illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

押し引きの話

辞書を引く。これよくわからないです。本棚に辞書がある。手をかける。引く。手に辞書が残る。でっていう。

そうじゃないですよね。字引きといういいかたがあって、こちらがおそらく古いでしょう。字を辞書で引く。「で」です。これ、格助詞「を」の興味深い用法で、目的格のように見せて役割は手段の「で」であって、本来の目的語(「字義を」)は別にあるというタイプ。まれにあります。

ただその用例をいま思い出せない。すみません。それでずっと半日ほどこの記事を書けずにいました。ただ、きっとある。

僕も自分の「秘密ノート」にそこまでは付けていなかった。見坊豪紀先生ならきっと付けていらっしゃったろうと思います。

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それで、というわけではないですが、ちょっと別の話。「引く」。

《相手をつかんで、抵抗があっても、自分の手許へ直線的に近づける意》

大野晋ほか「岩波古語辞典」P.1104

すばらしいですね。すばらしい。これは物理の作用反作用の説明かというくらいに意を尽くしている。また、相撲の技の説明にもなっている。どうでもいい個人的な話ですが、自分が身を引くのは後からの用法なんですね。

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で、引くの対(つい)は何かっちゅうと「押す」ですわ。

《面積あるいは量を持つものの、上面または側面に密着して力を加える意》

同P.221

すばらしい。引くときに密着は難しい。何かしらもうひとつの技を要します。

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ちなみに、もうひとつ引いてみましょうか。「加(くは)ふ」。

《クハヘ(銜)と同根。添えて合わせる》

同P.422

銜とはハミのことです。馬が口にくわえるあれのことです。咥(くわ)えると銜(くわ)えるがここでつながる。ハミは喰むやね。

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さらに行きます。「足す」。

《不足なものを加えておぎなう》

同P.799

岩波古語辞典には「足す」の用例も乏しくて、あんまり大した語彙でないことが自ずとわかります。大野晋先生の好みの語彙でなかった感じがします。

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で、まあいいんです。大野先生のことは。わかる人ぞという感じで。ちょっと今日お話ししようと思ったのは、

「引く」はベクトルの性質を内包している。「押す」にもある。対して、「加える」にはほぼない。「足す」にもない。「押し算引き算」のほうが、人文的にも幾何的にも納まりがはるかにいい。いまいちど引きます。

引く《相手をつかんで、抵抗があっても、自分の手許へ直線的に近づける意》

押す《面積あるいは量を持つものの、上面または側面に密着して力を加える意》

きれいに対応している。それがなぜ、「押し算引き算」ではなく、「足し算引き算」というのか。「足す」なんて語義からしてマイナスを前提している。

何かしらの歴史性があると思うのですが。

案外、こういうシンプルな問いの答えが、判明していないものです。

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まあ「収穫は副産物に常にあり」(575 僕の作です)と申しまして、クハヘ(銜。ハミ)と加へが同根らしいということ。これはさすが大野先生の着眼卓見です。

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そう、ありましたね。押すと引くの対称性に関して――「押してダメなら引いてみな」

以上です。お粗末さまでした(ね、基本語義に関して、私たちは何もわかっとらんのです)。

このあとケアが必須のこと

禁欲していらっしゃいますので私が勇み足気味に腑分けをします。

まずは任命権者(菅義偉)の事前の調整不足です。河野太郎だって唐突に感じるでしょう。それを感じさせないように調整をするのが政治の力。

次にいくら唐突でレク前だろうと、大臣は官僚という生き物を理解してやらないといけない。主だったところは、

(1)そうはいっても親分(大臣)の顔を立てる。すなわち官僚としてはプロの仕事を抜かりなく行ったとして、親分が「デタラメだ」といったらデタラメを(至らなさといいかえて)(見つけ(たふりをし)て)正す動きを取らざるを得ない。また、とってしまう。

(2)その表裏ですが、一方で当然のプライドがある。官僚の気持ちには何らかのしこりは残る。だってそもそもデタラメじゃないですからね。

(3)「ツイッターより先に自分らにいってくれ」というのがある。

(4)仄聞するに、否、せずとも、上から下まで官僚はぎりぎりで働いている。そこに突然、横ラインの親会社から上司が天下ってきて、いきなり仕事を増やした。なぜか広報だけは率先してやっている。

