illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

くーちゃんが夜半や明け方に(昼間は寝ている)、僕の近くまで「にゃーん😺」と声をかけに来る。「おなかすいたにゃー😺」だとずっと思っていたのだが、違う。くーちゃんは、カリカリを入れ替えても、よほどおなかを空かせているとき以外は、すぐには口をつけない。

そしてぐるっと部屋をひとめぐりして、もとの場所に戻っていく。

それならなぜ、「にゃーん😺」と来てくれるのか。このときに、「それなら来なければいいのに。何がしたいのだろう」と、思うような躾をされないでよかった(親にではなく、下僕として、つまりくーちゃんに、という意味で)。

くーちゃんには、僕はそんなことは思わない。「何かある」と思い、時に身を任せる。

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くーちゃんは、ねこパトロールの一環として、カリカリの減少を下僕に伝えてくれる。世界の秩序がどこかおかしいのである。それを、察知して鳴くのだ。くーちゃんが、世界がどこかおかしいといったら、おかしいのである。

このことは、お水にも、トイレにも、部屋のお掃除にも、くーちゃんが好んで位置取りをするダンボールについてもいえる。下に2部屋ある中央、中ほどでありながらアイリスオーヤマのパイプ棚に背を寄せられる辺り、部屋全体と、下僕を見渡せる場所を、くーちゃんは好む。

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くーちゃんは、絶えず僕を見守って、目配せをし、適度な距離を確かめ、寝息を立てる。下僕はこうして、自然に躾けられる。

従って、ごくたまに、くーちゃんのダッシュと下僕の足が鉢合わせをして、当たってしまい、これまでの累積回数を数え(5)、「しぬしかない」とツイートするのは、ボディガードたるべき下僕の怠慢、不注意、不履行によって、内側から世界秩序が危機に瀕するためである。

そんなときは身をかわされたとしても、びっくりして黒目がちになったくーちゃんを抱き寄せて、「痛いの痛いの飛んでいけ」を総動員するほかにない。

優しくて、しばらくすると許してくれるくーちゃんに、ものすごく反省している。もっといえば、くーちゃんは、僕が神と崇め愛するので、神を任じるようになった可能性がある。

くーちゃんには、ほかの(下僕を採用する)可能性があったはずだ。そこに、無理をいって割り込んだのは僕である。

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おれのくーちゃん。