illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

熊肉を柔らかくする調理法(575)

大野晋/佐竹昭広/前田金五郎編「岩波古語辞典 補訂版」から引きます。ちなみに序は昭和49年初秋の大野晋先生によるものです。

も・え【萌え】(下ニ)《芽が出る意。類義語オヒ(生)は大きく生長する意》草木が芽をふく。めぐむ。きざす。「春雨に萌えし柳か梅の花友に後れぬ常の物かも」(万3903)。「萌、キザス、モユ」(名義抄)←moye

P.1309

引かれた歌は大伴書持(720頃?-748)です。旅人の子、家持の弟。万葉歌人のひとり。族譜に名前と、万葉に歌を残すのみで、父や兄のようには史蹟が残されていません。しかし、歌の御手前は確かなもので、上の萌えの義解に書持の歌を引いた感性は、おそらく大野晋のもの。

春雨に萌えし柳か梅の花友に後れぬ常の物かも

(試訳)春雨に芽吹いた柳と梅の花。友のように相互いに、そして時節に後れず競い合う姿は、春に限りませんね。

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いい歌でしょう? あ、書持は、かきもち、ではなく、ふみもちです。

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思考が類型化し、嘆息し、次の世代に何かを書き残してみたくなるのは、これは悪しき老いの兆候です。

p-shirokuma.hatenadiary.com

萌えが、いわゆるおたくのものである/あった時期など、日本史上、屁ほどの短さです。また語義のどこに、若いころ特有の感性であることを示唆する表現が見当たります? 大野晋先生もまた、最晩年まで、若々しい感性の持ち主でした。

何歳になっても、「草木が芽をふく。めぐむ。きざす」姿は、目に入ります。そして、賭けてもいい。美しいと思う。

この文章を書いている途中で、心のなかで「それは、あなたがときめくのに必要な若さを失ったからですよ」という声がした気がした。そうかもしれない。そしてキャラクターに心をときめかせ、パトスを迸らせていられた私の一時代は、それはそれで幸せだったのだと思う。

今まさにキャラクターにときめいている人は、今という時間とキャラクターに心を寄せている自分自身の気持ちを大事にして、良い思い出を作って欲しいと思う。

黄金頭さんご贔屓の田村隆一を読んでごらんなされよ。彼は最晩年まで、精神と、ことばの若々しさを失うことがなかった。

edgeofart.jp

ちなみに、動詞「ときめく」は、帝をはじめとする高貴な方の寵愛を受ける、反射光を受けて輝いていることを自覚し、喜ぶ精神の働きを表す古語に由来します。少なくとも古文世界では、ときめくに関して「心を寄せている自分自身の気持ちを大事にして、良い思い出を作」れかし、などという感覚は、見たことがありません。

枕草子」を記した清少納言のように、ときめいちゃったら華やいでしまうものです。生きのいい形容詞がぴょんぴょんしている。

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以上、シロクマ先生の悪口ではありません。シロクマ先生風の、萌えてときめくという精神の働き《に対する評価》は、私には、きわめて現代的な病に見えます。そして、そんなつまらん老い方をしてどうするのかしらんと、いつもなら悪口辛口を垂らしてそっ閉じをするところ、今回は柄にもなく、ちょっと心配になったのでした。にゃーん😺

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 (近頃はまっているらしい…)