現代五輪が「見る」スポーツの姿をとらざるを得ない以上、行われている間には不完全であり続けます。競技の翌朝に人々が見て間もないことを「感動」として語り合うのは、それらの不完全を埋め尽くそうとする本能的な衝動です。
しかし語りもまた揮発性が高い。そこで記す種族の出番と相成ります。記す種族は競技翌朝からさらに少しの時間差で、また別の形で欠落を埋め、定着を図る、息の長い黒子です。
私は2021年東京五輪の公式レポーターにすばらしいスポーツライターの乙武洋匡を、記者筆頭に大作家のはあちゅうを、それら文学の宣伝主任には、天才編集者の箕輪厚介をそれぞれ強く推したい。彼らを措いて2021年東京五輪を「完全」たらしめるのは、なるほど困難です。
同じ理由で、記録映画の製作委員会は電通が牽引するのがよいでしょう。みなさんよく理解されている通りです。
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1964年東京五輪のWikipedia記事の一節をご覧ください。「#東京オリンピック開催が日本にもたらした影響」
みなさん、今般のコロナ禍でのこれと似た列挙尽くしの形式に見覚えがありませんか。
(書き手本人もおそらく意図せずしてそうなった。だから本物だと私はたびたび申し上げております)ジャーナル(記録)を、心あるみなさんなら、つい先日、某読み方不詳ハンドルさんおなじみの巧みで控えめな、それでいて情報量は圧倒的な文体で堪能されたはずです。
どことは申しません(申したように見えるのは住所表記です。場所はあくまでも想像力の裡にあるのです)。「うろ覚え」と題された約束の地、フィールド・オブ・ドリームスによく似た形をとっていました。私はすばらしいものを読んだ。
完全な五輪はみなさんがお好きになさればいい。さりとて、誇りというものがございます。我が方、不完全な五輪陣営、とりわけ斯界の至宝たる主筆には、鐚(びた)いち触れさせないので、覚悟しておくがいいです。