illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

国語(現代文)入試問題例

次の文章は、平成後期から令和年間を代表する、ある日本の作家が記した物語の一節である。文章を読んで(問1)から(問9)に答えよ。なお、出題上、原文の漢字表記をかたかなや記号に置き換えたところがある。【制限時間60分】

あまり人に話したことはないけれど、ぼくは(B)小さな島の生まれだ。高校に上がるまで、そこで暮らしてきた。(D)今日は少し、思い出話をしてみようと思う

 

正直いって、(1)ガラのいい島ではなかった。街の半分が釣り人用の民宿で、あとは(ア)売春宿を中心とした小さな歓楽街で占められていた。ぼくが育ったのは、歓楽街の中でもさらに小さな(2)カイワイ、わいせつ魚拓屋の(2)カイワイに生まれ、育った。

 

あなたは、わいせつ魚拓というものを知っているだろうか。まったく文字通りのもので、女性の秘所に墨を塗りつけ、半紙に写しとるのだ。あるいは(C)最近のわいせつ物の企画などで見ることがあるかもしれない。けれど、ぼくの島のわいせつ魚拓には歴史があった。少なくとも村の古老たちはそう言う。島が今のような形になるずっと前、ふざけた釣り人たちが女を買ってふざけて魚拓をとるずっと前からあったのだと。

 

その証拠か、村の作った観光案内にも(3)ノっていないけれど、わいせつ魚拓の神事というものがあった。(イ)〇〇〇〇言って、それが村人たちにとっての一番の行事だった。わいせつ魚拓職人たちが、その祭りのために刷った一番自慢のわいせつ魚拓を主さまに差し出す。主さまは村の古老でも一番の(4)ケンシキを持った人間が代々受け継ぐ、ちょっと尊敬される存在だった。

 

そして、ずらりとならんだわいせつ魚拓の前を、釣り竿を持った主さまが行ったり来たりする。わいせつ魚拓職人たちは「やあこい! さあこい!」、「わぁがこんしょ!」と威勢のいい声を出す。(ウ)△△△△もったいぶった末に、一枚のわいせつ魚拓が選ばれる。それがその年の一番魚拓だ。

 

その後、(エ)◇◇◇◇選ばれた魚拓は焼かれることになる。しかも、海の上、一艘の小舟とともにだ。小舟に建てられた棒のてっぺんに一番のわいせつ魚拓が(5)カカげられる。小舟には島の女たちが(6)ツンできた花々や、ぼくたち子供が集めたきれいな貝殻で飾られる。おまんという流れ者の女たちが、故郷の特産物だという小豆を供えたりもする。

 

やがて夕刻、日の沈む方向に、火の放たれたわいせつ魚拓の小舟が出航する。潮の流れで自然と沖に向かって進んでいく。それを見ながら、男たちも女たちも「ホトホト、(A)ホダラク、ホーイホイ」と唱える。皆で唱える。唱え続ける。小舟も夕日も西の海も真っ赤に染まる。詠唱は小舟が(オ)☆☆☆☆沈んでしまうまで続く。

 

ぼくは(カ)★★★★、あの不思議な詠唱を思い出す。今では売春宿も姿を消し、島はわずかな釣り人相手にほそぼそと生計を立てているという。わいせつ魚拓職人もたぶん(7)アトツぎがおらず居なくなってしまったに違いない。実を言えば、ぼくもわいせつ魚拓職人の息子だった。男だったら一度は一番魚拓に選ばれたかったと、そんなことを思わないでもない。

  • 黄金頭「わいせつ石こうの村」第3話「わいせつ魚拓の村」

*

(問1)文中に太字で示した(1)から(7)のカタカナを漢字に直せ。送り仮名の有無や誤りは問わない。[2点×7=14点]

  • (1)ガラ
  • (2)カイワイ
  • (3)ノって
  • (4)ケンシキ
  • (5)カカげ
  • (6)ツんで
  • (7)アトツぎ

 

