明日7/2、中澤系の墓参りのため茅ヶ崎まで。そこで、評伝を書かせてほしいと妹さんとご家族にお願いをしてくるつもりです。
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ねこちゃんがやたらと登場しているのはねこちゃんが私をゆり動かすからである。
その中澤系、おそらくもっとも人口に膾炙し、その名声を不動のものにしたのは次の2首であろう。
- ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
- 3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
この、師にあたる岡井隆さんが寄せたエッセイがすばらしい。引用する。(「中澤系歌集 uta0001.txt」)
中澤さんは、先づ、大きな身体の男であった。それなのに声は小さく、少し吃音気味に早口で話した。総体的には、寡黙で、しゃべるのは下手で、歌の批評なども、同じことを考へ考へくりかへしたので、きいてゐてじれつたくなつた。しかし、あのころの若者たちは、揃つて、話すことが嫌ひのやうに思へた。
(中略)
一番困つたのは、個人的に「あなたは今、なにを読んでゐますか。今までどういふ経緯をへて短歌を作つて来ましたか云々」といつた話し合ひの成立しないことが多かつたことである。だから、中澤さん(だけでなく)についても、人の噂で聞いてゐただけである。出身校なども、今度「編集後記」を読んで初めて知つた。また、そこが、あのころの若者たちの、おもしろいところでもあつた。なんとなく謎ぶくみであつた。
実はこの歌集の刊行には経緯があって、中澤は2002年春、31歳のときに副腎白質ジストロフィーの診断を受ける。病が進むなか、「一介のサラリーマンとして生きるだけでは何も残らない。歌集を出すことで自分の生きた証を残したい」とかつて話していたことを母や妹が思い出し、中澤も所属していた未来短歌会のさいかち真を経て出版されるに至る。
再び引用する。
あれから、かれこれ三年経つて、母君のご意思もあり、さいかちさんの努力もあつて、この歌集が出る。わたしは、ちよつと、言ふに言はれぬ心境で、腕をこまねいて、ゲラをみたり、天井を仰いだりしてゐる。歌人は大てい長いマラソン競技に出るのだが、中澤さんの走りは、まだ始まつたばかりだつたのである。
中澤は2009年4月24日に亡くなる。享年38。岡井隆さんの「わたしは、ちよつと、言ふに言はれぬ心境で、腕をこまねいて、ゲラをみたり、天井を仰いだりしてゐる。」がさすがに歌人の言葉遣いであり、なかなか書けるフレーズではなく、私はにこにこして、腕組みをし、塚本邦雄、寺山修司と並ぶ中澤のこの「師」(1928-)にお会して話を引き出し、録音テープと書き起こしを残したいと思うのなら、いましかないと腹を括った。
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さっそく妹の書家、中澤瓈光さんをひょろーしてDMを送った。DMには、評伝は僕でなくてもいい。ただ、中澤系の軌跡を残すお手伝いをさせていただけるのならと書いた。そうしたところ、望外にも7月2日つまり明日だ、お墓参りに同行させていただけることになった。
宮台真司のテレクラ話を除けば、本書のパッケージングは完璧。
「中澤系歌集」に寄せた岡井隆さんのエッセイがすばらしい。宮台真司は気持ちはわかるいつものテレクラ話。それを補い巻末を「飾る」と形容するにふさわしいのが妹さんによる追悼。みそひともじから90年代を表象する書物として破格のパッケージングと思う。だが君たち買うまい。俺のものだw
— nekohanahime (@nekohanahime) 2017年6月29日
で、なんだっけ。あ、返歌のすすめ。
【俺が撰ぶ中澤系】
— nekohanahime (@nekohanahime) 2017年6月29日
柿の実のふたつかみっつ採る誰もいない世界のまんなかの樹の
(返歌)まるで「ごんぎつね」みたいにいそいそと歌うたう君のステンドグラス
とか。
【俺が撰ぶ中澤系】
— nekohanahime (@nekohanahime) 2017年6月30日
不完全さにとどくはず耳たぶを噛みしめようと思って止めた
(返歌)鼻先をなめたばかりのその舌でふりむき友を毛繕うミケ
とか。
ツイッターアカウントをお持ちの現代歌人のみなさんは、感性が通じ合うかぎりにおいて、返歌をすると返してくれることがある。これがもう、楽しくてくせになってしまう(もちろん、だからといって、むやみにやっちゃだめだよ)。たとえば、僕の場合だったら、青木健一さん。まめにお付き合いいただいています。青木さんのバックグラウンドもまた、興味深い。
なんというか、歌はそもそもひとりで紙や画面に向かってやるものでありながら、そればかりではなく、歌合から、連歌に連なる形式だったのだなあとしみじみとおもう次第で。つい、id:kikumonagon さんのような、若い人たちにも勧めたくなったのでござる。
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中澤系が歌を返してくれたらいいんだけどね。明日、話し合ってきます。