illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

宇都宮の(90年代)飲み屋街の話

旧市街の中ほどを、釜川という、昭和57年の氾濫ののち数年かけて、ようやく治水が一段落した暴れ川がございまして、その川沿いに、ちょうどこの、宇都宮市街をやや北西は二荒山(ふたらさん)のほうから南東の新地、中河原、もういっぽんの宮のシンボルであります田川(たがわ)を越えて、東の新々地、簗瀬(やなせ)に向かって歩いていきますと、宇都宮の赤線と青線をこう、ひとめぐりできる仕掛けになっているわけでございます。

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私はこの、釜川が大好きなのであります。生まれ育ちは鬼怒川に縁がある。第一の産湯を使ったのが鬼怒川。第二の産湯は釜川です。鬼怒川というのは奥日光に端を発し、宇都宮の東を南北に走って茨城と千葉のあたりで坂東太郎、利根川に注ぐ、いわば宇都宮の川のシンボル(田川は旧市街の、鬼怒川は広域の)なのですが、私は宇都宮の文化は釜川が育てたと強く信じております。

少し前に別の話題でそのことに触れました。

dk4130523.hatenablog.com

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写真は7年前、2013年4月9日の釜川であります。黒い縁取りになっているのはInstagramに媚びた私の失態。大した川じゃないんですよ。川幅はほんの数間(けん)、護岸も流れも低く、これは治水工事でだいぶよくなった。そこに、昔からの方が桜を植えた。咲いた。震災のあと、ひとめ見ておきたくて。

少し、上流に歩くと、こんな風情になっています。

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倉敷的な(到底、及ぶべくもありませんが)美観地区です。

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1996年97年、院に入って、研究がうまくいかないんですね。で、アイデンティティというやつの、根本的な問い直し、洗い直しを迫られた。前にも書いたかもしれませんが、週に2度ほど、ばあさんの見舞いで本郷の4限を終えたあと新幹線に乗って、宇都宮に向かった、病院は田川沿いにあります。

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少し前には、じいさんとよく歩いて見舞った、そのじいさんも亡くして、ひとりで川沿いをとぼとぼと。駅の花屋で花を買ってね。

見舞った後はバスに乗って家に帰ればいいんだけれど、19:30、下手すりゃ20:00を回っている。家には互いに気に食わない父親がいる。

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まず川蝉に電話をかける。

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翡翠、じゃない川蝉、てのは、宇都宮の古くからある鰻屋で、ばあさんの病院から駅方面、少ぅし北に足を戻したところにある。ここで、うなぎを食う、食わせる、が、おれらのステータスです。医者や議員の倅しかこないようなところ。落ち着いた雰囲気と、白焼きの味を覚えちまったのよ(お前ら行くなよ。絶対に行くなよ。お前らは客単価にうるさいスパゲティ屋だとか、ウェブで見つけた餃子屋に行ってりゃいい)。

電話かけると「あら、xxさんの坊っちゃん、最近ご無沙汰で」なんて女将が席(まあ、たいていは2階の座敷)を空けてくれる。

腹ごしらえして、22:00前か。

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泉町に、藤咲って女将がいてね。電話をすると、カウンターの隅に席をひとつとっておいてくれる。やってないよ。やってない。当時21くらいで、おれはむしろその母親に色目を使われたほうだ。やってないって。21たって、16からその道に入っているから、客あしらいなんて、おれの敵う幕はない。その、カウンターの隅で、当時はまだ飲めた、ビールと黒霧島で、ちびちびやりながら、論文を書く。やっぱり、いまと同じ岩波古語辞典をショルダーバッグに収めてさ、山際淳司も、もちろん。

うまくいかない、26時を過ぎる。そのまま店に寝かせてくれたり、相乗りして送られた、女将の家の離れに寝せてくれて、ばあさんの朝食付きで送り出してくれたり。

その世界のおねえちゃんたちが、家の最寄りとはふたつみっつ離れた駅をあえて選んで店をもったり、アルバイトで働きに来たりすることを、おれは遅まきながら知った。当たり前、最低限の処世術なんだが、23、24にもなって、それすらも知らないわけ。

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金曜夜に行くと、翌朝は土曜だ(あたりめえじゃねえか)。

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泉町から駅に引き返す、その途中に、こんなシャレオツなカフェとか。

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こんな、女坂に寄り道をする。

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夕べ、地元の市外局番からブルブル電話があった。おそるおそる出て誰何したところ、藤咲の女将からだった。てっきり、結婚して収まったかと思ったら、いまでも店に立つらしい。しばし旧交を温めたのち(やっていない)、

そういえば、xxさん、作家になりたいっていってたわよね。あの夢どうしたかしら。 

おれは思わず絶句して、

その節はたいへんお世話になり申した。

かつかつ、そう声を絞ったら、

あらいやだ。時間があったら来てよね。こっちでもコロナウィルスにやられちゃって。お店、大変なのよ。安倍さんはあたしたちにはお金くれる気ないしさ、まったくもう。

これにおれは、ああとか、うんとか、相槌にならない相槌を打ち(ほんとうは、訊きたいことが山ほどあった)、

よくまあ、おれの電話番号を。

と、うろたえた、精一杯、残存する理性で応答したところ、

あはは。プロですから。元気な声を聞けてよかった。じゃあね。待ってるからね。

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以上、書き記し(残し)ておきたいと思った次第。