(5)経産、厚労、に加えて今回のワクチン、で調整は膨れ上がる。

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(3)が大きいかな。人だからね。

みーちゃんと春を待ち望む

今日辺りは、まだ少し早いけれど、船橋大寒から節分への移り変わりの近いことを思わせる陽気でした。

春は待ち望むものなので、訪れはだれでも気づきます。対して、秋は、あまり望まれない。収穫の秋は待ち遠しい。けれどそれ以外の秋は大方、切ないものとして感受されてきただろうと思います。

したがって秋の訪れは「もう来ていたか」という気付きの詠嘆とともに紡がれる。春は「春なのに」と、春の到来を所与として、にもかかわらずの形で語られる。

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写真は2018年3月末の、神田か御茶の水かな。

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2年前の春先だったか、つい、ベランダ側のガラス引き戸を半開きにして、あまりの陽気のよさにそのまま居眠りをしてしまい、5分か10分、みーちゃんをベランダに出してしまったことがありました(犯罪告白)。

猛烈にうろたえて、背を腰を尻尾をぐっと押さえて、無理矢理に部屋に引きずり戻しました。みーちゃんはわけがわからず、激しく抵抗し、僕は右手中指に爪と歯をきつく立てられました。

後から思えば、みーちゃんのじっとしている格好は、脱走を企てたというのではなく、マインスイーパで陣地を広げて、その1歩2歩先に危ないものがないかじっと観察する姿でした。

これはみーちゃんとの付き合いが長くなって思い返したことです。みーちゃんはむやみに遠出するのではなく、まず地歩を固め、温めることに時間を使う(案外慎重な)タイプです。

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みーちゃんは激しいけれどむやみなことをしない。部屋に引き戻したあとしばらくは僕を避けていましたが、その後はずっと「かまってちゃん」です。

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みーちゃんに好かれる人生でよかったと、つくづく思います。ふとした瞬間に、みーちゃんに支えられていることに気付かされます。

おそらく開催なしに舵を切った

おそらく開催なしに舵を切ったメッセージです。

mainichi.jp

「勝った証」ということは勝たなければ証になりません。当たり前の話で、これまでもこのロジックは生きていたけれど、ずるずると今日に至った経緯が集団催眠を補強していた。

風向きが変わったことを感じさせたのはTBSで報じられているこれです。

news.tbs.co.jp

1980年モスクワ五輪不参加のときの流れをそっくりなぞっています。

 

www.mofa.go.jp

mofaの1980年のページが淡々と時系列を残しています。

今後は{国連|WHO}、IOCJOCという順番で、開催不可能の神託が天下ってきます。これに、森喜朗菅義偉川淵三郎も粛然たる面持ちで「致し方ない」の芝居を打つ流れです。矢面に立つのが山下泰裕橋本聖子(による記者会見)です。僕は小泉進次郎滝川クリステルもぜひ同席すべきと考えます。

芝居はいいとして、1980年モスクワ不参加から40年、日本は五輪開催を内面化、内在化することができなかった。本来なら、国連やWHOやIOCJOC森喜朗が何といおうと、「五輪を何としても開催したい」という国民の沸々たる願いが、いまこのコロナ禍にあって、五輪開催に向けた自ずからの粛々とした行いに結びつく、それが筋です。それができない、つまり民族体質の転換に失敗したわが方にも、非がなかったとはいわない。

付言すれば、この先の歴史の必然は次のようになります。

2032年の開催に向けていまいちど五輪開催の意味を問う。国内外の世論を広く喚起する。11年先の未来を見通すベクトルは同時に10年前の福島を想像する視角を用意するでしょう。五輪{準備|開催}経済についてはその道の方にお譲りします。

おれのくーくーちゃん

おれのくーくーちゃんは毎夜2時半や4時半におれの寝ているベッドの近くにやってきて「ふにゃあ」と鳴く。

初め、それは「お腹が空いたよ」の合図と思っていた。

けれどご飯を出しても食べる気配を見せることが少ない。たいていはパトロールをしてそのまま「ほかほかのわな」に落ち着く。安心はしてくれたらしい。

くーちゃんが自分や食欲のためだけに鳴くのではないと気づいたのは、わりと最近のこと。

おそらく、パトロールで気づいた(少しは、下僕に対する寂しさもあってほしい)。それは欲というよりは秩序、普段からこうあるという世界認識に関わることで、くーちゃんの世界では、気づいたときにご飯が用意されているのが正しい。

