投稿記録を見ると、もう10年も前のこと。秋の夜中の2:14に、投稿子はいったい何をやていたのかという疑念が過ぎぬでもない。しかしそれらは山際さんとケン・モッカが吹き飛ばしてくれるだろう。引用する。
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ケン・モッカ選手の誕生日に山際淳司さんのエッセイを読み直してみました。
「そして今夜もエースが笑う」(角川文庫ISBN4-04-154054-2)。現在では手に入りにくい本だと思います(ブックオフならあるかもしれません)。そこに「いい台詞だった」(P.167-173)という一節があるので紹介します。
書かれたのは1985年だと思います。スポーツ・イラストレイテッドのロン・フィムライト記者が日本の野球を知るために来日し、モッカにインタビューをしました。記者はこう聞きました。
−−もし、日本にくることなくアメリカで野球を続けていたら?
モッカの台詞が実によかった、と山際淳司さんは書きます。
If I'd stayed in the States, I'd probably be nothing more than a writer for SPORTS ILLUSTRATED by now.
−−せいぜいのところ、スポーツ・イラストレイテッドのライターぐらいにしかなれなかっただろうね。
カムストックやバースやクロマティと同じように、アメリカから1980年代に日本に野球をしに来るという屈折をかかえながら日本の野球に溶け込み、みんなから愛され、母国の訳知り顔のライターに対してカウンターパンチを繰り出せる男が、名古屋球場のホットコーナーにいた、そのことを自分はおぼえておきたいと思う、と山際さんは記しています。
「ケン・モッカはシーズンの終盤、まだすべてのゲームが終わる前にクビになってしまった。モッカにとってのラストゲームが終わったあと、ドラゴンズ・ナインはモッカを胴あげしてはなむけとした。」
いい話だと思ったので紹介しました。どなたか、「エピソード」に組み込んでくださればと思います。以上です。
--Cj3029412 2008年9月30日 (火) 02:14 (UTC)
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今回、この断章は、主に id:kash06 さんのために書かれた。私は諸般の事情によって大文字のつく神からは離れて久しいけれど、小文字の、たとえば、モッカやバースのような、個々の思い出の中の神々は、比較的、信じていたいといまでも思う。
モッカは、タイガース贔屓の僕からしても、いいガイジンだった。山際さんは、いちはやくそのことに気づいていた。
発音はモッカではなく抹茶に近いというw