illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

山本光宏のこと

1年の計は元旦にあり。きのう僕は魂の浄化のために山際淳司をしこたま読んでいた。なぜ、日本中の圧倒的マイナー(ここ点々うって)が、山際淳司のことを支持し、表明しないのかわからない。たとえば、岡崎京子を支持するように。

80年代末から、90年代初頭にかけての、箱根駅伝早明戦の記憶を探ろうとして山際本をめくっていた。わかっていてめくってはいたのだが、箱根駅伝早明戦よりも、いかにも山際さんらしい筆致の2編があったので紹介する。

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オリンピックのイラスト「トライアスロン」 | かわいいフリー素材集 いらすとや

山本光宏のことだ。

知らんだろう。その界隈の方以外には、おそらく知られていまい。しかしいま試みにGoogleの検索窓に山本光宏と、続けて半角スペースを打ち込んでみてほしい。「トライアスロン」。サジェストが出るはずだ。

www.kouenirai.com

トライアスロン大辞典

日本の、トライアスロンの草分けの1人。その輝かしい足跡は、いずれ竹内鉄平がきちんと書き記してくれるだろう。その、竹内の上掲ウェブサイトから引用する。

中山俊行、飯島健二郎らとともに、トライアスロン黎明期を支えた一人。88年に発足した日本発のプロチームアクエリアスのリーダー。88年のハワイではマーク・アレンに次ぐランラップ2位の走りで17位に入る。プロ2年目の89年、バイク練習中に、急に右折してきた車に頭から激突。第1、6、7頚椎骨折、第5胸椎圧迫骨折という、普通の人間であれば即死であったと思われる大事故に遭う。予想を上回る回復力で事故後約1年でレースに復帰。

俺は当時高校2年生から3年生で、アマチュアのアスリートにはそのころから関心をもっていた。いうまでもない山際さんの影響である。であるからしてスポーツ紙か何かの小さな囲み記事で山本の事故を知ったときには衝撃を受けた。俺はもうこの人はだめだろうと思った。大学に入ったら取材をしたかった1人だ。もちろん山際さんか海老沢さんのスタッフとしてである。

結果からいえば、彼、山本光宏は奇跡の復活を遂げる。当時、いくどか、ジャーナリズムにも取り上げられた。山際淳司も、彼のことを記している。たった2編。山際作品はすべて読みその多くを暗唱している俺が、その数えるほどしかない約束の地を保証する。

つまり、その2編こそ、いま、もう2017年になったか、かれこれ20年ほど(つまり山際さん亡きあと)日本のスポーツジャーナリズムから失われた珠玉であると俺は述べたいのだが、例によってうまくいえない。

買え。ポチれ。心あるぴょんぴょん虫たちよ。 

スタジアムで会おう

スタジアムで会おう

 

 

スタジアムで会おう (角川文庫)

スタジアムで会おう (角川文庫)

 

「アイアンマン」(角川文庫P.128)「アイアンマン PART 2」(同P.142)。

二年前の夏のある午後、千葉県内の国道で自転車と車の衝突事故が起きた。下りの坂道をおりてきたレース用のバイク(自転車のこと)は時速50キロをこえている。反対車線から車が右折しようとしているのに気づいたときバイクはブレーキをかけて止まれる状態ではなかった。そのまま車に衝突、ペダルをこいでいた男は意識を失った。

病院にかつぎこまれたのは山本光宏。日本では数少ないプロのトライアスリートの1人である。

山際「アイアンマン」P.128

しかしうまいねえ。読点が2つしかない。それでいてバイクの疾走感とカッコ書きの優しさと、状況説明を過不足なく尽くしている。おいNumber、スポーツ各紙、阿呆じゃないのかねお前たちは。なぜこういうのが書けないのかね。

*

ま、買ってくれ。何なら「ほしいものリスト」に入れてくれりゃ俺が送ってもいい。昨今ではAmazonの古本屋でも見かけないがな。何を隠そう俺の手元にあるのは上のリンク「Kindle版」の、元の文庫版だ。10年ほど前からBOOKOFFでしこしこと買い占めた甲斐があった。もう文庫の弾は市場にほとんど残っていないだろう。あったら教えてくれ。俺が買うから。

*

長いが引用する。付き合ってくれ給え。山際淳司の真骨頂ともいうべき2段落である。うむ。

事故から1年8カ月が経過した今年の4月(引用者注-1991年。記事は同年6月8日の日付。俺が大学に入学した年の初夏のことだ)、例年、宮古島で行われている全日本トライアスロンに山本光宏は姿を見せた。試合に出てこられるくらいまでよく回復したものだといわれた。最初の種目、約3キロ水泳で山本が17位でゴールに入ってくると、誰もが驚いた。バイクが終わると山本の順位は8位にまであがっていた。最後のフルマラソンで山本に抜かれた選手たちは愕然としたにちがいない。まさか、あの山本が……。総合タイムで7時間49分24秒。山本光宏は3位で最終ゴールに戻ってきた。

同P.128

凡庸な書き手なら、これに寸言を付しておしまいにするだろう。淡々と、しかし興奮さめやらぬ口調で山際さんはレースの俯瞰実況を行う。若々しい(引用者注-とはいえ当時43歳だ)驚きを、少し交えるところがいかにも彼らしい。

そして俺がこの人(山際/山本)をすげえなと思うのは次の段落である。

絵に描いたようなカムバック・ストーリーが、時折、現実のスポーツシーンの中に姿をあらわす。「あきらめちゃいけないということですね」。27歳、ストーリーの主人公は屈託のない笑顔を浮かべていた。7月に行われる琵琶湖大会は秋のハワイ島トライアスロンの予選も兼ねている。山本の目標は、ハワイ島での上位入賞。まるでうそのような、ドラマ仕立ての結末を、ぼくは望みたくなった。

同P.128

うむ。御意。ぽんと膝を打つ。野暮だね(談志)。しょうがねえだろう(憤怒)。なんでこういう作品が世の中にあふれてねえんだ。俺はそのことをいってんだ。細けえことをいうと「あきらめちゃいけない」こういうのは本人にいわせるんだ。地の文で語っちゃだめなんだぜ。

*

野暮ついでに、もう2つ。

第1点。山本は、琵琶湖大会で5位に入賞した。そのことは前掲書所収の「アイアンマン PART2」で紹介されている。

第2点。ざっと見渡した限りでは、1冊の山際アンソロジーで、2回以上、アスリートが主人公として登場するのは、江夏豊落合博満、津田真男、山本光宏の4人。アマチュアでは、津田と山本の2人だけである。だれかこのことを、多摩市在住の山本に、伝えて差し上げてほしい。25年。少なくとも、山際さんと俺の2人は、そして多くのトライアスリートは、そのことをほほえましく噛みしめ、彼の変わらぬ活躍を祈り、祝杯を献じることだろう。乾杯。