illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

若い読者のための黄金頭さん案内(1)

黄金頭さんが昨日(2021年2月9日)、「わいせつえんとつの町」を上梓されました。ちょうど彼のこと、そして彼の作品群を、僕もそろそろ本格的にレビューに付していい頃合いではないかと考え、村上春樹「若い読者のための短編小説案内」を繰っているところでした。

黄金頭さんをすでにご存知の方にも、そうでない方にも簡単に彼のオンラインで伺い知ることのできるプロフィールを引いて紹介しておくと、次のようになります。

未年(おそらく1979年。昭和54年)の2月22日生まれ。鎌倉育ち横浜市中区在住。周辺的正社員。コンスタンチンくんが火傷の治療を受けた病院で生まれ。高卒の低収入賃労働者。双極性障害(II型)で、うんざりしており、うんざりするようなことしかつぶやかない、カープと競馬を愛する、やりとりをしない人。反出生主義者

これは、彼がブログやtwitterで公開しているプロフィールや断片をつなぎあわせてまとめたものです。多くの方はこれらに対し、初見で逃げ腰、及び腰になるのではないでしょうか。かくいう僕もそうでした。しかし一方で、彼のテキストを、特にここ5年ほど、2016年以降に彼が記した物語群身辺雑記に触れた方は、そうしたプロフィールから受けるのとはひと味もふた味も違った印象を受け取るのではないかと思います。

そして、その49対51くらいの比率でポジティブな印象は、バスタブにお湯の満ちるように、読み手の感受性をひたひたと侵食して、「ひょっとして」「あるいは」「ははーん」と思わせるものではないでしょうか。今回の僕の記事は、その「ひょっとして」の手前くらいにいる方を一応の対象としています。

 

僕の話を少しだけすると、

丑年(1973年。昭和48年)の3月に、栃木県の宇都宮市というところに生まれ、現在は千葉県船橋市で起居しています。ここ半年ほどはフルタイムの仕事はお休みし、充電中。足利育ちの母方の祖父の感受性を引き継ぎランディ・バースの次くらいに、ひところは競馬を愛していました。

僕が黄金頭さんの記事を見知ったのは、2014年頃でした。当時、モスクワに駐在しており、あれは確か中島敦「李陵」をようやくわかりかけてきたかなというころです。「李陵」というのは――あくまでも僕にとっては、ということですが――モスクワ・メトロの中で、初めて、大陸の空気と共に、胸にすうっと入ってきた作品です。駐在先に隣接するモスクワ風のマンションに戻り、何かしら書いておきたいと思って中島敦を、埴谷雄高を、長谷川四郎を、松田道雄を検索していたときに、偶然にヒットして、「黄金頭」という文字の並びを見かけました。「共産趣味者かくかたりき」というエントリーだったと思います。

いまどき、珍しい人がいるものだなと思いました。というのは、僕の父親が全共闘で、僕は同級生を含め、同時代の人たちと話の通じないことにうんざりするような30年を、ものごころついて以来このかた、送ってきたからです。

中島と埴谷までなら、まあまあ通じます。長谷川四郎でアウト、アメリカ横断ウルトラクイズで脱落して、幾度、徒歩で大西洋を渡ってきたか知れません。松田道雄はなおさらです。それがこの人は、悠々と、「趣味者」という直観的な理解でもって引き当てている。ねこの写真もある。何者なんだろうというのが、テキストを通じた僕の初対面で受けた印象でした。

 

申し訳ありません、もう少し、僕の話を。それは、僕が心ひそかに自分だけの主戦場としてきた、スポーツ・ノンフィクションについてもいえました。僕は山際淳司研究のおそらく国内の第一人者です。山際淳司を語るということは、最低限、沢木耕太郎を、海老沢泰久を、玉木正之を、虫明亜呂無を、寺山修司を、別冊宝島シリーズを語ることと同義です。そのはずです。濃淡はあれ、彼、黄金頭さんは、ほぼすべて押さえている。加えて、渋沢龍彦を、近藤唯之も(近藤唯之はすべて読んでいるという趣旨のことを、本記事の公開後にご本人から伺いました。近藤唯之め)。

初期の山際淳司が好んだフィールドの固有名詞に、横浜市体育館、本牧伊勢佐木町、横浜港、河合ジム、上大岡、桜木町、石川町、元町、などがあります。彼は1948年、当時の横須賀逗子町の生まれで、内陸栃木に生まれた僕にとっては、憧れの場所でした。そこに、いま、脚をずったらずったらと曳きながら、僕と同じ好きなことを――僕よりも遥か高みにある文体と感性で――いま、紡いで(くれて)いる人がいる。