(問2)(ア)売春宿で釣り人が行うことは何か。文末を動詞言い切り、漢字かな交じりの形で、文章中の表現を極力そのまま使い4文字(句読点含まず)で答えよ。[5点]

 

(問3)下線部(イ)から(カ)には各々、別のひらがなの副詞が入る(〇△◇☆★は各1文字)。それぞれ答えよ。[4点×5=20点]

 

(問4)(A)ホダラクは、「観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山」を意味する仏教語がこの島で受け継がれた訛(なま)りと考えられる。漢字三文字に直せ。漢字で書けなければ、訛りを共通語の発音に直したひらがな表記に部分点を与える。ただし「ほだらく」には点数を与えないので注意すること。[漢字の正答に6点、ひらがなの正答に3点]

 

(問5)(B)小さな島とあるが、この島はどこと思うか。島の名前と理由を述べよ。理由の字数は問わない。なお「渡鹿野島」は点数が低くなるので注意すること。[島の名前3点。理由7点。計10点]

 

(問6)(C)最近のわいせつ物の企画とあるが、自分(受験生自身)が知っている、このような企画の名称と開催年を答えよ。正式名称でなくて構わない。また、西暦でも和暦でも構わない。ただし開催年のみの解答には点数を与えないので注意すること。[企画の名称5点。開催年5点。計10点]

 

(問7)語り手「ぼく」の年齢は概ね何歳と思われるか。年齢と理由を述べよ。理由の字数は問わない。ただし年齢のみの解答には点数を与えないので注意すること。[年齢3点。理由7点。計10点]

 

(問8)語り手「ぼく」はなぜ、「(D)今日は少し、思い出話をしてみようと思う」という気持ちになったと思うか。できるだけ丁寧に、意を尽くす努力をして述べよ。字数は問わない。[10点]

 

(問9)今回、引用した一節が、全体として寓意するところは何と思うか。できるだけ丁寧に、意を尽くす努力をして述べよ。いわゆる作者の創作意図、読み手の感じ方、どちらでも構わない。字数は問わない。[15点]

 

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【大問計100点】

解答例と出題意図は1週間後を目途にオンライン公開する。

*

【Inspired by】

国語の読解問題、作者自身が解いたら満点取れるのか!? :: デイリーポータルZ

おれのくーちゃん

おれのくーちゃんとおれとは、何というか相性がいいのだなと思うことがこのところたびたびある。

もちろんはなちゃんとの相性もいいみーちゃんともいい

しかし、何というか、それとはちょっと違う感じだ。くーちゃんは(くーちゃんがおれのことをどう思っているかはわからない)居心地がいいのでである。

*

くーちゃんは絶妙の距離を保つ。だいたいにおいておれを少し離れた場所から見ている。ほとんどうるさいことはいわない。少し鳴くのはおれが出かけるのを察知したとき、お腹が空いたとき、くーこちゃんの椅子におれが必要以上に長居をしてキーボードをかちゃかちゃいわせているとき、それから、2年ほど前に、出張で1日半ほど家を空けたときである。

出張で空けたときは何というか、女の目でおれをロフトから見下げて、少しの不在(それは彼女、くーちゃんには十分な説明なしの放置と映ったろう)に、怒った風に鳴いた(ペットシッターさんを手厚く頼んでいたのに、である)。

*

すねるくーちゃんと目を合わせたとき、不思議なことが起きた。何ともいえない愛おしさがこみ上げてきたのである。自分でも何をしゃべっているのかわからない。

くーちゃんはなかなか降りて来(き。古典的な栃木足利弁は「こ」ではなく「き」に活用する)ようとはしなかった。下僕にしっかり何かをいっておかなくてはと思っているように見えた。「そうはいっても」と何かを申し述べようとしていた父親の遠い姿が脳裏を過ぎった。それと同じことはすまいとおれは少しだけ足に力を込めた。

