illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

僕が「これは到底敵わない」と思った日のこと

たんぽぽさん、長回しの語りも読ませるよね。

tanpopotanpopo.hatenablog.com

読後のお礼に、僕が「これは到底敵わない」と思った日のことを書きます。

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https://web.archive.org/web/20021005073747/http://www.eurus.dti.ne.jp:80/~yoyoyo/nyuuin/toubyou/toubyou0/toubyou0.htm

実は、この後、よよん君の病気は再発します。そのときのことはまた別に記します。

私は、この筆致、声、彼の人柄、心持ちを思うたびに、自分にはこれは到底書けないと思います。彼の心優しさによって、夾雑物が自然に削ぎ落とされた後の、流れるような言葉遣い。

まだ、22歳のときに記したものだと思います。

別に難しいことを、あるいは決然たる何かを記しているのではない。まったく、彼の言葉の進め方そのもの、その通りなんです。

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ウィキペディアセカンド・オピニオン」の項には次のようにあります。

セカンドオピニオン(英: Second opinion)とは、よりよい決断をするために、当事者以外の専門的な知識を持った第三者に求める「意見」、または「意見を求める行為」のことである。

セカンド・オピニオン - Wikipedia

行為そのもの(行為が立ち上ろうとするその瞬間のこと)を指すんですね。制度/制度化されれたもののこと、ではなくて。それも何も医療に限ったことではない。自分はもっとよりよい方向を目指して、A、B、C、…の中からどれかを選んで生きていきたいんだけれど、詳しい人、どう思う? って表明すること。手を伸ばす/伸ばそうとすること。

そこにはもちろん、話し方、尋ね方、その流儀お作法というのが自ずからあって、僕はいつもそれを「内容ではなく声」って書いたり口にしたりするんですが、意識を高く持つことではないんです。本音、でもない。自然体のまま、ごく普通に日常に曲がり角で道を選ぶときに、一歩だけ立ち止まって考えてみたくなるような瞬間のこと。

柳父章先生の仰るように、外来語にはパッケージ効果、カセット効果というのがあるんですね。オンブズマンなんかもそうです。セカンド・オピニオンもそう。何かしらそのような制度ありきで、西欧には「在る」だから日本も追いついて「在らねばならぬ」みたいな働きが生じてしまう。

よよん君は決してそんなことは口にしない。思いもしない。自分が「逃病日記」で書いたこと、2ちゃんねるのあのスレッドで「医者ってさ」と語り始めたことが、セカンド・オピニオンであるなどと夢にも思っていないし、制度化以前の、自然な人としての気持ちに根付いた何かであるかなどという自意識も、持たない。

医者ってさ・・・

医者ってさ・・・1 名前: 卵の名無しさん 投稿日: 02/02/20 15:41 id:esQjFoFu
マヌケ多くない? 

俺が入院してる病棟にマヌケが多いだけなのかなあ・・・。 
なんか「えっ?」と思うような常識が抜けているというか。 
もちろんしっかりした医者もいますが。 

とりあえず研修医みてる限りでは命あずけるの不安です。 

このスレッドに登場する医師の先生方は、「うんうんその通り。ありがとう。よよん君の言葉、気持ちを、もっと読みたい」ってみなさん仰る。

それは取りも直さず、先生方が、そのような品のいい「地肌」の部分で、患者さんから「求められたかった」。もっといえば、確かに自分は「そのこと」のために、少し昔の医学生あるいは研修医の頃に、医師を目指したはずだという思いがあったからだと僕は思います。

よよん君の声が、それらを引き出すんです。どうしてそんなことが可能だったのか、僕にはいまだに判らない。

主治医のI先生も、主治医というお立場で引き出された、紛れもないお一人でした。今日、手紙を書いて出します。

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翻って、たんぽぽさんの叙述に。

死ぬのは怖くないと言いながら、さっきの私の態度は何だろう?私は病気や障害をまるで何かの権利を手にしたかのように声高に叫ぶ人が大嫌いだ。なのに、私のした事はそれと何ら変わらない。私は病気だ。しかも難病だ。だから周りは私に気を遣え。優しくしろ。いたわれ。親切にしろ。私を苛立たせるな。大事にしろ。何なら私を愛してくれ?

馬鹿かと。

発病してたった2週間でもうこれである。私は病気になったけれど最後までプライドを持って生きていく。対症療法の薬が効いて月が見えた時、本当に嬉しかった。

白い巨塔に彷徨う病む人の戯れ言 - w a k u r a b a

続く一文はとりわけ名文だと思うのだけれど、思うところあって引用しない。何より、みなさんに味わってほしいからです。

必ずしも、僕はたんぽぽさんの口調が荒れているだとか、よよん君と比べて云々ということをいっているのではない(笑)。私はむしろこのような「やさぐれ」を叙述に昇華するところに、たんぽぽさんの精進と強さを見る。つまりこれはたんぽぽさんの芸であって、このようなやるせなさを、受け入れてくれる先生は、間違いなくいらっしゃる。僕はそのことを知っている。固有名具体的ではなくて、時代を信じるかどうかという話になってしまうのだけれど。

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対面で、数少ない診察の機会で適切に、「そのようなこと」までも、キャッチボールできるかというと、これはやはりなかなか難しいことと思います。そんな先生に、患者さんに、出会えたら、それは奇跡に近い。だめ押しでいえば、2002年当時の2ちゃんねるには、そのような場が存在したかのような夢、幻を僕は見たのです。

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たんぽぽさんのご快癒を、心よりお祈り申し上げます。

船橋海神