illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0034 10月2日フライトとりました日帰り

10月2日フライトとりました日帰りです。現地1泊は何かと厳しいかな。

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船橋(4:50)→羽田(6:00着)(7:00発)→伊丹(8:05着)(→六地蔵)

西陣/猫寺(11:30-13:00)

→(どの辺立ち寄るかはこれから検討)

→伊丹(17:00着)(18:00発)→羽田(19:15着)→船橋(20:30)

です。

先日、ホマレ姉さんから鋭いコメントをいただきました。この、墓参りは僕の生涯のテーマです。不思議なんですけどね。「よよん君」「血液グループ先生」というふたりの個性とお人柄を、わが内なるものとして温め、光を当てていると、世界、とりわけインターネット世界、あるいは本の世界の見え方が、僕の中で1本通るというか、ぶれないというか。

それに、書き継いでいると、わずかなりとも、腕が上がる気がするんです。自分の中の《いい声》を見つけて、取り出しやすくなってきています。

僕には、特別な物語です。いま、少しまとまったお休みをとっています。書いたり、書かなかったり、しています。その、生きている感謝を、伝えに行く感じです。その意味では、伝え続ける役割は基本的にこれからも僕だろうし、ライフワークとして仰せつかっている、天命といったら大げさですが、栃木の片田舎に棲息する、ただの本好きでしかなかった僕が、それまで滋賀草津、大津三井寺西陣にまるで縁のなかった、2003年2004年当時、若気の至りで通っておいてよかったなと思います。

それは、ホマレ姉さんとお知り合いになったこともそうです(きっかけはトリスペさん=最近記事書いてない?=のグルメブログ)。wattoさんとも、黄金頭さんとも、そうです。もちろん、オンラインでひとことふたこと接点があるに過ぎないみなさんも、そうです。

「そう」というのはつまり、2002年2月20日の午後2時半過ぎに、よよん君は、よくぞスレッドを立ててくれた。まったく、しれっと、無防備に、無茶をして。世界が、大きくあのとき開いたんです。そのことを、僕たちは―僕だけではない―《忘れないよ》と、誓った。その、《仮想人生》の、放っておくと閉じてしまうかもしれない、淡い線の先を、ここでまた僕たちは、というのが不遜でしたら、せめて僕は、閉ざすことなく、白線を引き続けたい。

畳をめくったら、異世界に通じていた。2ちゃんねるは、はてなは、僕にとって文字通りそんな高輪ゲです。その扉が、閉じないようにする努力、営みは、ひょっとしたら、可能かもしれません。

仮想人生

仮想人生

 

はあちゅうさん。仮想人生だなんて、軽々しい意味で貴女が使っていいことばではないのです。同じことは、古市憲寿の「平成くん、さようなら」にもいえます。平成の時代精神に、さよならをするのはまだ早すぎます。