illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

センター試験の思い出

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

91年1月のセンター試験は雪でした。自宅から宇都宮大学の工学部まで母に車を出してもらいました。熱が38度少々あり、僕は小さいころから勝負事には熱を出すタイプだったので勝利を確信しました。もちろんうそです。冷や冷やしていました。母は若干、不機嫌だったと思います。二次試験に勝ち目は薄いと思っていました。センターは割と本気で満点を取りに行きました。

それはさておき今日の本題は3つです。

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ひとつは、中学時代の同級生との再会です。中学は男女共学で国立の進学校でした。男女それぞれ90人のうち、男子35人、女子45人が男女別の県立トップ校に進みます。進めなくても私学の2番手校に特待生待遇で行きます。

その、本命にはちょっとしたはずみで落ちてしまった彼らと試験会場で再開します。それが楽しかった。というのは、中学時代にいまのことばでいう「やんちゃ」を相当に一緒になってやったんですね。それが3年経って、みんなそれぞれに狙うべきところを狙いに来ている。国立だと東大、阪大、東北大、北大。私立だと六大学。互いに照れもあって志望校を隠そうとはするんですが、まあ噂になります。

「娑婆僧が出世したな」

なんて互いに。どちらかというと、中学時代は力をためてちゃらちゃらやっている風に見せているのが、秘めたものを照れながら出しに来ていた。それが僕らにとってのセンター試験でした。少しだけ、大人になったなと思いました。

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その、具体的にいまからでも受験に役立つノウハウを3点ほど。

受験生のみなさん1/16, 1/17はセンター試験ですね。いまからできること2つありますのでシェア。
1) ブドウ糖 or 氷砂糖を試験当日朝食べる。持参する。バナナもおすすめ。チョコレートより氷砂糖
2) 夜(1/15, 1/16)の半身浴。とにかく十分に眠ることです

— nekohanahime (@nekohanahime) 2021年1月14日

表の鳥ワールドにも書いてきたんですが、大切です。また、いわゆる受験指導歴の裏打ちもあります。もう1,000人の手前くらいはクラスでも個別でも見てきたので間違いないでしょう。効率よく脳のエネルギーを摂ること、十分に(早めに)眠ることです。これに尽きます。

いまひとつは、3) 自己採点。自己採点は大切にしてください。特に間違ったところ、内容は、潰しておくことです。これをやらないと二次で万一、同じ内容が出たときにダメージが大きい。そういうのは避けるべきです。

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おしまいに、大人になりきれていない話。

僕はサラリーマン稼業(本職)の傍ら、受験指導を長く続けてきたこともあって、25歳くらいのときから毎年ほぼ欠かさずセンター試験(本番)を模擬受験しています。800点満点中の700点は維持しています(エヘン)。文系理系を問わず、基礎教養だと思います。数学をやっておいてよかった。国語(特に現代文)は、年々、出題に眉をしかめることが多いです。

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結果、僕は758点だったかな。受験生のみなさん、がんばってくださいね。

おれのみーちゃん

みーちゃんが、すごい(暇さえあえば)構って、遊んでほしがっていて、もうべったり。PCデスクに向かっているときはキーボードの手前で身をすくめ、足元に香箱を組んで、ときおり足を爪でちょいちょいする。

喉をごろごろ鳴らしてくれる。「遊んでほしい」の尻尾をする。

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おそらく、くーちゃんが一番で、自分はその次という察しと遠慮がある。その隙を問答無用で突いてくる。突いてくるときには自分が唯一圧倒的の一番さんだ。

その様がかなり熱烈なので、思うところはないではない。時間的空間的物理的な制約が、下僕といえど、ないわけではない。どうしても付きまとう。

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しかしその圧倒的なアピールにおれは思い直す。改悛した。みーちゃんがおれに構ってほしがらなくなったときのことを想像してみる。「おれは猛烈に後悔するのだろう」と思う。ふさふさのもふもふを、なでて差し上げる。

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いちどは里子に出されたが、その熱烈のあまり、里親が持て余して、譲渡会に戻ってきたと聞く。

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頭がよく、場を読み、遠慮すべきところはして、しなくていいところと見極めたらデスクに乗り、動かない。強引に、生の倦怠を切り開く。おれのみーちゃん。

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意味のわからない日本語「お帰りなさい」

帰宅した人(主に家人)に「お帰りなさい」。これ「(ようこそ)お帰りなさい(ました)」などと説明されることもありますが、いずれにせよ意味がわからない。帰って来たばかりの人に輪をかけて「帰れ」って。

「ただいま(帰りました)」(いま帰ってきた!)