この秩序の訴えの感覚は伝えるのが難しくて、僕も子供のころに、何が不安というのではなく、庭や部屋を見て回って、いつもと違う何かに気づいたときには、そのことをばあさんに伝えに行った。

必ずしもお腹が空いていたわけではないが、伝えに行くとばあさんはとうもろこしやホットケーキを出してくれた。多くの場合、食べて、安心して、昼寝をした。

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いつもの春一番の話 #病室にWiFiを

毎年恒例いつもの春一番の話です。

ton.5ch.net

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ハッシュタグ「#病室にWiFiを」をたまたま目にしまして、思い出したフレーズがあるので引用します。

ことQOL(Quality of Life)に関して入院中のよよん君の最大のテーマは、食事、一時帰宅、それから病棟でのインターネット回線の確保でした。

いくら洋ちゃんの好物やいうても、入院中にあんなにたくさんのコーラを飲ませてくれる先生は、ほかにはよう存じません。

「家に帰りたい」と駄々をこねたときもそうでした。すぐには帰せないまでも、どういう条件が整えば何日くらいなら家にいても大丈夫かを懸命に考えてくれはった。インターネットにつなぐのでも、ふつうはいろんな医療機器に影響が出るといけないからといって許可は下りないでしょう。それをあの子は既成事実というんですか、まずノートパソコンを持ってきてくれ、いうから持っていくと今度はPHSを契約したい、といって。わたしたちは洋ちゃんが何をやっているのかさっぱりわかりませんから、できるだけのことをしてやりたい、その一心で機械を揃えますでしょう。

「母さん、病院は電波の入りが悪いなあ」

 なんていってみたりしてね。知らないなりに「そうかあ。洋ちゃん、それ、アンテナ建てたらええんとちゃう。アンテナっていくらするの」といったら、「基地局いうんや。母さんが気軽に建てたり買ったりできるようなものやったらよかったんやけどなあ」って。

 そんなやり取りを含めて、井上先生は知ってか知らずか、おそらく知ってはったのでしょう、見すごしてくれました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886329995/episodes/1177354054886330013

というように、そこには、主治医(井上先生)との信頼とふたつながらの共同共犯関係がありました。なぜ、よよん君は入院先からのインターネット接続にこだわったのか。

それは単に自分のQOLのことだけではなかった。だれが取材したのか知りませんがよう記録に残しとるわ。これはこれで拙いながら大したもんや。

アメリカでは、10代、20代の白血病にかかった人たちがインターネットで情報交換する場所があるんやって。僕も日本で同じことをやってみたい、いうたら、井上先生、相談に乗ってくれるやろか」

 頭で考えた本音と、気持ちの本音とでは少しちがうかもしれませんが、洋ちゃんの夢をひとつの具体的な形にしたら、そんなところにあったのは確かやったろうと思います。

彼、よよん君は2002年当時23歳にして、インターネットというものの本質と可能性をちゃんと掴んでいる。それは発信ということです。少しだけ背を伸ばしてね。

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ね。「ブロガー」ということばがまだほとんど萌芽したかしないかの時期です。

https://dk4130523.hatenablog.com/entry/2017/12/16/102135

この点はこれ以上はやめておきます。今日はあと2つほど。

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僕、よよん君のこの件に深く関わることがなかったら、いまでいう医療従事者のみなさんの存在に想像を働かせることの、いまよりもずっと少ない人生だったろうと、思います。

もうひとついうと、当時(2002年)、いまから考えればある意味で整合するんだけど、現場の方々がインターネットでその声を自由に発信する機会があって、それを僕らコミュニティ外の人間が生の形で見るということは、まず新鮮な驚きでした。

当時の2ちゃんねるの医療板というのは、vipperで(゚∀゚)アヒャ アヒャいっていた僕にとっても、それはおそろしい深海、深淵でありました。

吐き出していかないと、身命が保たない。割に合わない高貴な職業だと思います。いまでも。あるいは、いままさに、この状況で。

よよん君がいま生きていたなら、「わかって」いたと思います。そうしてかつての主治医の元に手紙を書いたんじゃないかな。change.orgとかの社会運動をするタイプじゃないし。

