illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

榎本喜八にひとことだけ触れて放り投げる執筆姿勢はさすがによくないです(前略Number Web様、鼠入昌史様)

前略Number Web様、鼠入昌史様

榎本喜八だなんだといってもピンとこないに違いない」

ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある? - プロ野球 - Number Web - ナンバー

この執筆姿勢はよくないです。

記事末尾にたった1、2行、引用すればいいだけ。

沢木耕太郎、松井浩、どちらの著作からでもいい。また、ウィキペディアからでもいい。

1977年に東京スタジアムが取り壊されることになった時には、榎本は毎日工事現場にやってきて、その一部始終を見守っていた。

榎本喜八 - Wikipedia

理由は2つあります。

東京スタジアム榎本喜八のものです。榎本の晩年は東京スタジアムとともにあった。

もう1つは、文春さんが沢木耕太郎「さらば 宝石」の結びに応えないでいいのかな。

あるいは、彼が求めているのは、ヒット中のヒット、完璧なヒットという幻なのかもしれない。必死に走りつづけていたE――榎本喜八の姿が眼に浮ん(原文ママ)だ時、ふとそう思ったりした。

沢木耕太郎「さらば 宝石」P.228 文春文庫『敗れざる者たち』所収

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ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?

記事タイトルの問いかけに、私が答えます。

私はいまでも、中野区鷺宮の自宅から、榎本は――さすがにお年ですからたまに――不忍池を経て、南千住までの往復42キロの道のりを走っていると思います。いまでも、バットを振っていると思います。そうでなければ、これだけ多くの人が、亡くなって間もなく9年になろうというのに、榎本、榎本というはずがありません。

榎本の全盛期は、先の東京五輪(1964)の時期でもありました。榎本は――私、繰り返しますが――東京スタジアム跡地を、いまでも不思議な気持ちと面持ちで、見守っていると思います。

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)