illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0041 ことの穏やかに推移せむを

ちょうど僕も父親の蔵書の整理に手を付けなければと思っていたところに、黄金頭さんのエントリーが出た。

父が心筋梗塞で入院してICUにいるとのこと - 関内関外日記

僕の父親もアルツハイマーで低空飛行が長い。

聞いたところによれば、家中を本棚に改造してしまったがために、階段もえらく狭く、救急隊員も苦労して運んだという。

申し訳ないが、目に浮かぶようで、笑いが漏れた。僕の父親も同じ造作をして、同じ目に遭っている。平らな床に隙あらば、うなぎの寝床を立てたような木製の棚が並び、文庫が最初は小波、いつの間にか膝を越え腰の高さを上回り、首へ頭へ、そして次の棚へと。

僕の父親の偉かったのは、彼が高校時代を過ごした1960年過ぎから、書物への情熱を世事に邪魔されることの少なかった85年ごろまで、とにかく文庫を蒐集したことにある。角川、早川、新潮、文春、筑摩、福武、河出、岩波、中公、講談社、三一、白夜、創元社、おびただしい数が並んだ。珍しいところを1つだけ書けば、鈴木いづみのコレクションがある。眉村卓もあった。小松とか星とかは、まあ触れない。ムック類も扱いに困るほどある。

これらを、いまどうしようか悩んでいる。書庫と呼ぶほどの書庫は、ある。ない、と続くのが有職故実かも知れないが、ある。建てたのである。掘りもした。文学全集も事典類も、これと思ったものは手当り次第に揃えていた。重いものは運ぶのに苦労する。勘弁してほしいのでござる。その彼が最後に家を出るのに救急隊を迎えたときは、ロッキング・チェアでアーヴィングを手にしていた。彼はジョイス的なもののほうには行けなかった。行けずに閉じる生もある。

ふと、先日、黄金頭さんの作風を思いながら海神の街を歩いていて、これは僕にもいえるのだけれど、父方の影響を文体や関心に受け継いでいる、それを結果的に掘り出し、純化し、浄化することが、彼の、あるいは僕らの営みを形作っているのではないかと思った。

そして空を仰いだ。

おれは、ちょっと前にかなりの本を処分したと聞いていたので、まだそれだけの本があるのか、と少し喜んだ。父が死ねば、本の処分の前に見せてもらおう、そう思った。わりといい本があるに違いない。人間として最低でも、本を見る目はある。そういうこともある。

僕の父親は共産党員で、母方の庭地家屋田畑山林を当てにして72年に婿養子に収まるのに成功したまでが、人生のピークだった。具体的に書くことは憚られるが、最低の人間の資格を十分に備えている。

また奇遇だけれど、

両親については弟に任せている。

僕も同じ策をとっている。金を出し、口は出さない。葬儀に出るつもりもない。万一、誘われても出ない。そう宣言し、多くの親類から顰蹙を買っている。一昨日も土地家屋調査士と税理士と打ち合わせをし、現世的な始末をつけているのは僕だ。

母方のばあさんがそうだった。婿の始末をするのを見てきた。なぜそうするのか判らなかった。そのような徳の高い行いに対し、婿は知らんぷりをしていた。むしろ外面のよさを最大限に発揮していた。

ばあさんは、だから母方の親類からよくいわれなかった。そして一切の弁明をせず、自分の番が済んだと見たころにことばと、手足の機能を失った。家財には徐々に罅(ひび)が入り、婿は打つ手を知らず、90年代の半ばにばあさんを病院に送りにキメ込んで、見て見ない振りをした。どうしたらここまでのクズができるのだろうかという人間のクズである。婿曰く自分もまた資本主義の弱い環を体現しているのだそうだ。

何をいっているのか全く理解できない。

ではあるのだけれど、婿の書棚においしい本が並んでいるのもまた確かで、ここから急に振りかぶって黄金頭さんの現代日本文学史におけるユニークネスの話になるのだけれど、やっぱり、その博覧強記、偏愛、植物への関心、文体、田村隆一別冊宝島的なところ、などなどは、(存じ上げはしないけれど)父上の血を色を、受け継いでいらっしゃるのではないかと想像を逞しうする。

僕の手元にあるいちばん古い角川文庫『スローカーブを、もう1球』は奥付け1982年のものだ。階段を上った框に急ごしらえされた薄くて細い書棚に見つけ、手にとって開き、それまで見てきた星新一の世界から、スポーツ・ノンフィクションの世界が色鮮やかに開けたとき、食欲がもくもくと湧いてくる感じ。いまでも絵付きナレーション付きで、思い出すことができる。ちなみに婿殿にとって20世紀国文学の極北は田宮虎彦足摺岬」「卯の花くたし」だった。批評家としては頷ける。文学観としては致命的だろう。

黄金頭さんの父上の、いまは、ことの穏やかに推移せむを祈りたい。そして書こうか書くまいか散々迷ってここまで話を引っ張ったが、もしこの先、機会あらば、父上の蔵書目録を作成するアルバイトを1枠、空けておいていただけたなら、専属文芸評論家として幸甚この上なき。勿論横浜船橋間往復交通費此当方負担之仕儀相仕候。