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なぜ、墓参りを続けるのか、どうしたら納得するのか――という非常に切実な問いかけを、先日、ホマレ姉さん(id:homare-temujin)からいただきました。ひとつふたつ、答えがあります。

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まずひとつめ。

映画「タイタニック」の感動のポイントが、僕は大方の方からズレている。ディカプリオが沈んだ後、生き延びたケイト・ウィンスレットが、ふたりの見果てぬ(小さな)夢、目標だったことを、実現していきますね。

タイタニック」は1997年の映画です。97年当時はつまらなかった。仕方なく同時代に迎合して話題を合わせるために見た。当時もいまも、そりゃ興行収益はいいでしょうが、史実に比べたら型通りのどうということのない映画です。

それが、2002年から2003年にかけてよよん君のことを知り、ものすごい衝撃を受けて、自分でなぜこの話を追うのかと、それはもう四六時中、頭の中にありました。いまだって、その余波で生きているようなものです。そのときに、ある日、5、6年前に見た「タイタニック」結び近くが脳裏をよぎる。ケイト・ウィンスレット、ええことしとるやないかと。

でね、ひとつ思ったことがある。おれは見届けよう、と。よよん君の見果てぬ目になれたらとね。おれは目だけは子供のころからよかった。よよん君の角膜は本人の遺志とご家族の希望によって献体(献眼)されています。「これだけのことを見ておれは何もしなかったらもぬけの殻だ」と、「どうしたらいい」と、手探りで、希望を見出した。そんな遠い記憶があります。

*

次、ふたつめ。

でね(笑。いきなり笑うけど)、だいたい、よよん君の願い、見通したことは、2002年当時からいま2021年現在、そして未来へと、線が途絶えずに、むしろ光の輪郭をより明瞭にさせて、伸びている。そのことを、日々のネット活動で、ふとした折に、確かめることができる。

別に盲信や神格化をしているわけではないです。

反対に、ただの普通の、どこにでもいる(いないけどね)、22歳23歳の男の子が、見たもの、感じたもの、願ったもの――先ほどそれを僕は萌芽と呼びましたが――が、ときおり、間欠泉のように、インターネット上で、見知らぬ人と人とを結ぶ、モールス信号のように働くのを、見ることがある。あります。

ケイト・ウィンスレットは、主に自分が、やった。ディカプリオの遺志を継いだ。

僕は不思議だなあと思うのは、よよん君の願いが、いまだに(それを知る人にも知らない人にも)、共鳴の弦として機能しているんじゃないかということです。(身)びいきというのはあるけどね。

ただ例えば、じゃあブルーインパルス飛ばしましょう、飛びましたといったときに、よよん君は、やんわりと、反対を表明したんじゃないかという気がする。反対というか、われ関せずというか。あるいは、2ちゃんねるにスレッドを立てたかもしれない。立てないか。立てないわな。

余談ですが、彼は少しだけ不機嫌になったことがあって、「何で吉井怜さんだけが特別扱いされるの? 芸能人だから?」って。吉井さんすみません。そういうことじゃないんです。でもよよん君正しい。

話を戻して、食事、帰宅、インターネット、ご両親、兄弟姉妹、友だち、主治医の先生、ネットでたまたま知り合った通りすがりの謎の(血液グループ)先生、大切なおばあちゃんねこ、ゲーム――それで彼はよかった。

で、なんだっけ。そう、そこから外れちゃいけないと思うんです。暮らしというのはね。そこにあえて一歩だけ踏み込んで付言すれば、「病室にWiFi」というのは、可能性の(細い。細いけれど確かな。貧者の強い)糸です。いま、コロナ禍にあって、白血病を宿している方が(当然のように)いらっしゃいます。彼ら彼女たちもまた、圧迫、影響を受けているに違いない。その声に、想像を及ばせ、思いを馳せる。

入院先の病室からの「内側からの」具体的な手段として、輪郭が「病室にWiFiを」という声の形をとる。よよん君は、100パーセント、賛同していたと思います。