おれはロフトに上り、くーちゃんをぎゅっと抱いた。ごまかしも数パーセント入っていたかも知れない。そうしてひたすらに謝った。

くーちゃんの機嫌はしばらくの間、直らなかった。古語で「直す」とは、一時的に曲がったものをもとのまっすぐに戻して、その状態を持続させる行いや働きをいう。くーちゃんが直るまでおれは気が気でなく、やはり出張は、引いては日本の近代化は誤りだったと確信を新たにし、二度とすまいと固く誓った。

*

そう、仲直りというが、おれはくーちゃんと仲違いをしたことがない。そもそも、ぶつかったりしない。くーちゃんは常に正しい。誤りや過ちがあるとすればおれのほうである。だからおれはくーちゃんに「ごめんねくーくーちゃん🐱💕」と謝ってばかりいる。

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諸君、おれのしゃべりに飽きただろう。くーちゃんは例えばこんなふうにおれを見遣ってくれる。ばあさんがおれにとってくれた距離に近い。

おれは小さいころから、黙って見守られるのにからきし弱い。反対に、やいのやいのいわれたら決していうことを聞かない。

いわさきちひろのこと

おれの嫌いな四字熟語の筆頭近くに松本善明というのがある。

松本善明 - Wikipedia

1946年(27歳)1月、宮沢賢治ヒューマニズム思想に強い共感を抱いていたちひろは、日本共産党の演説に深く感銘し、勉強会に参加したのち入党した。5月には党宣伝部の芸術学校(後の日本美術会付属日本民主主義美術研究所、通称「民美」)で学ぶため、両親に相談することなく上京した。(略)

 

画家としての多忙な日々を送っていたちひろだったが、1949年(30歳)の夏、党支部会議で演説する青年松本善明と出会う。2人は党員として顔を合わせるうちに好意を抱くようになり、ある時ちひろが言った何気ない言葉から、結婚する決心をした。翌1950年1月21日、レーニンの命日を選び、2人きりのつましい結婚式を挙げた。ちひろは31歳、善明は23歳であった。結婚にあたって2人が交わした誓約書が残っている。そこには、日本共産党員としての熱い情熱と、お互いの立場、特に画家として生きようとするちひろの立場を尊重しようとする姿勢とが記されている。

 

1950年、善明はちひろと相談の上で弁護士を目指し、ちひろは絵を描いて生活を支えた。

 いわさきちひろ - Wikipedia

いわさきちひろWikipediaから引いた。おれの嫌いな四字熟語のもうひとつ宮沢賢治が、絶妙の役回りで出てきている。

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おれの亡くなったおふくろがいわさきちひろを好んでいた。おれの生家にはおれの幼いころからちひろの絵が飾られてあった。あちこちにあった。

おれが後に好きになって家に連れてきたガール・フレンド(と呼ぶべきありがたい存在)は、おふくろにいわせると「みんな、どこかいわさきちひろの絵に面影が似ている。怖いものね。責任を感じちゃう」とのことだった。そうはいいつつ、悪びれもせず笑っていたのを思い出す。

*

おふくろと親父は結婚にあたって、「ちひろと松本」流の、婚姻届とは別の誓約書を交わした。当人たちが語っていた。いまも実家の鏡台の奥底に仕舞われてあるだろう。遺品を整理したとき、古い手紙の束を見つけ、そこだけは手を付けるのが憚られ、当たり前の話だが、そのまま、引き戸を押して戻した。以来、開く者のあるはずもない。

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おふくろは共産党員の親父に、まるで松本善明ちひろをそうしたように、ペテンにかけられて、親父を婿に入れたというのがわが生家の公式史観である。じいさんも、ばあさんも、そういっていた。親父も、ためらいながら、そのことを認めないではなかった。おふくろは笑って何もいわなかった。

