illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

前略 芹沢名人どの

実は僕も、山口瞳「血涙」のことは前に書いている。そのことがいいたいわけではなくて、まさかこの元号も改まらんかという2018年に山口瞳「血涙」と芹沢博文沢木耕太郎を結びつけて話のできる人が東京湾の向こうに、崖のそばに暮らしているとは夢にも思わなかった。dk4130523.hatenablog.com

思春期を迎えた僕(1985頃)の読書体験の原点は、山際淳司スローカーブを、もう一球」、沢木耕太郎「敗れざる者たち」、小松左京「さよならジュビター」のいずれかだったろうと思う。父親の書棚におびただしい数の角川(山際)、文春(沢木)、ハヤカワ(小松、星)が鎮座していた。

正直にいえば、圧倒的なショックを受けたのは沢木『敗れざる者たち』の、さらば、宝石(榎本喜八)だった。それに、山際「たった一人のオリンピック」(津田真男)が次ぐ。さらにその時点が沢木『人の砂漠』に収められた「鼠たちの祭」「屑の世界」であった。そこから、山本周五郎「季節のない街」「青べか物語」に進んでいく。

dk4130523.hatenablog.com

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次の2点の引用は黄金頭さんから。

goldhead.hatenablog.com

ある日、カシアス内藤もオイオイと声をあげて泣いたことがある。人気絶頂の頃、ボクシングをやめたいといって吉村の家に来て激しく泣いたという。吉村はその理由がよくわからなかった。彼は、もしかしたら、自分もついには"名人"にはなれない人間だと、知ってしまったのではなかったか。

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さて、おれがこの本を手に取ったのは、『一瞬の夏』から遡って沢木耕太郎カシアス内藤の物語を読みたいと思ったからだった。そこに、山口瞳の『血涙十番勝負』と芹沢博文の名が突如として現れた。おれは面食らった。おれが『血涙十番勝負』を読んだのはいつだったか。中学生か、高校生の頃だ。芹沢博文がこの世を去ってからしばらく経ったときのことだろう。おれはこの引用を読んで、「おお」と思った。そうか、カシアス内藤芹沢博文だったのか、と。

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すばらしい。お見事。誰にも書けない、読書感想文のお手本のような一節。(学校制度の読書感想文なんてやめちまえとだからおれは常々主張している。)

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芹沢博文は、中原誠よりもおそらく(早熟の)才能はあったというのが河口俊彦の見立てである。つまり本来は名人の器であった。それが賭け事、借金(1億2億)というお定まりで身を持ち崩す。テレビ・タレント稼ぎでも穴埋めがままならない。

そうしているうちに、弟弟子である中原誠に追い抜かれていく。それはまるで、(弟弟子への稽古の付け方が結果的にうますぎたという)升田幸三大山康晴の関係に似ていないこともない。僕は文芸ほどに将棋のことは語れないけれど、たまに芹沢の棋譜を並べてみてはっとすることがある。

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だが、今回、そのことがいいたいのでもない。だから、黄金頭さんに節制を求めて、エッセイに磨きをかけてほしいというつもりも、毛頭ない。

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将棋と、文芸は違うのだ。

文芸は、勝ち負けではない。むしろ、負けることの多い側に身を寄せ、当世風にいえばサイレント・マジョリティの(それでいて誰も手を挙げることのない)支持を、寄せるのが文芸の、ものを書く人の僕は誇りだと思う。沢木のことは後に嫌いになったが、それでも、初期の沢木作品(「屑の世界」「鼠たちの祭」)には、そのあたりの色が濃く、ある。

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もうひとつ、この機会に書いておきたいことがある。

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文芸の名人はだれが定め、授与するのかということだ。

おれはどうなのだろう。そうでない人間だ。望んでいるのか? 望んでいるのかもしれない。しかし、やはりその舞台はやってこない。そのいつかはやってこない。そうして、ただ老いて、後悔だけを残して死んでいくのであろう。芹沢や内藤のように泣くこともなく、燃えつきることもなく、勝ちも負けもない価値なき日々を、ただいたずらに過ごして……。

僕自身の無力、至らなさもあって大変に申し訳ない……のだけれど、これ(上記の引用箇所)を書いて読む人の心を打つことができるのは、将棋の順位戦でいえば、A級、たまに酒と馬とお好み焼きで降級することはあるかもしれないが、A級の力量、降ったとしてせいぜいいその次点、B1級上位の力量、腕前だと僕は思う。ついでにいえば、「ただいたずらに過ごし」て、例えば、黄金頭さんが芥川賞直木賞を得ることが出来なかったとしても、僕は「名人の上」(升田幸三)の称号を贈る立場であることに、変わりはない。

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日の目を見るまで、あと、もう少しなんだ。

榎本喜八は、現役引退後、いつ現役復帰の(!)、コーチ就任の話がきてもいいように、東京球場の外周を走っていたという。われわれの、何かしらの日乗を書く行為というのは、どこかしら、榎本のトレーニングと似ていはしないだろうか。

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僕は黄金頭さんの書くようなものがずっと読みたいと思っていたし、これだけのものが書ける人はほかにいないと確信している。それじゃ遅いのかもしれないが、おそらく、100年後、200年後に「黄金頭日記」として、後世の数少ない好事家たちの熱い支持を集める資質だ。

そんなわけで、酒と本を贈る準備をし、DPZに推薦文を書いている(「ペニス公園探訪記をぜひこの人に!」)。にゃーん、なのである。

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d.hatena.ne.jp