毎年恒例いつもの春一番の話です。
ton.5ch.net
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ハッシュタグ「#病室にWiFiを」をたまたま目にしまして、思い出したフレーズがあるので引用します。
ことQOL(Quality of Life)に関して入院中のよよん君の最大のテーマは、食事、一時帰宅、それから病棟でのインターネット回線の確保でした。
いくら洋ちゃんの好物やいうても、入院中にあんなにたくさんのコーラを飲ませてくれる先生は、ほかにはよう存じません。
「家に帰りたい」と駄々をこねたときもそうでした。すぐには帰せないまでも、どういう条件が整えば何日くらいなら家にいても大丈夫かを懸命に考えてくれはった。インターネットにつなぐのでも、ふつうはいろんな医療機器に影響が出るといけないからといって許可は下りないでしょう。それをあの子は既成事実というんですか、まずノートパソコンを持ってきてくれ、いうから持っていくと今度はPHSを契約したい、といって。わたしたちは洋ちゃんが何をやっているのかさっぱりわかりませんから、できるだけのことをしてやりたい、その一心で機械を揃えますでしょう。
「母さん、病院は電波の入りが悪いなあ」
なんていってみたりしてね。知らないなりに「そうかあ。洋ちゃん、それ、アンテナ建てたらええんとちゃう。アンテナっていくらするの」といったら、「基地局いうんや。母さんが気軽に建てたり買ったりできるようなものやったらよかったんやけどなあ」って。
そんなやり取りを含めて、井上先生は知ってか知らずか、おそらく知ってはったのでしょう、見すごしてくれました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886329995/episodes/1177354054886330013
というように、そこには、主治医(井上先生)との信頼とふたつながらの共同共犯関係がありました。なぜ、よよん君は入院先からのインターネット接続にこだわったのか。
それは単に自分のQOLのことだけではなかった。だれが取材したのか知りませんがよう記録に残しとるわ。これはこれで拙いながら大したもんや。
「アメリカでは、10代、20代の白血病にかかった人たちがインターネットで情報交換する場所があるんやって。僕も日本で同じことをやってみたい、いうたら、井上先生、相談に乗ってくれるやろか」
頭で考えた本音と、気持ちの本音とでは少しちがうかもしれませんが、洋ちゃんの夢をひとつの具体的な形にしたら、そんなところにあったのは確かやったろうと思います。
彼、よよん君は2002年当時23歳にして、インターネットというものの本質と可能性をちゃんと掴んでいる。それは発信ということです。少しだけ背を伸ばしてね。
ね。「ブロガー」ということばがまだほとんど萌芽したかしないかの時期です。
https://dk4130523.hatenablog.com/entry/2017/12/16/102135
この点はこれ以上はやめておきます。今日はあと2つほど。
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僕、よよん君のこの件に深く関わることがなかったら、いまでいう医療従事者のみなさんの存在に想像を働かせることの、いまよりもずっと少ない人生だったろうと、思います。
もうひとついうと、当時(2002年)、いまから考えればある意味で整合するんだけど、現場の方々がインターネットでその声を自由に発信する機会があって、それを僕らコミュニティ外の人間が生の形で見るということは、まず新鮮な驚きでした。
当時の2ちゃんねるの医療板というのは、vipperで(゚∀゚)アヒャ アヒャいっていた僕にとっても、それはおそろしい深海、深淵でありました。
吐き出していかないと、身命が保たない。割に合わない高貴な職業だと思います。いまでも。あるいは、いままさに、この状況で。
よよん君がいま生きていたなら、「わかって」いたと思います。そうしてかつての主治医の元に手紙を書いたんじゃないかな。change.orgとかの社会運動をするタイプじゃないし。
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なぜ、墓参りを続けるのか、どうしたら納得するのか――という非常に切実な問いかけを、先日、ホマレ姉さん(id:homare-temujin)からいただきました。ひとつふたつ、答えがあります。
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まずひとつめ。
映画「タイタニック」の感動のポイントが、僕は大方の方からズレている。ディカプリオが沈んだ後、生き延びたケイト・ウィンスレットが、ふたりの見果てぬ(小さな)夢、目標だったことを、実現していきますね。
「タイタニック」は1997年の映画です。97年当時はつまらなかった。仕方なく同時代に迎合して話題を合わせるために見た。当時もいまも、そりゃ興行収益はいいでしょうが、史実に比べたら型通りのどうということのない映画です。
それが、2002年から2003年にかけてよよん君のことを知り、ものすごい衝撃を受けて、自分でなぜこの話を追うのかと、それはもう四六時中、頭の中にありました。いまだって、その余波で生きているようなものです。そのときに、ある日、5、6年前に見た「タイタニック」結び近くが脳裏をよぎる。ケイト・ウィンスレット、ええことしとるやないかと。
でね、ひとつ思ったことがある。おれは見届けよう、と。よよん君の見果てぬ目になれたらとね。おれは目だけは子供のころからよかった。よよん君の角膜は本人の遺志とご家族の希望によって献体(献眼)されています。「これだけのことを見ておれは何もしなかったらもぬけの殻だ」と、「どうしたらいい」と、手探りで、希望を見出した。そんな遠い記憶があります。
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次、ふたつめ。
でね(笑。いきなり笑うけど)、だいたい、よよん君の願い、見通したことは、2002年当時からいま2021年現在、そして未来へと、線が途絶えずに、むしろ光の輪郭をより明瞭にさせて、伸びている。そのことを、日々のネット活動で、ふとした折に、確かめることができる。
別に盲信や神格化をしているわけではないです。
反対に、ただの普通の、どこにでもいる(いないけどね)、22歳23歳の男の子が、見たもの、感じたもの、願ったもの――先ほどそれを僕は萌芽と呼びましたが――が、ときおり、間欠泉のように、インターネット上で、見知らぬ人と人とを結ぶ、モールス信号のように働くのを、見ることがある。あります。
ケイト・ウィンスレットは、主に自分が、やった。ディカプリオの遺志を継いだ。
僕は不思議だなあと思うのは、よよん君の願いが、いまだに(それを知る人にも知らない人にも)、共鳴の弦として機能しているんじゃないかということです。(身)びいきというのはあるけどね。
ただ例えば、じゃあブルーインパルス飛ばしましょう、飛びましたといったときに、よよん君は、やんわりと、反対を表明したんじゃないかという気がする。反対というか、われ関せずというか。あるいは、2ちゃんねるにスレッドを立てたかもしれない。立てないか。立てないわな。
余談ですが、彼は少しだけ不機嫌になったことがあって、「何で吉井怜さんだけが特別扱いされるの? 芸能人だから?」って。吉井さんすみません。そういうことじゃないんです。でもよよん君正しい。
話を戻して、食事、帰宅、インターネット、ご両親、兄弟姉妹、友だち、主治医の先生、ネットでたまたま知り合った通りすがりの謎の(血液グループ)先生、大切なおばあちゃんねこ、ゲーム――それで彼はよかった。
で、なんだっけ。そう、そこから外れちゃいけないと思うんです。暮らしというのはね。そこにあえて一歩だけ踏み込んで付言すれば、「病室にWiFi」というのは、可能性の(細い。細いけれど確かな。貧者の強い)糸です。いま、コロナ禍にあって、白血病を宿している方が(当然のように)いらっしゃいます。彼ら彼女たちもまた、圧迫、影響を受けているに違いない。その声に、想像を及ばせ、思いを馳せる。
入院先の病室からの「内側からの」具体的な手段として、輪郭が「病室にWiFiを」という声の形をとる。よよん君は、100パーセント、賛同していたと思います。