こんばんは。近年いちどだけ、左右関係なしに天籟の通(かよ)った日のあったことを思い返しました。
3月16日のことです。
お前ら X DAY やめて差し上げてね - illegal function call in 1980s
天籟について自分のエントリーから引用します。
天籟。てんらい。ふたつめかみっつめの意味に「詩文の調子が自然で、すぐれていること。絶妙の詩文」とある。またちなみに、桶谷秀昭が昭和20年8月15日にこのひとつめの意味「天然に発する響き。風が物に当たって鳴る音など」を聞いたとする新聞記事を後に引いて、司馬遼太郎と書簡をやりとりしている。
「復活の日」準備日記#0007 石田紋次郎の謎に迫る - illegal function call in 1980s
https://twitter.com/nekohanahime/status/1344253229765332995
自然(めいた)災害のときには左右対立を越えて結集しやすい民族文化体質とでもいうのかな。
「国民が避難していないのに、あり得ない」
それが、自然として捉えられない文脈や位相になると立ちどころに対立する。左の中でも。そこを取り結ぶのは「上からの」「絆」スローガンではなく、絶えざる実践としての「対話」(丸山真男)でしょう。氷山の下の厚み、確かさを手探りで確かめ合う行為です。信仰告白ですが、事実だと思います。そしていま最も頼れる対話のインフラはインターネットです。
昨日、大恩寺さんから礼状が(僕なんかのところに)届きました。黄金頭さんの「手紙」を僕は信頼します。それはwattoさんの同時代に言及する倦むことのないエントリーに感じるものと、極めて近接する性質のものです。耳をそばだてれば、案外、天籟は遍在することに気付かされます。2020年の僕の感覚面、思想面での到達点はそこでした。
取り急ぎ、以上です。