黄金頭さんのこういうのを読むと、「文学を齧っておいてよかったなあ」ってしみじみと思うね(笑)。彼の教養目録からしたら、書いているときにひょっとして澁澤龍彦が過(よぎ)ったかな。とかね。
批評家っぽいことを書くと、同じ書き手が性をテーマに「村」シリーズと、これとで、「中性」性(「村」の文体)と「男性」性(今回の文体)を、文体でそれぞれに、しかも高い水準でこれだけの強い輪郭で出せるって、まあ近現代の書き手でほとんど見ないかな。
僕は、中上健次における柄谷行人みたいな役回りを夢に見てたのね。創作の才能ないから。僕はね。批評は、ある程度の地点まで努力で行けるのよ。
なら、文学をやらないほうがよかった、無駄だったかっていうと、そんなことない。文学は戦いを挑む相手としてはあまりに強大。負けることは決まってる。その「負け方」「負ける途中経過」において、僕の場合には「ああ、自分は批評家型なんだな」ってわからせてくれた。そういう効能がある。
この増田は、批評的知性が優っている感じがあって。自己観察は、もうしなくていいんじゃないかな。ずっと前に蓮實重彦が「魂の唯物論的な擁護のために」って書いててね。蓮實は批評から解釈学にライトに重心を移すんだけど、何だろう、僕が同じころに柄谷をよく読んで学んでいたからかもしれない、創作を、創作者としての自分を愛すること、慈しむことを、忘れてはいけないのじゃないかなって気がする。自己対象化は疎外行為だからね。
書いてよかったよ。いまもポイントだけつまんで読み返したけど、船橋の通りを、首を日に焙られながらスマホでね。ぽろぽろ、涙がこぼれてきて。僕は、2002年2003年の氷河から、この事件を調べることを足場にして、長い時間をかけて立ち上がったんだなって、そうやって、創作が自分には向いていないことを知りながら、十分に予感しながら、僕を育ててくれた数々の物語に、僕なりに、感謝と、「さようなら」を、どうしても告げなくちゃならないと思って(ほんとに当時そう思ったよ)、それで調べて、書いた。犯行動機はそれだけじゃないけど、そんなところは、確かに、ある。
今度、9月に少しまとまった休みがとれそうです。そこで、これによく似た話を書き上げないといけなくて。「いけない」なんてすまし顔の書き方をしたけど、構想段階から、けらけら自分で笑っちゃってて。どうも、ある程度、しっかり調べたの、僕とあと数人くらいしか(残って)いないらしい。こっちは、僕を20代の初めに育ててくれた、歴史と、政治学、思想史への、せめてもの御礼、かな。文庫版になったら解説をね、黄金頭さんにお願いしたい。