illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

トリックスター(1986年の産駒)の話

お題「#買って良かった2020

黄金頭さんの先日の記事に触発されて3冊め(実家に2冊)となる「競馬名馬読本」(別冊宝島143)を注文して、いま手元に届いた。ざっとめくって、ライター陣に「よしだみほ」「杉作J太郎」「佐藤洋一郎(著者紹介で字数とりすぎ)」「阿部珠樹」「山本隆司」「かなざわいっせい」といった、いまに連なる面々のお名前を懐かしく確かめた。 

いろいろ紹介したい箇所、お馬さんはようけおるのだが、選りすぐって柏木集保の「トリックスター」を引きたい。トリックスターといってもかれこれ30年も前の馬。ピンとくる方は少なかろう。

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日刊競馬柏木集保は90年頃、つまりそれはまだ栃木県足利市足利競馬場があって、僕もたまに足を運んでいたころなのだけれど(その話はまた別口でする)、やたらと「リボー系」「大物の予感」「未完」といったフレーズで、トリックスターを推していた。結果からいえば鞍上中舘でダービーに一度出走した(1989)だけの馬である。

「そうじゃない」と、柏木は背筋をしゃんとする。われわれに背筋をしゃんとすることを半ば自然に要請する。われわれは自ずと柏木のいい分に耳を傾ける。彼の、「競馬名馬読本」に寄せた(P.148)89年のダービーに敗れたところからの筆致がすばらしい。まるごと引用せざるを得ない。

しかし、実際のダービー展開では、前半から馬群にもまれ、まるで見せ場もなく20着で入線。レース後、骨にヒビが入っていたことが判明した。ケガは軽度のもので、レースに影響を与えるようなものではなかった。

 

その後も完全に治ってからは、前述したとおり17戦も連続してたえず1、2番人気に支持されながら、わずか1勝を加えただけで勝ち切れないでいるトリックスターは、ほんとにただの馬なのだろうか。

言葉を挟むことを許してほしい。「は、ほんとにただの馬なのだろうか」こう紡げるのが、柏木のよさである。並の腕力ではこうは書けない。いま、こう言の葉を継いで面を切るライター、書き手は居るまい。続けよう。

トリックスターの合計7回を数える2着のうち、首差とか頭差の写真判定で2着に負けているケースが5回もある。

 

運が悪かったのではなく、その2着5回はいつもいったんは先頭に躍り出て、最後に差し返されている。前にいる馬を抜こうとし、一瞬素晴らしい闘志を見せ、確実に相手に競り勝っている。

この直後に続く結びがまた素晴らしい。

自分の方が強く、明らかに競り勝ってみせたのに、どうして自分が勝者として評価されないのか、どうして認めてもらえないのか分からず、トリックスターはやがて競り合うことに熱意を失ってしまった。

これで終わりでもない。凡百の書き手ならここで結ぶ。別段、結んだところでおかしくないエッセイの閉じ方である。全体的なテキストの質も、まとまりも悪くない。それを柏木は続け、そして筆を擱く。

充実の5歳時、トリックスターは、ゴールの地点で先頭を通過しなければ1着馬でないことをずっと知らない馬だったのだろう。

柏木にいま「わが生涯最強馬は」と尋ねたら、あるいはトリックスターと答えるかもしれない。答えはしないだろうが――

ともあれ、このような70年代80年代の感受性の残り火が、30年、ひと世代前の91年秋の本に継がれていたことは、読み手を――ある種の限定的な局面で(誤った方向にかもしれないが)――勇気づけるものだと、それだけを拙者どうしてもいいたくてここに来た。

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タイトルだけでいえば『まだ見ぬ冬の悲しみも』だけれど。

立原道造か。中原中也か。黄金頭さんは清水成駿推しと聞く。僕は格別、柏木集保推しというのではないけれど(むしろ佐藤洋一郎という懐かしい名前に膝を打った)、ぱらぱらとめくって、時代を越えて読み手に隠喩するものが、きっとあるのだろう。

改めて、柏木の筆を僕の講釈抜きで引用する。

しかし、実際のダービー展開では、前半から馬群にもまれ、まるで見せ場もなく20着で入線。レース後、骨にヒビが入っていたことが判明した。ケガは軽度のもので、レースに影響を与えるようなものではなかった。

 

その後も完全に治ってからは、前述したとおり17戦も連続してたえず1、2番人気に支持されながら、わずか1勝を加えただけで勝ち切れないでいるトリックスターは、ほんとにただの馬なのだろうか。

 

トリックスターの合計7回を数える2着のうち、首差とか頭差の写真判定で2着に負けているケースが5回もある。

 

運が悪かったのではなく、その2着5回はいつもいったんは先頭に躍り出て、最後に差し返されている。前にいる馬を抜こうとし、一瞬素晴らしい闘志を見せ、確実に相手に競り勝っている。

 

自分の方が強く、明らかに競り勝ってみせたのに、どうして自分が勝者として評価されないのか、どうして認めてもらえないのか分からず、トリックスターはやがて競り合うことに熱意を失ってしまった。充実の5歳時、トリックスターは、ゴールの地点で先頭を通過しなければ1着馬でないことをずっと知らない馬だったのだろう。

前掲書P.148

来年も、各馬どうぞご無事で。そして、よいお年を。