まさか、いるとは思いませんでした

 

必要最小限と思いつつ、僕の話が長くなりましたので、彼、黄金頭さんの作品と語り口の魅力と、それらに親しむ喜びについて、今日は3点だけ、そっと触れたいと思います。

ひとつは、彼は、(おそらく、ほぼ間違いなく、物語作家としては殊に)受け身の資質です。

3年ほど前、阪神競馬場と、御茶の水で、彼と会って話したことがあります。そのときに僕は(どうしても知りたいと思って)、

「わいせつ」シリーズは、どうやって生まれた、着想したのですか。

と、尋ねました。ここで尋ねなくては、専属文芸評論家を自称する名折れというものです。

彼は(図書館で借りた詩集か哲学書を競馬新聞に包んで小脇に挟み)、

ああいうのは、きっかけがいるんです。何もないと、ちょっと書けないでしょう。

そう、少し照れたように答えてくれました。僕は「ははーん(この人は本物だ)」と確信(を新たに)しました。何もないとちょっと書けないというのは、何かがあれば書けるということです。最新作の「わいせつえんとつの町」にも、その彼の特徴、持ち味がよく出ていると思いませんか。オリジナルを、あっさり、抜き去ってしまう。

黄金頭さんはおそらくご自身をステイヤー寄り、マイラーよりは長い距離を得意とするタイプと思っていらっしゃると思います。しかしそのステイヤーが、ひとたび鞭をひとつしならせると、するするしゅーっと、静かに、まだ3ハロンどころか4ハロンもあるのに。僕が、黄金頭さんマルゼンスキー説を唱える所以です。

あるいは、こういってもいい。仮に、「えんとつ」のリファレンス先、原作が「メジャー」だとして(僕はそんなことつゆほども思いませんけれど)、黄金頭さんは、決まって、それに対するカウンター、引っ掛かりとして、自身の作品を着想し、縦横に、自家薬篭中のものとする。してしまう。しかも、抜き去った馬のことをいささかも傷つけない。抜かれたほうは、「切った風」が何だったのか、気づく暇がない。

戯作者には、少し遠く山東京伝、近くには井上ひさし、山藤章ニといったお名前が浮かびます。マッド・アマノや、ナンシー関でもいい。彼らの作品には、批判という名の、若干の攻撃性が伴ってしまう。もちろん否定的に見ているのではありません。最高にすばらしい。

それに対し黄金頭さんは、まるで、他者を攻撃するリスクがいささかでも生じるくらいなら、物語中で静かに息をひそめて、鶴を折り続けることを身上としているみたいだ。

そのような類型にぴたっとはまる先行者は、近現代の作家にあっては、ちょっと見当たらない。極めて例外的なタイプといっていいのではないでしょうか。

 

さて、ふたつめは、彼の作品は、二面性があるということです。ポリフォニーであり、そのポリフォニックな特質を、身辺雑記と、物語とで、ここ数年で十分に発揮できる土壌が、彼の中で整いつつある。

「出し入れ」と、僕は個人的に呼んでいますが、北別府のコントロールのように、ことばの出し入れというのは、これは実に隠微に、テクニックを要し、書き手にとっては生涯その息遣いにまつわるテーマといっていいものです。

これは多くの書き手が明治の原文一致(の不首尾)以来、頭を悩ませてきたところです。たとえば、丸谷才一などはわりと近しく思い浮かぶでしょう。

その丸谷を例にとると、エッセイでも小説でも、それらの最高峰を取りつまんでみても、あるいは対談でも、やっぱり、定着した、丸谷の声なんですね。

対して黄金頭さんは、エッセイ(はてなブログで日々、私たち読者を楽しませてくれる身辺雑記がその代表例です)と、物語(わいせつシリーズ)とで、声の透明度が、明確に違う。もちろん同じ人格ですから重なるところはある。大きい。けれど、ここでは、差、距離にこそ僕は注目したい。丸谷は成熟し、完成し、他界し、文学史に確固たる名をとどめた戦後の名手です。その意味でも黄金頭さんを比較の遡上に乗せることはフェアではないかもしれない。

しかし、一方でそのことは(ご自身は否定なさるかもしれないけれど)、黄金頭さんの成熟期と完成期と名声は、差を認めた分だけ、まだこれから先にあることを意味する。そう、思いませんか。

 

