illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

方法序説的な伺か

昨晩、某所で話したことのおさらいと備忘です。

3つの基本命題。

  • 待っていた/待っているのは、私たちだけではなかった/ない。十分な証言を得ています。
  • 待ち人を待っていること、待ちわびていることは、生の最大の喜びのひとつとして、私たちの前に現れます。
  • 会えないまま長い眠りについたということは、すなわち、ステータスは「待っている」のままです。

1つの補助。

  • だからといって、生を急いで会いに行けという話ではありません。むしろ「まったりと生きる」ことが、彼自身のことばとして、あの場所では推奨されています。

1つの推測。

  • ゆっくり生きて、いつか会いに来てくれることを、彼は(幸せな気持ちで)願っている。

1つの約束の場所。

  • 虹の橋のたもとです。

付言。

  • 取材と、思索と、論理の帰結です。史料と証言が、おのずから示していることです。私の脆弱な想像力は、論理によって覆された。それは堅牢を意味します。
  • 想像力に引きずられて負けるのは弱さであり、私はそのような物語の構想を、先の習作を経たいま、現時点では好みません。
  • 潮が満ち、以上のことを、原理的に否定し得ない場所に、私は運ばれたことになります。書き上げる前に生を擲つ理由は、またしても失われました。

募金の募金感は異常

神社の賽銭箱に貨幣でも紙幣でも投じる行為。駅前の呼び声に応じて箱のスロットに小銭を投入する行為。あれは何と呼ぶのが最適解なのだろう。布施か喜捨か。寄付か。募金する(誤用)か。課金する(同じく誤用)か。募金に応じるか。募金に協力するか。お恵みか。施しか。する偽善か。情けは人のためならずか。浄財か。ノブレス・オブリージュか。社会的マネー・ロンダリングか。財務か。そうかそうか。

それらの資本主義的な関係性とそこに付随する、こびりついたと形容してもいい、いやな感じをきれいに拭い去ったフレーズが発明され、浸透し、アプリ名になったとき、を想像するに、やはり、初手は、ことば、言の葉、想像力、共同体を支え動かす原理、の問題なのだろうと思います。

悲田院か。賽銭か。講か。こうなのか。

デラべっぴんもしくはオレンジ通信の件(黄金頭さん第2集、行くわ)

仮題は「黄金頭エッセイ第2集 桜を見るかい」。

書いといて。また後日連絡するさかいに。

 

追伸:

おれ、書かん。黒子に徹する。

おれのくーちゃん

この写真を撮ったあとおれは

より柔らかい

(ここはくーちゃんのお気に入りの器)

姿勢となって身を横たえたくーちゃんの

額を首を肩を背を腹を

 

貴君らに形容したらドン引きされる

跪いた

姿勢と表情と声色と思いですりすりし

 

くーちゃんが喉をごろごろするのをやめないことを確かめ安堵し

 

思い出すのだ

黄金頭さんは「恥ずかしいことを書きなさい」(大意)と

控えめに

自らにいいきかせるように述べていらっしゃった

(「おられた」は古語に範をとるならば敬語の誤用である)

 

「くーちゃんちゅきちゅきですよ」と

神に侘びを入れる

 

そろそろ蒸し野菜の時間だ

 

丸田祐三のこと

私は祖父譲りの、大正昭和期を貫く、筋金入りの将棋ファンである。うそではない。いま試みにわがブログを「将棋」ないし「河口俊彦」で引けば、立ちどころに次の記事が上ってくる。

dk4130523.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

今日、うれしいことがあった。

丸田祐三さんのご子息、写真家の丸田祥三さんから、Twitterでお声かけをいただいた。私は父上、祐三さんのことが祖父(1921-1996)譲りで大変に好きであったから、ぜひこのことは書き留めておかなくてはと思い、筆の代わりにキーを執った。

*

河口俊彦が、丸田の思い出を印象深く記している箇所を引用する。

丸田が力を持ったのは、大山(康晴)と仲がよく名人を後盾にしていたからだ、という人もいたが、それは当たっていない。丸田その人に実力があったのだ。将棋の力も、升田、大山の次だったし、けたちがいに頭がよかった。なんていうか、特殊な頭の働きをするのである。(略)

