こちらすっかりご無沙汰になっており相済みません。やはり年度末進行は忙しい。
Twitter界隈には山際淳司botが2つあります。どちらも僕です。@yamagiwa21は訳あって放置、破棄。要はログインできなくなってしまいました。万策尽きる。アカウント削除をTwitterに申請する方法をご存知の方いらっしゃいましたらご教示ください。(追記 自己解決しました。アカウント削除申請済です。)
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あらためて、山際淳司とてもよいです。少なく見積もって1冊で20フレーズ。25冊は優にあるから、botツイートは500を超えると思います。
しかしながら、まだ立ち上げて間もないのでつぶやきが少ないです(いま=立ち上げ時40~50くらい)。がっかりという方のために、以下に少し引用しますね。
たしかなことは、頭の中が真っ赤な、真っ黒な、時には真っ白な状態のまま揺れるまで走っていた時期が──短かったけれど──ぼくにはあったということだ。(夏、その2)
有田はいった。「なんでぼくがあんな形で跳びあがったのか。みっともないなと思いましたね」そういいながら、口もとは笑っていた。本当は照れ屋で、心の中には熱いものを持っているのだろう。そんなふうに、ぼくは理解した。(キャッチャー)
翌日の決勝戦、池田は横浜商を3-0で下し、夏、春連覇を達成した。監督はこのエースのことをこういっている──「ガイなやっちゃ」。ガイとは<豪>という字を書く。徳島の方言である。(監督とエースの甲子園)
二階席の屋根があることによって、甲子園球場で放つ鋭い当たりはキューンという金属音をこだまさせた。もう、どんなに鋭い当たりで打っても、ボールがバットに捉えられたときの音しかしないだろうと金田は思った。鉄もまた、徴用されたわけだった。(異邦人たちの天覧試合)
高校生のころ、衣笠はキャッチャーをしていた。「だから今でも私は、キャッチャーをしていたころの衣笠が好きですよ」正子さんはそういった。(バットマンに栄光を─衣笠祥雄の最後のシーズン)
三宅がそれを見たわけではない。指導していた岡先生も見たわけではない。話に聞いただけのことである。ウインド・ミル──風車か、とそのネーミングから思い浮かぶイメージを追い求める日々が、三宅にはあった。(回れ、風車)
「このチームは鉱脈が浅いところにある」と、根本はいう。…鉱脈が深いところにあるチームは優勝を争えるところまでもっていくのに時間がかかるが、ダイエー・ホークスはそうではないというのだ。(オールド・ボーイズ・オブ・サマー)
もし、エデル・ジョフレに勝ってチャンピオンになっていたらどうなっただろうか。自分の人生は一八〇度変わっていただろうと、そういう答えを期待していたのかもしれない。…青木の答えは、こうだった。(正方形の荒野)
ね、いいでしょう?
どうして、昨今のスポーツノンフィクションには、こういう味わいがないんでしょうね。「江夏の21球」がいいのはもちろんですが、山際さんって、こういうワンショットがそれぞれさわやかで、薫風のようなんです。ファンとしては、そちらをもっと評価されてほしい。
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僕にとって、人文学は、ひとつに、大切なことを忘れない練習のためにあります。究極のところ、そのアウトプットは墓碑銘だと僕は思う。
ついでにいえば、すぐれた形で記憶をつなぎ、墓碑銘を残すことができれば、その書き手をライターと呼ぼうが、作家と呼ぼうが、石見人森林太郎と称しようが、おそらくそれは第一義的な問題ではない。
山際淳司を写経する喜び(笑)を、しみじみと感じた次第です。
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あ、もっちさん(id:mocchi_blog)、いつか時間ができたらで構いません。山際淳司の似顔絵、描いていただけませんか。
これを参考にしつつ、ただこれ、おでこが広がり始めた山際さんなので、できれば検索してみつかる、もうちょっと知的な表情でふさふさしているほうでよろしくお願いします。