*

2000年の4月におふくろが世を離れて21年になる。案外、公式史観が誤っていたのかもしれない。最近、何かの拍子にふと、そんなことを思う。思う歳に、おれもなったというべきか。

*

おふくろは生前おれを「そんなに生き急がないで」とたしなめつつ、理解が追いつかないと「まったく、もたもたして」と笑うこともあった。震災を、コロナを、見せずに済んだことが救いだったとは、いえるかもしれない。来月、墓参りに。

新装版 いわさきちひろ画集

新装版 いわさきちひろ画集

 

 

おれのくーちゃん

前回まで

おれのくーちゃん(長い) - illegal function call in 1980s

今回

ねこちゃんを大切に思いますね。

大切に思うと、ねこちゃんが朝起きても、ごはんを食べても、ごちそうさまをいいに来てくれても、おしっこをしても、うんちをしても、天日に干して取り込んだばかりのお布団を専有する姿を見ても、お昼寝の後にただこちらに歩み寄って来てくれてただけでも、ありがたく思い、「ありがとうね」と声をかけ、その、声をかける頻度が暮らしの中で増していきます。

一挙手一投足、ひとつひとつが、愛おしくなる。愛おしくて、たまらなくなる。

生をむやみに分割、分断して何かを分析し得たように思うのは、罰の当たる行為です。

それとは反対に、弛むことなく進み、積分されていく生を、大切に微分する。微分して、ふうっと息をかけ、毛づくろいをし、そのままそっと面積図に戻す。

その際、断面断面に、「かわいいさん」の姿形と彩りが、やわらかいまま、いい匂いとともに、立ち現れてくる。失いたくないと思う。下僕の生まれてきたことは、あるいは間違いではなかった。

ずっと間違いであると思いなしてきたけれど。

くーちゃんと出会い、くーちゃんの生を全うすることに、おれの前世あるいは前世以前からの長い罪と贖罪の道のりは、今生では、そのようなものとして在る。

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くーちゃん、少し歳を重ねたなあと思いました(かわいい)。重ねた生が、くーちゃんを内側から照らす光であってくれたなら。そのようなものとして、夢を、見ていてくれたら。――「慈しみあれ。ベツレヘムの星よ」

おやすみ、おれのくーちゃん。😺💕

沈丁花・梅・芝桜(?)・狐・池(575)

僕の好きな4字熟語に筑紫歌壇というのがあります。

西暦725年ごろに大伴旅人山上憶良、小野老(おののおゆ。いい名前です)、大伴坂上郎女たちが、太宰府で酒を飲んで歌った会があります。これを後世、筑紫歌壇と呼びならわしました。万葉に数十種、撰されています。

www.city.dazaifu.lg.jp

大伴旅人は左遷ですね。家持の父上。左遷であり、外交手腕を試された、還暦60歳過ぎと伝えられますから、うまくいっても中央への復帰はなかった。片道切符です。結果的には京に帰り来るを得るんですけどね。ちなみに家持の弟に書持さんてのがいるんですが(イエモチではなくヤカモチ。カキモチではなくフミモチです)、うまいですよ。解説はしません。

https://manyoshu-japan.com/18545/

弟君、って感じがします。

大伴旅人 - Wikipedia

さて、再び父上の旅人ですが、酒を愛し、愛されて、酒になりたいと願い、戯れ、歌った。梅を好んだ。

https://tankanokoto.com/2019/04/tabito-sake.html

解説しません。1首だけしますか。

なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ

  • なかなか=なまじっか、中途半端に、A(用例としては、not Aをとるいいならわしです)するくらいならかえってBのほうが。中途半端にAではいたくない。それよりはBで。
  • 酒壺になる=リンク先にもある「窯場のそばに埋めてくれ。陶土陶片になっていつでも酒に接していられるから」、あるいは壺中の天
  • しかも=し・か・も。強意・疑問・あいまいな気持ち。なりたい感じかな(、なぜかというと〜)
  • 染みなむ=連用形+なむ、で強意・意志。「いっそ、そうなってしまおう」。

訳します。

中途半端に人でいるくらいなら、いっそ酒壺になって、酒に馴染んでしまおうかね。

別に1300年前の人とその歌だからって難しく捉えることはないです。

「おれと酒」、そのひとつ前の記事が「おれと梅」。

感受性もまた、型(かたち)です。それは黄金頭さんの価値をいささかも損なうものではなく、彼の感受性は古典(classicalという意味での)的ということです。「なかなかに」の歌なんて、「ぽい」でしょ?