河口俊彦「人生の棋譜この一局」角川文庫P.307

続いて、将棋連盟の給与システムの話が出てくるのだが、そのことは今回の私の主題ではない。私は次の2箇所を引いて、せっかくお声かけいただいた祥三さんに、お父上に将棋に導いてくださった義理を果たさなければと思ったのである。

(また、)人間的に一本筋が通っていて、仲間にこびず、人によって意見を変えることがなかった。それでいて、案外情にもろいところもあり、芹沢(博文)なんかは、親に金をせびるような感じで接していた。

前掲書P.310

さらに、

先日、丸田と対局日がいっしょになり、対局中の雑談で、(その)昔話をして「先生も昔はエラかった」といったら、「なんだい、今はエラくないみたいな言い方だな」

「木村(十四世)名人でも、引退すると変わるんですかね」と、(連盟経理担当の丸田をさん付けで呼んだことを引き合いに出して)こだわると、「いや現役のころから、私にはさんづけだったよ」とすましていた。

丸田の勢威たるや、表では知られていなかったが、内部では大変なものだった。それが、戦後間もなくから、昭和60年代までつづいた。戦後の将棋連盟を動かしていたのは、升田、大山ではなく、丸田ともいえるのである。

前掲書P.307

しかし、それにしても河口俊彦というのは将棋界、将棋指しというのをよく見ている。そして、しかしを重ねるようで恐縮だが、私は河口と丸田の関係を、引用した上の箇所だけに見ているのではない。そんなことを書くくらいなら、はなから、書かない。

P.309に、たばこをくゆらす、実に渋い対局表情の丸田の肖像が掲載されている。

そのキャプションに、

丸田祐三(大正8年-)「小太刀の名手」といわれ、昭和後期に活躍した。一流棋士でもあったが、将棋連盟の大番頭として、戦後の将棋界を支えた。

とある。河口俊彦は、棋士紹介の写真下の短いキャプションに、意を尽くす。

もちろん、彼が升田、大山に憧れ、その薫陶を受け、彼らはもとより、芹沢博文にも手も足も届かなかった、しかし、丸田のことは、どうしても随筆に書きとどめておきたかった気持ちが、とてもよく伝わってくる。

*

丸田は、第一人者にはなれなかった。河口も、もちろん、第一人者どころか、その挑戦権にさえ遠く及ばなかった。

別の著作には、ただいちどの、丸田が大山名人に挑戦した名人戦で、「だれも丸田が勝つとは思わなかった。はやく将棋はやめにして温泉に入って麻雀でもやろうという雰囲気だった」という記載があったことも記憶している(今夜のところは、著作の山をかきわけるのが間に合わなかった)。それでも、だからというべきか、河口は丸田を敬愛していた。升田、大山に次する偉大な、同じ時代を生きた棋士と思っていた。

*

丸田の評伝が、フォト・エッセーがもし世に出るなら、私は、いの一番に、読んでみたいと思う1人である。

棋士人生を支えた奥様、雍子さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げたい。

人生の棋譜この一局 (新潮文庫)

人生の棋譜この一局 (新潮文庫)

  • 作者:河口 俊彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 文庫
 

 

「参加者を募る」よりもたぶん大切なこと

タイトルは虚仮威しです。踏み込んだ政治の話はしません。絶望したら白眼視して話をしないのが古くからの流儀です。節を、拙を守る気概くらいは保ちたい。

*

みなさん、「つのる」を辞書で引きましたか。

つのり【募り】『四段』(1) 力がついて強くなる。強大になる。(略) (2) 力を得ていよいよはげしくなる。ますますひどくなる。高ずる。(略)

