illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おそらく開催なしに舵を切った

おそらく開催なしに舵を切ったメッセージです。

mainichi.jp

「勝った証」ということは勝たなければ証になりません。当たり前の話で、これまでもこのロジックは生きていたけれど、ずるずると今日に至った経緯が集団催眠を補強していた。

風向きが変わったことを感じさせたのはTBSで報じられているこれです。

news.tbs.co.jp

1980年モスクワ五輪不参加のときの流れをそっくりなぞっています。

 

www.mofa.go.jp

mofaの1980年のページが淡々と時系列を残しています。

今後は{国連|WHO}、IOCJOCという順番で、開催不可能の神託が天下ってきます。これに、森喜朗菅義偉川淵三郎も粛然たる面持ちで「致し方ない」の芝居を打つ流れです。矢面に立つのが山下泰裕橋本聖子(による記者会見)です。僕は小泉進次郎滝川クリステルもぜひ同席すべきと考えます。

芝居はいいとして、1980年モスクワ不参加から40年、日本は五輪開催を内面化、内在化することができなかった。本来なら、国連やWHOやIOCJOC森喜朗が何といおうと、「五輪を何としても開催したい」という国民の沸々たる願いが、いまこのコロナ禍にあって、五輪開催に向けた自ずからの粛々とした行いに結びつく、それが筋です。それができない、つまり民族体質の転換に失敗したわが方にも、非がなかったとはいわない。

付言すれば、この先の歴史の必然は次のようになります。

2032年の開催に向けていまいちど五輪開催の意味を問う。国内外の世論を広く喚起する。11年先の未来を見通すベクトルは同時に10年前の福島を想像する視角を用意するでしょう。五輪{準備|開催}経済についてはその道の方にお譲りします。