今回のおしまいに、みっつめです。彼は、意味で語ることをしません。しないというか、しないことを旨とする、あるいは、意味で語ることを苦手とする、ということはこっそり指摘しておきたいと思います。

それは申し訳ないのですがBooks & Appsさんのことです。おそらく、黄金頭さんは、あるテーマを「はい」と渡されて(訂、大まかには、字数だけを渡されていると本稿の公開後に、ご本人から伺いました。それでも趣旨を損ねることはないだろうと思います)、オピニオンを読者に向けることを――いま現在は――あまり得意にしていない(「少数の者たちへの手紙」に似つかわしい、彼らしい繊細な距離感を、いまはまだ、掴みきれていない?)のではないかということです。それが証拠に、これは多くの黄金頭さん愛好家のみなさんには納得していただけると思うのですが、彼のBooks & Appsさん記事公開後に、はてなブログのほうに戻ってきて、そこで「ふうっ」と肩の力を抜いて、裏話、楽屋話をするときの筆致が、<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡(水を得た魚)の姿なのですね。

僕などは、Books & Appsさんの記事が出ると、すぐさま楽屋のほうで待機をします。吉田茂だったか、先の大戦中に、大磯の別邸に、戦時下は禁制だった噺家を忍びで呼んで、艶話(一例として、疝気の虫)を聞くのを好んだという話を何かで読みました。また、これは黒門町だったでしょうか、あの名人と呼ばれた黒門町文楽にして、高座にかけるよりも、おもしろさは楽屋噺が上回ったとか。

黄金頭さんはある意味で、サービス精神が旺盛な方です。プレッシャーになってしまうとよくないので小声で書くにとどめますが、楽屋噺を欠かしたことがない。少し、局面は違いますが、楽屋噺に通じる彼ののびのびとした持ち味は、まるで深夜放送のDJみたいようなものだと感じるときがあります。

ご自身を含めた、少数の者への手紙が届くことを、彼は(その反出生主義的な、ないしは厭世的な哲学に関わらず)受け入れているように、僕には見えます。

 

話が長くなりました。まだほかにも彼のことはたくさん書けることがあります。それらは次回以降に譲るとして、みなさんにお伝えしたいことがある。それは、黄金頭さんをひとりにしてはいけないということです。いけないというか、「世界はひとりではない」と、読者である僕たちわたしたちひとりひとりのことばとして、拙くてもいい、はがきを投函しましょう。彼はそれを「お恵み」と受け取るかと思います(この点については「恵む」「貢ぐ」の対を軸として僕には訴えたいことが両手に余るほどあります)。大丈夫、まだまだ受け取れます。

そうだ、思い出した逸話がある。かつて自分が書いた記事から引かせてください。山際淳司か、常盤新平からの、受け売りです。

俺ははてな界隈の辺境、海辺なのだか崖の縁なのだか、に暮らすある文人のファンだ。彼は滅多にスターを付けないことでも知られる。

テッド・ウィリアムズは―若い頃から気難しがりやで知られていた―引退試合でも普段通りにプレーし、セレモニーも、ファンサービスも行わなかった。ばかりか、ファンの声援に帽子をとって応えることもせず、つまり一切を拒否した、そのように見えた。

「神は返信しない」(“Gods don't answer letters.”)

当時「ザ・ニューヨーカー」の記者を務めていた(作家になる前の)ジョン・アップダイクは、そう記して偉大なる三冠王のことを称えた。

 https://dk4130523.hatenablog.com/entry/2018/02/06/202109

たまに、黄金頭さんは、僕のようなところにも、そっとスターを置いてくれることがあります。神は確かに「やりとりをしない」。だからといって、神をひとりにして、それでよしとするのは、もったいない話です。

 

かつて、夏目漱石柳家小さんと同時代に生きる幸せ(仕合せ)を語った。自分が漱石だとは烏滸がましくて申すつもりは毛頭ございませんが、たとえ漱石でなくても、否、むしろ漱石でない私たちひとりひとりが、その感受性の全体と片言隻語でもって、「推しに萌ゆる」こと。山際淳司なき後、僕は黄金頭さんと出会えたことを、終生の宝と思って(そのように彼にも伝え、何ひとつ御恩を返せずにいることを申し訳なく感じて)います。

 

続きはまた来週にでも。まだあと3点5点、こと黄金頭さんに関して、話すことには事欠きませぬ。主なキーワードだけ挙げておきます。第三の新人田村隆一、意味から響きへ、二次創作と「わいせつ石こうの村」、榎本喜八(!)。

 

2021年2月

船橋海神

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)