そんなわけで今日は僕もあやかって、梅を見てきました。

沈丁花

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芝桜(?)

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以上、沈丁花・梅・芝桜(?)・狐・池(575)。

平成の終わりから令和年間にかけて、南関東でインターネットを介した仮想的な「南関東文壇」が形成された。代表的な文人、物語作家、随筆家に黄金頭(読み方不詳)。彼の少し年上ながら、才能を理解し、尊敬し、酒を贈った(記録が残る)自称文芸評論家に船橋海神がいる。

民明書房「21世紀文学史大全」

*

あ、読書と猿で(何でやねん)思い出した。万葉に猿は1首だけ。大伴旅人です。

あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む

訳すね。

ああ見苦しい。利口ぶって酒を飲まない人がいる。よく見たら確かに猿に似ている。

これじゃあまるで、いや(自粛)……あーあ、台なし……\(^o^)/

黄金頭さん、いつも明言して恥じないところではあるけれど、ありがとうね。僕以外の読者のみなさんにも、同じ気持ちのところは――もちろん――あるよ。

この政治の季節にあって、黄金頭さんの深夜便は、安保闘争時(1960)時に書かれた庄野潤三静物」の趣き。おれはこの先もきっと一生忘れない。ホワイトデーに酒を(別途)。

*

小休止。明日からまた、愛知(名古屋)の話に戻ります。

 

2021年3月3日
船橋海神🐾💕🐾💕🐾💕

おれのくーちゃん

おれが、愛知県の地方自治と国政との関わりのことを思っているとくーちゃんが、

「ふにゃーん🐱💗」

と、ねこタワーの上から声をかけてくれる。

あるいは、気分を変えてキッチンのほうでChromebookを開いていると、(前の晩にブランケットを敷いて差し上げた)PCチェアの上で、ときおり、寝返りを打ち、尻尾をはためかせてくれる(座布団に直よりも、少し居心地がよくなるのだと思う)。

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おれのくーちゃん🐱💗

すばらしい古井由吉のよさについて

すばらしい古井由吉のよさについて、ここ1週間ばかり、遅ればせながら、書を買い求め、取り寄せて、しみじみと読み尽くしています。 

こんな日もある 競馬徒然草

こんな日もある 競馬徒然草

 

10代半ばと20代のころに読んだのを除けば、再読(僕はどうしても、好きになると全作を(時系列通しで)読みたくなり、その一連の間、党活動のことを、自分で再読と定義しています)これが2度めです。ただし当時、80年代の終わりから90年にかけては古井は現役の作家でしたから、当時行った営みは「通し」ではない。

先ほど古井作品に大量の発注をかけました。この間、4冊読んで、弩のつく「はまった」をしました。そして大量発注をした。はあちゅうさん本代返してください。

だが、そのよさは、何であるかをここに具体的に書いてしまうのは忍びない性質のものです。古井は生前、世田谷上用賀に暮らし、馬事公苑によく通っていたそうです。そんなことも知らないで、僕は馬事公苑を挟んだこちら側、経堂(宮坂)に下宿し、馬事公苑に通っていました。それなのに、JRAの「優駿」を、Gallopを、見過ごし、見(まみ)えるを得なかった。なぜ、90年代に見過ごしてしまったのか。

nekohanahime on Twitter: "どこでおれは古井由吉とすれ違って、見過ごしてしまったのか。柄谷を読んでいたころか。「ノルウェイの森」を読んで、「杳子」が古いと感じてしまったからか。JRAの「優駿」はさすがに手を出していなかった。ANAの季刊誌に載っていたなら見逃さなかった。古井由吉は、戦後の丸谷才一と右手左手の関係だ"

