盾が不可逆的な露呈を示したのが日清日露と産業革命の重なる明治30年代でした。個が内面を掘り下げる文学が、さまざまなバリエーションを伴って隆盛します。当世にも似た趣があるやに感じられます。坂の上に雲はなかった。このまま走ったら「ないのでは」という予感が文学者の内面を引き締める方向に作用したのだと僕は見ています。

 

話を戻して、もちろん、僕は黄金頭さんが「ものわかりがよくない」などとはつゆ思っていない。話は逆です。「こと」で押せる人が「ものわかりがよく」見える時代というだけです。ものはもの。ことはことです。「こと」は演繹ですね。一般原則を措定してAもBもCもDもあてはまる。はい論破。対して、「ものがわかる」というのは、帰納法に依りながら、依ると見せかけて、帰納法的証明に足を踏み入れない。あくまでも個別具体的な1つ1つの「もの」を見つめて、書き留める精神の働きです。それが連綿たる、紫式部竹取物語以来の、「物語り」作家の精神だと思います。

 

同時に、「もの」は極めようとすればするほど、「ものわかりのよさ」とは逆方向に、重し、自制となって働くのかもしれません。黄金頭さんは草花がお好きですね。本も酒も好きですね。自転車も。それらはすべて「もの」とそれを受け止めて刻もうとする(=journal)認識者/記録者たる黄金頭さんの力です。「こと」=空回りしたことのほうには、向かわない。世界の理を語ろうとするときにも、実に謙抑的に、「わからない」「わからない」と仰っしゃりながら、ご自身の体験(ものごと)を通してから、刻むでしょう。それにそもそも、ものは多い。ものの数だけありますから。当たり前ですが、ことよりも、もののほうが多い。ひとつひとつを誠実に刻もうとしたら、とても間に合いません。

 

かくいう僕も黄金頭さんの「こと」や黄金頭さんの書く「もの」が「わかる」などとは、とてもいえない。でもね、いうんですよ。世界はひとりではない。いうというのは、ことさらに書く、伝える、メッセージ性のことを指すのではありません。文字通り、船橋の町を歩いて、声に出してみる。「にゃーん」「世界はひとりではない」。その反響が、確かであれば、自分を裏切ることはありません。言霊は決まって当人に返ってきます。黄金頭さんの暮らしや行く先や文学的成否のことは、とてもわからない。そりゃわからないですよ。それでも、「にゃーん」「世界はひとりではない」と口にしてみる。そのときの瞬間の勇気が、いま、ここにあるべき、文芸評論のいち形態だと僕は思います。ご参考まで、ここに書いたようなことは、見田宗介現代日本の感覚と思想」が1985年頃に捉え、僕なども感化を受けた、その蒔かれた種の、30年以上後になってかろうじて芽を出した(僕にとっては実りある)帰結です。斯く、ものごとはなかなかわからない / わかるようにはならない、ものです。

 

公開後に付記します。親が子に「あなた/この子はものわかりがいいね」などといいます。あれはインチキ呪文です。子がそんなに「わかつ」ことができるほど「もの」に接しているわけがない。子に「こと」(説教)を吹き込んで、子が目の前の事象(もの寄りのこと)に適用するさまを見て、親や社会にとって都合のいい方向付けをする、おまじないです。お察しかと思いますが、僕は子供のころからいちいち「いや、おれわかってないけど」と内心で逆らって、大きくなりました。目の前に、漢学、キリスト教マルクス主義という3つの理(こと。ことはり)が闊歩しているような家庭だったからかもしれません。僕が好きなのは畑仕事をするばあさんの後をついて、ひとつひとつを手にとって教えてもらう野や畑の花でした。その大切な花々の名の記憶も、上から社会という名の泥をかぶせられ、いまでは定かではなく、某(それがし)終生の悔いとしています。

 

2022/9/26

船橋海神

おれと院内LAN

このところ「社史に残る」「史上最悪レベルの」と形容されるデスマーチからの部隊救出に向けて、3-4時間睡眠が続いています。案件は少しぼかして書きますが院内LANの移設と更改。都市近郊の準総合病院です。船橋から少し離れたところです。朝は5時起き終電で帰宅が25時のこともあります。もう死に物狂いです。技術屋と事務屋とインテリやくざの顔を使い分けて何とか損害賠償請求(確定でしょう)を減額にもっていかなくてはならない。瑕疵担保責任は必至。詳細設計で今回の更改の肝となった部分を「自宅で検証するから。検証中だから」の一点張りのらりくらりで3か月引っ張って、飛んだ前任PM。

「社史に残る」「史上最悪レベルの」とは聞いていた。だが院内LANと聞いて僕は手を挙げた。理由を記すことははばかられるが、僕は院内LANと聞いたらちょいと黙ってはいられないのである。

「やる。おれが行く。おれが何とかする」

 

