illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おふくろ(1949-2001)にね。いまの姿を見せてみたかったというのはある。「見せたかった」ではないよ。「見せ「てみ」たかった」。

おれの父親というのは自分のことを「おれに対する最もよき批評家」だと位置づけて悦に入って、勘違いしていた、そのまま世を去るのだと思う。

おふくろは(終生。おれもいまになっていまさら気づいたことだが)自分のことを「おれに対する最もよき批評家」などという自意識は持たなかっただろうと思う。「わたしのもの」だと。それだけだったと思う。

その鋭角さが長くピンとこなかった。

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広岡達朗のことが好きでね。

ずっといってたよ。「広岡は格好よかった」「次に格好よかったのは高田繁」。

スマートさの水面下にある努力、泥臭さ、をちらりとでも出してしまうプレイヤーをほとんど生理的に嫌っていたんだと思う。

その延長に、新庄剛志が来る。

東京ドームに連れてってさ。もう、子宮頸がんがわかってた。おふくろすげえなと思ったのは、informed concentの初回の初っ端で主治医が「何かお知りになりたいことはありますか」に対し「あと何年何か月生きられますか」。お前さあ(笑)。そこから(北関東弁では「そっから」)入るか...入る(な)よなあ。主治医が必ずしも倅と同じ回転をするわけじゃねえんだよ(笑)。

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2000年8月末の巨人戦。15-1の大敗だったと思う。細かいことはもうよく覚えていない。老眼だし(笑)。

新庄のホームランだけで大喜びしてたよ、おふくろ。「元とった」って。もちろん、おれが阪神ファンということを知っていて。彼女はもともと(おそらく)ジャイアンツファンなんだよ。高田繁から先、応援(に値)する選手が見つからなかったのだろう。「松井は野暮ったくて見ていられない」「斎藤は格好わるい。何あの顔」「新庄は格好いい」。ここで親父が「あれがスターだ」という(余計な)解釈をさしはさむ。おふくろは受け流す。

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おれに何を願ったのかな。おふくろが他界した年齢月齢をたぶんちょうど越えた辺りだろう(訂。あと1年と少しか)。おれなりにベストは尽くしたんだけどな。期待には(それなりに)(十分に)沿うたと思うよ。何せおれは宇都宮の昭和29年に旧市街に組み込まれた田舎の百姓の(見なし)惣領で。「そのことを忘れてはだめよ」と訓示を(繰り返し)(諄いほどに)頂戴してさ(笑)、一方で数秒後には「(性差別ではないけれど)男子たるもの海に出なさい」。それで海(比喩)に出て放っておくと親父から「たまには電話をかけてやってくれ。待ってるんだよ」って。おれにしてみたら「うるせえバーカ」「てめえが何とかしろ。てめえの責任だろ。インチキクソ野郎。一生その「根回し批評家ごっこ」やって過ごすつもりか。いい身分だな」(もちろんその通り電話で述べる)。

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もうちょっと、話しとくべきだったな(笑)。とはいえ、ことさらの「孝行」なんてお題目のついたものは、まっぴらごめん、だったろうな。「自分が息子と話したいときに話す」。それ一本の人だった。ということは、もっと、話し(ておき)たいことがあったんだろう。知ったことか――飲み込んでさ、「おれにも精一杯だった。わるかった。おふくろも目いっぱい、持ちこたえたわけよな。なら、おれだって限界だよ」って。病床で謝ったんだよ。したっくれ(栃木弁)おふくろは「ありがとうね」って。お前さあ(笑)。その中間はねえのか中間は。

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迷ったよ。体躯の薄さに、上半身を、背を、抱(いだ)いてやるべきだったか。握手はしたけど。おふくろにしたら、掌(たなごころ)と指の薄さ細さを、倅に感じさせ(取られ)たくはなかったはずだ。「海辺の光景」(安岡章太郎)が、おれの頭をよぎった。

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id:toya さんにinspireされて思わず(恥を)(笑)書いてしまった。

toya.hatenablog.com

toyaさんのは歴史だ。おれのは何だ?(笑)。口承(非)伝承かな。明日にだって消えてなくなるさ。そうじゃねえんだ。いいたかったことは。自愛しとくれ。toyaさん定期健診を欠かさずに。うまいもん食ってさ。旅して。しっかり十分に休んで。同じ時代に語り合ったんだってことを、かりそめにしたって、刻んでおきたい。刻んでおこうぞ。理論的感性的支柱はここにある。

goldhead.hatenablog.com

余計なお世話を書くなとは書いていない。酒送っとく(笑)。