illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

誰のために書くのか(2)

前にも似たお題で書きましたが。

dk4130523.hatenablog.com

tanpopotanpopo.hatenablog.com

たんぽぽさんの「書く」ことへの軌跡、ものごとへの感じ方の輪郭が非常によく現れていると感じました。より率直にいえば、僕はこれ以外に(日記を)(ウェブ時代に)書く意味や目的というのをいまひとつピンと来ない。

私がはてなで最初に書いた「学校というコンクリートの塊に入れられて」は、病んでいた時に始めたので非常に暗く、ほとんど誰にも読まれませんでした。

読んでもらうための互助会と言われていた営業ブクマも相互読者登録も、一切しませんでした。

僕もまったく同じです。だれも山際淳司の話を建設的なやり方でしないので深い諦めと待望の後に自分で書くことにしました。互助会も、営業ブクマも、相互読者登録も、一切興味がありません。むしろ、これもたびたび書くことですが、僕の書くものが読まれたりブックマークを集めたりするような世の中はおしまいです。(その意味で、ここ数週間、深い焦りと危機感を覚えはじめています。)

感情が陰と陽に大きくぶれてしまう私は、ふたつのブログを同時に運営する事にしました。

そうすれば、楽しい記事を読みに来てくれた方を、暗い気持ちにさせてしまう事がないと思ったからです。

これはなかなかいい考えで、このふたつのブログを同一人物が書いているとは思わない方が何人もおりました。

だれもこんなところに喜びや笑いの種を感じたりしないでしょう。けれど、私は「これはなかなかいい考えで、」こういうひとことが好きです。なんというか、おかしみを感じる。たんぽぽさんの読者へのサービス精神と工夫が、ひとつの形をとって、うまく機能した、そのことをご自身が「うんうん」と静かに頷いて胸をなでおろして、少々誇らしく思っている様子が読み手に伝わってきます。

長く続けていても、あまりいい事はないのだな…と。

そうだと思います。ブログも、人生も、似たところがあるのかもしれません。

*

けれど、これから書くことはお忘れなきよう、よろしくお頼み申します。引用します。

波と手紙と白い花

出身を問われ告げればあのミヤコそうあのミヤコと人は俯く

友人の家流されて六年目出した手紙は届かぬままで

出て行ったひとは震災語るなと言われたことが津波のように

花よ花よお前の父さん母さんも波に溺れたか白いハマギク

移転して空仰ぐ市役所の躯体再生ミヤコのシンボルとなれ

tanpopotanpopo.hatenablog.com

これが、詠み人知らずの原型です。あるいは、こちら。

この星じゃない何処かまで飛んでゆきそこで咲こうと種は夢見た

種子は見るアスファルトの殻ぶち抜いてこの星全部森にする夢

雨が降る匂いがすると話す子の言葉通りに雨は降りだす

どうやって互いの距離を測るのか教えて欲しいクラウンシャイネス

tanpopotanpopo.hatenablog.com

1,000年後か1,500年後か、あるいは2,000年後かに、私たちが想像もしない題名の歌集に詠み人知らず、雑歌として収録されるでしょう。何度も何度も何度も何度も申し上げていますように、私は滅多なことでは文章や歌を褒めない。おれの中に居座った柄谷行人がぶんぶんうるさいのだ。正直にいえば、おれははてなの数ある書き手の中で、その書かれたことばに毎回のように心を打たれ、洗われるのは実質おふたりしかいない。

そのひとりがたんぽぽさんです。

それは(これも前に書いたが)竹田青嗣フッサール現象学に触れたときに(その哲学的解釈の是非はあるかもしれないが)自分の在日という根拠、方法、思考のプロセスをまるで手に取りなぞるように発見したと万感を込めて記すその感じ方に近い。

やっぱり、

転々と住まい変えても傍らを流れる川がわたくしの川 タンポポ

この歌はいい。90年代前半の、「週刊賃貸」の表紙を飾るコピーの匂いがする。それをおれたち高校生/大学1,2年生は電車の中吊りで見、タンポポさんというコピーライターはどんな人なんだろう、東京に出たらいちどお目にかかり/お会いしたいと思う(ちなみにそれ以前からもそれ以後も糸井重里はクズだったという点で一貫している)、その懐かしい、望郷の感じが、(お詠みになったのは近年かもしれないけれど)20年25年の時を越えた風合いとともに読み手の眼前にやってくる。

ちなみにいえば、この感じられ方は、私にとって、丸山真男の古典(クラシックス)の定義、その具体化されたもの、に近い。クラシックスとは単に古いものではなく普遍や規範である。このことを反対にいえば、新しく書かれたものでも普遍や規範を備えていれば時を超える力を内在することになる。

*

とかいう批評のことばは、しかし、すぐれてやわらかいたんぽぽの綿毛を前にして虚しい。虚しいほうを支える係は私が担います。たんぽぽさんには、どうか、歌い続けてほしいと思います。

*

追記:

今回、小野さん id:yutoma233 は、手際はよくないところがあったかもしれないけれど、本質的なところで、たんぽぽさんの書くものを、おふたりかなり近い感受性の部分で手の甲と甲で接していると、僕は漠然と感じています。

でね、ふっふっふと思いながら書くのだけれど、小野さんの、オフ会(僕が呼ばれた3次会以降)での立ち居振る舞い、気の配り方というのは(この書き方伝わり方にはきわめてデリケートなところがあるとは思うのだけれど)、(いい意味で)たんぽぽさんの「暗い部分」「いつでもスランプ」の部分に通じると、僕は思って、にこにこしながらお金とぽこちんを出して帰ってきました。はっはっは。