大野晋他「岩波古語辞典補訂版」P.886

集めるという意味はありません。4点、せっかくなのでお話しします。

*

ひとつめ。

日本語の動詞は、もとは自動詞だったものが他動詞に転じたものが多いという作業仮説をもっておくと役に立つことがあります。(自然ガソノヨウニ)(絵巻物や紙芝居のように)(ナリナリに)【なる】ことを自然と受け止めるような感じ方が、もし仮に民族の感受性の基層というものがあるならば、底に近いところにたゆたっている。私はそう感じています。この「募る」も、そうです。

研究があったかどうか、ぱっと出てこないのが残念ですが、募るの縁語、とまではいかなくとも、波、風、嵐、思い、恋…そういったものが、人力や人智、意志を越えて『力を得ていよいよはげしくなる。ますますひどくなる。高ずる』という感じが、あることは認めるに吝かではなかろうぞ。

*

ふたつめ。

「募金」といいますが、これはお金を募る(ハゲシク強大ニ集める)ことですね。ただの募金だと生々しいので、戦後(1947)に、「赤い羽根」あるいは「共同」という緩和剤を頭に乗せて、ハゲシク強大なんだけど、アメリカさんのデモクラシーの見様見真似をして、みんなでやればハゲシクない(共同)ってことで始められた、そう断じてしまうと問題があるにはあるですが、うちの亡くなった祖母(1923生まれ)や母(1949生まれ)は、生前この「募金」というオブラートに包んだものいいを、「いやらしい」といって、ひどく嫌っていました。

そのことを、今日ふと思い出した次第です。彼女たちにとって、人為で募るのは、何かしら作為めいて、わいせつなんですね。

私にも、是非は別にして、その感覚は残り、受け継がれています。特に権力や立場というのは、固辞して固辞して3人組がたらい回しにして「どうぞどうぞ」っていいあって、いわれてようやく渋々に座布団につくのが『日本人だなあ』なんて、つい、受け止めてしまう者です。

もちろん、この権力観は、こと近代においては、幾重の意味で、間違っています。

*

みっつめ。

これは「岩波古語辞典」にも載っていなかった私の独自研究です。が、そう外していなかろうと思います。「つのる」は「つ」+「のる」であり、「つ」は、「ちょっと」とか、反復、繰り返し、継続を含意する接頭辞(現代語のつつ、がその子孫であります)に、「のる」(体重をかけて重心を低くし、そうしたところにとりつく、乗り移る)が結びついたものではないかしらん。

古代世界では、波や風や嵐や思いや恋は、ヒトにとって魔物であり、とりつかれるものでした。それが継続性を帯びて、もはやどうにもならないほどに高ずる。すなわち「つのる」です。

*

よっつめ。

実はこれがいちばん申し上げたかったことです。

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1984年です。冒頭に、ちゃんと「つのる思いに」とあります。

そして、

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本曲、坂井泉水大先生の中では、あまり知名度は高くないかもしれません。しかし、先生はちゃんと、思いは「揺れ」たり「つのっ」たりするものだということを私たちに繰り返し伝えてくれます。

「想い」など、私の感覚では好ましくない用字用語もございます。しかしながら、みなさん感受していらっしゃることと思うのですけれど、坂井泉水の歌い上げる言葉遣いというのは、古くて、遠くて、透き通って、もう、届かない。

*

興を削ぐ蛇足をひとつ。

共産党の今回の追及はなかなかよいものでした。惜しむらくは、辞書を引くべきでした。なぜなら、ここ30年ほどの政権を通底する文系軽視は、まず辞書を引かせない、引かれたら困る、そういう方向で一貫しています。なぜなら、正しく辞書を引き、由来や語源を紐解くことによって、政治家の言質の軽さがあっという間に露呈するからです。

その状況を許してきた、私たちひとりひとりの不作為が、「だってなんとかさんがひどいこというから」の杉田水脈であるとか、親友と豪語していながら「募る」の由緒や由来を事前に電話であべ晋三に伝えてやらない、文芸プロレス界の重鎮、大知識人、グレート小川榮太郎を生み出した、そのような時代のことは、そろそろ両手で引き受けてみてもいい頃合いのように、私には思われます。

小泉某太郎次期総裁待望論が、それこそ募って手がつけられなくなる前に。