僕が入って土俵際で持ちこたえる日々が2週間。もうだめだと思った。腹をくくり、進捗する箇所をとことんやって、どうしても進捗しない箇所を切り出して、その進捗しない箇所をクライアントが何といおうと、技術者としての誠実と正直で個別具体的な検証報告を続けた。2週間。今日、ようやくクライアントが、「実は数年前の担当者が導入した独自の謎仕様のライブラリがあって、ベンダーは開発から手を引き、ドキュメントが残っていない。〇〇さん(ぼく)には申し訳ないが第三者の目で検証を進めてもらうことにしようと上層と先に合意していて、さっき品証が○○さんの報告書を妥当と認めた。できるはずのないことを急かして申し訳ありませんでした。弊社にも病院様(ユーザー)がいますのでなにそつ」と、泣きそうな笑顔を見せてくれた。グータッチを交わしてくださった。

吉祥の予兆はあった。

今日の入場前、待合室の隅に腰を下ろして目を三角に釣り上げていたところを、何を思ったか、品のいいおばあさん(入院の方に見えた)がはす向かいに座って、「お願いがあるんだけど」。「何でしょう」「ペットボトルの蓋が硬くて開かないのを助けてほしい」。

確かに、硬い。開封が硬くて、少し回しておそらくねじ山がきつい。二度目の硬さが来た。こぼれないように水平にゆっくり開けて「こりゃ確かに硬い。無理ですよね」と笑ってお渡ししたら、世間話に花が咲いた。サーバ室入場定刻前のMTGに余裕をもって来ていたはずが、定刻ぎりぎり。

 

階段を駆け上がり、呼吸を整えたところで、ふと思った。

血液グループ先生はよよん君に「会いたい」といわれて会いに行った。2002年8月半ば。その約束時刻の少し前、滋賀県医大の入院病棟のずっと手前にある回廊で、耳鼻科を探すおばあさんに道案内を頼まれて――なぜ頼まれたかというと、白衣を着ていったから。なぜ白衣かというと、血液グループ先生は、よよん君の主治医のひとりだと(そんなことひとこともあのスレッドでは仰らなかったけれど)内心、思っていたから――おばあさんは血液グループ先生のことを大学病院の関係者と思い、耳も遠かったから、道を尋ねれば随伴してくれるのではないかと期待した。

白衣を着ているものの、知らない病院の作りに大いに迷わされた血液グループ先生は、よよん君との待ち合わせ時刻に間に合わなかった。

その、10分ほど前までは、体調がよくないながらも、よよん君の意識ははっきりしていた。話せる状態にあった。血液グループ先生の訪れをいまかと待ち望んでいたとお母様から伺った。その、わずか10分が状況をわけた。この8月の半ばの日を(結果的に)最後のチャンスにして、よよん君の意識の戻ることはなかった。白血病の治療で2度の骨髄移植を受け、いろいろと難しいコンディションにあった。

 

話が長くなった。

僕はかつてこのことを物語風に記したことがある。取材に応じてくれた血液グループ先生も、残念そうにこの話を聞かせてくれた。実際、残念だったのだろうと思う。僕も二人が会えないことを残念に思った。

 

僕がここにたどたどしくも記しておこうと思ったのは、けれど、そのことではない。僕は間違っていた。血液グループ先生は、おばあさんの患者さんを耳鼻科に案内し、一緒になって道に迷っている間(大学病院は迷路のようだから)、楽しんでいたのではなかったかといまにして思う。血液グループ先生は、その時点で、よよん君とこれが「一期一会」になるとは思っていなかった。その時点で、未来は見えていない。遠い予感に留まっている。留めるための技法をだれもが求めていた。

その一策としても、だからむしろ、いましがた、道に迷ったことを、よよん君に会ったら開口一番で話そうと思って、おばあさんを送り届けた後、入院病棟に向かう廊下を、血液グループ先生はうれしそうに急いでいた可能性が考えられる。そんな、悲しみに封印される前に広がっていたかもしれない光景が、ようやく僕にも見えた気がする。ふたりはボコノンの教えに従って足裏を合わせて心を通わせた。

誰かのために必死になって戦うのは、わるくない。

おれの黄金頭さん

安定感も増して、楽屋話とのセットで「過不足なし」を味わえる、結果的な仕掛けにもなっています。「まろやか」さを加えた。ほんとにうまい。すごいうまい。

『ラーメンと愛国』を読み、ラーメンについて語る。 | Books&Apps

黄金頭さんに会えるラーメン店三選 - 関内関外日記

ここで筆の向く先が、収まるとは僕も思っていないですが、ここで安定しないでください。ちょっと危機を感じた。おれも渾身のやつ(高須克弥逮捕)を書きますので。また酒かおつまみか送ります。ほんと、才能を大事にしてね💕