仮に、私のところ=家=名字のイニシャルをAとします。A家は地元では3代名の通った秀才の家系であります。母方の爺が旧制足利から京都、その娘=おれのおふくろが東京教育、その子おとこのこ3人が上から東京、東北、京都です。おれ長男。バッチグーです。ま、上ふたりはいまメンタルやってるけどな。下は広告代理店でドラム叩いてます。この「で」はおかしいな少々。
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Aさんのところの秀才兄弟にひとり天才に近いのが混ざっていて、中の子です。おれのひとつ下の年子。なんというか幼少からカリスマがあり、なになに長、みたいなのずっとやってて、スポーツも全国大会に出ておった。
だれの目にも、上のお兄ちゃん(おれ)よりもすごいんじゃない的な発話が自然に漏れる、そんな弟でした。自慢の弟ですよ。すごいんだもん。日常の行動も会話もロジックがひゅんひゅん飛躍する。半村良と筒井康隆が大好きで、トールキンや安田均なんかも早々にクリアしてました。おれが山際淳司読んでる間に。くっそー。
学業という名の勉強だけ、しなかった。「意義が見いだせない」とかいっていた。おにいちゃんは俗人だから東大で大満足しちゃう。それを1個下で見てたら、思うところもあるでしょうに、と気づいたのはずーっと後になってからの話。
あまりに勉強しないで、「古文(やる)意味わからん」「歴史はケルトと信長の野望と戦国策以外は興味もてない」「ずっとゴルゴ13読んでいたい」とかいうので、おれもカチンときて、あるとき、とくとくと、一緒に東大行こうぜと口説いたわけです。
そしたら、しばらくうつむいて、黙って、そのまま泣いちゃった。おれが泣かせたんだけど。おれが17で弟が16のとき。
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こないだ、親父がいよいよ朽ち果てそうというので、電話でしばらくぶりに話して。その前に、このことだけは避けて通れないと思い、テキストチャットで、「本題の前に話して、謝らないといけないことがある」と口火を切ったわい。「何?」と返してきたので、わしは「あのときは、気持ちも考えないで、すまなかった。ごめんね」と打った。
妙に静かな間があって、「あのときとは?」と返される予感と、先刻了解の上で華麗にスルーを決められる予感の両方があった。後者だろうなと思って身構えたら、後者でした。
「ああ、よく覚えてるねしかし」
「拙者、塾予備校業界で生徒さんを見る際には、片時たりとも忘れたことがござらん」
そしたら弟氏(45)、
弟「親父も、いよいよだね」
兄「ああ。長い、長かったね」
弟「おれ、株でxxxx万円溶かしちゃって」
兄「マジか?」
弟「沢木耕太郎の『鼠たちの祭り』、あれ、勝ち方書いてないんだよなあ」
兄「自己破産とか?」
弟「いや、まだそこまでは」
相変わらず、おれの会話の穂の継ぎ方というのは、直線的で、筋をなぞるようであり、なぞっているようでいて、肝心のその奥に耳を傾けようとしない。親父の、だめなところに瓜二つ。弟は、だからモテたよ。
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その、黙って、持ち分、才能を、全き肯定するということ。口を挟まず、指導的言質に身を寄せずに、ただ、そのまま、信じること。「自分のことは、自分でちゃんとわかっているから」と、弟君(17)は、いった。おれのように、無芸無粋に、立身出世を目指さなくても、収まるべきところに収まって、生きていける。
ばかりか、実際のところ、むしろおれのほうが、見守られている。気づいたのは、30も半ばを過ぎてからのこと。
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そんなわけで、ミーハーかつ中央集権体質である上の兄(おれ氏)は、学校で指されるのが大好き。すきすきー😺💕早生まれゆえに、最初の数年は辛かった。けれど、コツを掴んでしまえば、初めの荒波さえ乗り越えてしまえば、勝ちながら、勝てる「型」が身になじんでくる。いまでこそ、いやらしい身振り(原文ママ)世過ぎとは思うものの、3月末に生まれた田舎の子が、街中の進学校で生き抜くには、差し当たって、他の方法がなかった。
だれも教えてくれないから―長兄は、まず荒れ地に踏み入って、焼き畑をするところから始めねばならんのだ。
対して弟氏は、学校で当てられるのが、うっとおしくて仕方がなかったと、後に話してくれた。「何で、教師の加点に協力しないといけないの?」「生徒会も、部長も、おれを選んだ全員の責任だ。おれはおれを選んでいない」
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いつもの流儀で、突然、黄金頭さんの話をするのだけれどね、黄金頭さんは、おれにとって、ブンガク方面の、とっても出来のいい、弟のように思っているところがある。もちろん、おれの片思いよ。で、おれは個人史から学んだわけだ。また、黄金頭さんの才能が、おれをそう示唆するものでもある。
《この人のことは、口説いたり、仕向けたり、したらあかん》
とにかく、声に語りに、耳を傾け、完き肯定をすること。しなくても大丈夫なんだけどね。禁欲しつつ、余計なことを書いておきたくなるもまた、自称文芸批評家の性分。いや、あの、今回の記事を書く、筆をとるまでは、今回の Books&Apps 寄稿記事のよさをそこそこ腑分けして、きちんとお取り置きするような内容で行こうかと思ったわけです。
でも、それは不誠実。無粋の極み。アニキ-スプレイニング。
ともあれ、こうして、昔のことを、思い出して、自分のだめさ加減を繰り返し確かめる、その卓越した語りによる解毒作用が、今後もメジャーな媒体で発揮されんことを、祈ったり、祈らなかったり―自分のことばで、そのことは書き記しておきたいと、天地神明森羅万象花田虎上、まさしくそう思ったのであります。