昨日の話には、実は続きがある。
ひとつは、テッド・ウィリアムズ(最後の4割打者)が、4割を記録した50年後のセレモニーで見せた振る舞いのこと。
こちらは、ウィキペディアで、さっと、ふふふっと、思っていただけたら。
しかし、最後の打率4割到達から50年後の1991年5月、フェンウェイ・パークにおける記念式典に招かれた際には、「新聞記者達は、ウィリアムズは偏屈で帽子を取ってあいさつもしないと書き続けたが、2度とそんなことは書けないだろう」とスピーチした後、レッドソックスの帽子を振って客席に向かってあいさつした。
いい話だ。より正確に記せば、好きな種類の話。この味わいが、スポーツ新聞に平然と、ごく当たり前のように、毎日だれかしらの手練れ、職人によって載る国があるとしたら、その国は文明度が高いように思う。
話が縒れた。
山際淳司が「ミスター・サイレンス」という時事エッセイを残している。91年6月15日。僕が大学に入った初夏のことである。ドラゴンズの落合博満の沈黙、マスコミとの間に引いた一線を、ふと思い出してひとこと記しておきたかったのだろう。
沈黙をつづける落合は、ファンにとって身近な存在でなくなりつつある。少し遠いところへ行ってしまったかなと思う。しかし、その距離感が、ぼくには貴重に感じられる。星=スターは、距離を置いてこそその輝きを実感できる。落合の沈黙は、その原因はともあれ結果としてほどよい距離をつくりだしている。語らない男の背中を見て何かを感じとるしかない。かれは想像力を刺激してくれる唯一のプロ野球選手かもしれない。
「ミスター・サイレンス」(角川文庫『スタジアムで会おう』P.131)
ここまでだけでも、十分に、いま2010年代には失われてしまったスポーツ・ノンフィクション、スポーツ・エッセイの琥珀色をした何かがあることが伝わってくるだろう。
しかし彼、山際淳司は、いやみなだめ押しにならないように(おそらく、自然に、ならないのだろう)、次のように付け加える。
通算323勝をあげたアメリカ野球の大投手スティーブ・カールトンはかつて落合と同じように一切のインタビューを拒否し、沈黙を守りつづけた。期間は8年。ミスター・サイレンスはそれでもファンから見放されなかった。
この段落によって、僕の頭にはスティーブ・カールトンという名前がしっかりと刻み込まれた。
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(以下、消しました。)