「お帰りなさい」(なぜ「ようこそ」「ました」を省く成り立ちなのか)

かといって、

「ただいま」

「ようこそ」

これも収まりがよくない。大野晋も触れていなかった気がする。ひとつ解釈があるとしたら、例えば主(あるじ)の帰宅を、家人Aが主に向かっていうと同時に、家人B, C, D...に対して「(ご主人様が)お帰りなさい(ました)」と伝える役割を果たすというもの。

でもやっぱり「ました」を省略するのは他に用例を見ない。例えば、「おやすみなさい」は「ました」の省略ではない。「いただきます」は「ます」を略して「いただき」「いただく」とはいわない。

おれのくーちゃん

この数日はこの冬一番の冷え込みを感じる。

くーちゃんがこのところ、「ほかほかのわな」よりも、畳んで無造作に置いてある掛け布団の上から沈み込んで寝るのを好んでいる。

エアコンの暖気の通り道というのはある。もともと、どんなねこちゃんでもそうだと思うのだけれど、背後を優しく包まれるのが好きだった。安心するのだろう。

たまに顔を上げて僕が料理をするのを見ている。できるだけ音を立てないようにしている。

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妹に聞かせたい噺家

妹(いろいろと省略)に聞かせたい噺家をちょっと考えて――というのは「落語は見聞きしておいたほうがいいのでしょうか」と尋ねられて――、現役の色物はこれはもう決まっていて、マギー司郎と紙切の正楽さん。音曲の小菊師匠。

噺のほうでは――思わず、ことばに詰まってしまい――三木助志ん朝米朝、枝雀、吉朝黒門町、あ、談志。志ん生。おれの好きな噺家は、みんなもういない。

当代名人の名高い柳家喬太郎さん。こういう接し方はよくないと思う。思うけれど、芸事は、30年寝かして、「ああ、あんとき聞いとくんだった。惜しかった」と地団駄を踏むのが味であって。よくないね。鈴本か、末廣か、自分でもいま足を運んでおきたい気持ちはある。

同時に、上に引いたお歴々のよさをやっぱり話したくて、困ったなあ。

規則正しいくーちゃん

くーちゃんはとても規則正しい生活のリズムを刻んでいて、朝4時と夕方4時に「にゃーん🐈」と鳴きかけてきます。

ご飯を出します。でもすぐには食べません。僕がロフトのベッドから起きて下に降りてきて、くーちゃんをケアするかどうか確かめているのだと思います。

*

僕が外から帰ってきてくーちゃんの姿が見えないと「くーちゃん🐈くーちゃん🐈」と声をかけます。たいてい出窓かロフトで寝ています。

 

向田邦子 宇都宮時代の2軒めの家があった辺り

向田邦子(1929-1981)が、宇都宮時代に暮らした2軒めの家があった辺りです。ちゃんと特定している愛好家の方がいらしてびっくりしました。

www.tokyo-kurenaidan.com

宇都宮で生まれ育ち、国語を習っていても、案外、向田邦子が宇都宮に縁のあったことを知らない人は多いと思います。僕は父方が彼女、向田さんが宇都宮で2番めに暮らした町、西大寛(にしだいかん)にたまたま家を持っていまして、昭和末年、中高時代にはたまに出入りしていました。

そうすると、少し文学に関心のある年配の人の口から、「昔、すぐそこに向田さんが過ごしていた家があって、いまは持ち主が変わっちゃったけど……彼女(向田さん)もお父様が保険会社の転勤族でしょう?」なんていう話が聞けた。何せ1980年代というのは彼女が台湾の飛行機事故で亡くなった(1981)記憶が新しい。

著作には数えるほどしか出てこないんですが、いろいろ総合すると、ほぼここで間違いないです。

https://goo.gl/maps/Kd3qYxuGMpBp735bA

種明かしはちょっと出来ないんですが、まあ、向田著作を丹念に読み拾い、宇都宮でちょっと調べる気になったら分かります。上にリンクを貼った愛好家の方、むしろよく突き止めたなと思います。

ご参考まで当時の西大寛はいま操(みさお)町といって、宇都宮女子高校の同窓会が操会、かつて併設していた幼稚園がみさお幼稚園です。地元で立候補するには操会の取りまとめが欠かせないという、隠然たる実力組織です――冗談ですが――ちょっと見ると、僕の中学の同級生が出てきたりします。

向田さんは小学校1年1学期までで宇都宮を離れ、高松に移ります。