それは見過ごしではなく、さまざまの読書の紆余曲折、遍歴を経て、僕が自分の生きている間に古井に間に合ったということなのだろうけど(特に丸谷才一を経たことは大きい)、その透徹の天からの声と味があまりに染みて、生々しく、僕は当時のことを思い、激しく、後悔しています。

上になぜ《JRAの「優駿」》とわざわざ冠したかというと、優駿といえば一般には、そして僕もご多分にもれず、宮本輝が先にくるタイプだったからです。そしてそれは党方法論上の明らかな誤りだった。「ドナウの旅人」以降の宮本は救いがたい。その中で「優駿」には狂気がある。わるい物語ではない。だが、古井の次ということはありえない。

僕は90年代、JRAの「優駿」やギャロップやデイリーで古井を見かけ、見過ごす際に、この人は趣味で競馬をやっているのだろう、息抜きに書いているのだろうと思った。あまりまじめに読む箇所ではないと、だから、読み逃した。そうではなかった。私の、党方法論上の誤りである。文の、文章の、文体のうまさとは。随筆(筆の赴くまま)とは。僕の読みたい馬が、競馬が、歓声が、どよめきが、落胆が、頁の合間からこぼれてくる。何という趣味のよさ。それを編む、編者、勇者、智者、愚者、変者、軽き者、高橋源一郎――走る、タカハシ――

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」を結局2度、通しで読んだ(正確には書店で0.2くらい。だから3周目に)ためいきが/こぼれるほどにすばらしい(575)。おれはこれが読みたかった。おれの読みたかった競馬はこれである。天に召された古井由吉、人馬一体、思い出を、追憶を、勇者タカハシと宙駆ける"

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(ここから、正気に返ります)

さて、高橋源一郎はみなさんもご存知でしょうか、黄金頭さんのひいき筋のひとり。僕は彼のたまに挟み込む高橋評がとりわけ好きなひとりです。

本書「こんな日もある」で高橋は、90年頃からこのかた30余年の名場面、あまりそうでもない場面、「こんな日もある」の場面を、静かに、しなやかに召喚します。いくつか引きたいレースもあり、しかしいまここでそれをやってしまうのは惜しい。

いま書店店頭に並んでいるから手に取るが宜し。

その高橋は競馬場で古井と待ち合わせをしたりして、そのレースの引けた後に連れ立って酒を飲みに行ったこともあるという。なんたるうらやまけしからん話を淡く、レースの熱狂の声が遠のいた趣さながらに、思い出を昨年ちょうど1年前(2月18日)に亡くなった古井に献じます。

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」(講談社)おもしろい\(^o^)/ 編・解説が高橋源一郎高橋源一郎の解説がまた洒脱。あとで「むりに読まなくてもいいからね」って黄金頭さんに送る🐈💕 こんなにきれいな高橋源一郎を見たのはほんとに久しぶり。🐎💕高橋源一郎ってこうなのね🐈💕🐎💕"

これは、黄金頭さんに、彼のコンディションを尊重して仮令(たとえ)、ぱらぱらとめくる程度であったとしても、お送りしなくては、伝えなくては、そしてそれができることの喜びをと思いました。焼酎の2着、少し馬身は置いていかれた恰好になったけれども、お送りすることにした次第です。

*

そんなわけで、コロナが落ち着いたら、大井で。大井で待ち合わせができたら。船橋は横浜からだとちょっと遠いからね。そんなことを、湾の入り江のこちらから、願ってみました。人馬一体、ご自愛を。

 

2021年如月

船橋海神