illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

すばらしい古井由吉のよさについて

すばらしい古井由吉のよさについて、ここ1週間ばかり、遅ればせながら、書を買い求め、取り寄せて、しみじみと読み尽くしています。 

こんな日もある 競馬徒然草

こんな日もある 競馬徒然草

 

10代半ばと20代のころに読んだのを除けば、再読(僕はどうしても、好きになると全作を(時系列通しで)読みたくなり、その一連の間、党活動のことを、自分で再読と定義しています)これが2度めです。ただし当時、80年代の終わりから90年にかけては古井は現役の作家でしたから、当時行った営みは「通し」ではない。

先ほど古井作品に大量の発注をかけました。この間、4冊読んで、弩のつく「はまった」をしました。そして大量発注をした。はあちゅうさん本代返してください。

だが、そのよさは、何であるかをここに具体的に書いてしまうのは忍びない性質のものです。古井は生前、世田谷上用賀に暮らし、馬事公苑によく通っていたそうです。そんなことも知らないで、僕は馬事公苑を挟んだこちら側、経堂(宮坂)に下宿し、馬事公苑に通っていました。それなのに、JRAの「優駿」を、Gallopを、見過ごし、見(まみ)えるを得なかった。なぜ、90年代に見過ごしてしまったのか。

nekohanahime on Twitter: "どこでおれは古井由吉とすれ違って、見過ごしてしまったのか。柄谷を読んでいたころか。「ノルウェイの森」を読んで、「杳子」が古いと感じてしまったからか。JRAの「優駿」はさすがに手を出していなかった。ANAの季刊誌に載っていたなら見逃さなかった。古井由吉は、戦後の丸谷才一と右手左手の関係だ"

それは見過ごしではなく、さまざまの読書の紆余曲折、遍歴を経て、僕が自分の生きている間に古井に間に合ったということなのだろうけど(特に丸谷才一を経たことは大きい)、その透徹の天からの声と味があまりに染みて、生々しく、僕は当時のことを思い、激しく、後悔しています。

上になぜ《JRAの「優駿」》とわざわざ冠したかというと、優駿といえば一般には、そして僕もご多分にもれず、宮本輝が先にくるタイプだったからです。そしてそれは党方法論上の明らかな誤りだった。「ドナウの旅人」以降の宮本は救いがたい。その中で「優駿」には狂気がある。わるい物語ではない。だが、古井の次ということはありえない。

僕は90年代、JRAの「優駿」やギャロップやデイリーで古井を見かけ、見過ごす際に、この人は趣味で競馬をやっているのだろう、息抜きに書いているのだろうと思った。あまりまじめに読む箇所ではないと、だから、読み逃した。そうではなかった。私の、党方法論上の誤りである。文の、文章の、文体のうまさとは。随筆(筆の赴くまま)とは。僕の読みたい馬が、競馬が、歓声が、どよめきが、落胆が、頁の合間からこぼれてくる。何という趣味のよさ。それを編む、編者、勇者、智者、愚者、変者、軽き者、高橋源一郎――走る、タカハシ――

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」を結局2度、通しで読んだ(正確には書店で0.2くらい。だから3周目に)ためいきが/こぼれるほどにすばらしい(575)。おれはこれが読みたかった。おれの読みたかった競馬はこれである。天に召された古井由吉、人馬一体、思い出を、追憶を、勇者タカハシと宙駆ける"

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(ここから、正気に返ります)

さて、高橋源一郎はみなさんもご存知でしょうか、黄金頭さんのひいき筋のひとり。僕は彼のたまに挟み込む高橋評がとりわけ好きなひとりです。

本書「こんな日もある」で高橋は、90年頃からこのかた30余年の名場面、あまりそうでもない場面、「こんな日もある」の場面を、静かに、しなやかに召喚します。いくつか引きたいレースもあり、しかしいまここでそれをやってしまうのは惜しい。

いま書店店頭に並んでいるから手に取るが宜し。

その高橋は競馬場で古井と待ち合わせをしたりして、そのレースの引けた後に連れ立って酒を飲みに行ったこともあるという。なんたるうらやまけしからん話を淡く、レースの熱狂の声が遠のいた趣さながらに、思い出を昨年ちょうど1年前(2月18日)に亡くなった古井に献じます。

nekohanahime on Twitter: "古井由吉「こんな日もある 競馬徒然草」(講談社)おもしろい\(^o^)/ 編・解説が高橋源一郎高橋源一郎の解説がまた洒脱。あとで「むりに読まなくてもいいからね」って黄金頭さんに送る🐈💕 こんなにきれいな高橋源一郎を見たのはほんとに久しぶり。🐎💕高橋源一郎ってこうなのね🐈💕🐎💕"

これは、黄金頭さんに、彼のコンディションを尊重して仮令(たとえ)、ぱらぱらとめくる程度であったとしても、お送りしなくては、伝えなくては、そしてそれができることの喜びをと思いました。焼酎の2着、少し馬身は置いていかれた恰好になったけれども、お送りすることにした次第です。

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そんなわけで、コロナが落ち着いたら、大井で。大井で待ち合わせができたら。船橋は横浜からだとちょっと遠いからね。そんなことを、湾の入り江のこちらから、願ってみました。人馬一体、ご自愛を。

 

2021年如月

船橋海神