illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

弟者ディバリス

兄者イチロー

まずはお礼を。あなたが、僕の偉大なる友だちでいてくれたことに。そして今日まで、僕のお気に入りの選手でいてくれたことに。

野球をやると決める前、僕はあなたを見て、ひそかに思った日のことを覚えています。「マジかよ。おれみたいなやせっぽちのイチロー兄者が! イチローにできるならおれにだってできるんじゃないか」。あなたは、僕の野球への気持ちを募らせてくれた人。地元のエイボン・パークで、僕は子ども心にあなたを崇拝していました。僕たちは、生まれる前に世に出た古いテレビゲームに登場する選手に、「イチロー」にちなんだ名前をつけたりもしていました。

初めてお会いしたのは、あれは2004年のヒューストン、オールスターゲームでしたね。午後3時ごろ、僕が父親とフィールドを歩いていたら、あなたはすでにストレッチをしてゲームに備えていました。オールスターゲームでだよ!? そんな選手、ありえない!

当時、選手はだれもが大型化してホームランを放つような時代でした。でもあなたは自分を譲らなかった。自分に、自分の仕事に、自分の過程に、そしていちばん大切なこと――自分の様式というものに――忠実であり続けた。このオールスターゲームで、あなたは僕に示してくれた。僕にだって何でもできる、どんなことでも望むことができると。文字通り、僕たちの倍もある選手たちの中にあってさえ、できるのだと。

それから思い出すのは、2012年、ドジャーズのシアトル遠征時。僕はショートを守り、あなたの一挙手一投足を観察していました。結果、通算安打にも何本か貢献しましたね。だって、自分の守備よりも、あなたのプレーを見ることしか頭になかったから。(ドジャーズの当時の同僚にはすまない、けれど、あのイチロー選手なんだよ…)

(けれど)翌日、(僕にとっては)あなたと打撃の話をする暇もないうちに、あなたはヤンキースにトレードに出されて行きました。あのときは凹んだ。マジ凹んだ。それが2015年、今度は僕がマイアミ(マーリンズ)に移籍すると、その数日後にはあなたが移ってきた!

ぴょんぴょん飛び跳ねました。親友に「おい、イチロー兄者とおれが一緒にプレーするんだぜ? マジかよ、おれがだぜ? ありえない!」(だから春のキャンプで)ジュピターに早く駆けつけたのは、(訳注:2004年のヒューストンの出来事を想起)あなたがそこにいて、打撃や走塁を見られるかもしれないと思ったから。ようやく姿を見せてくれたとき、僕は神経質になって、歩いて近づいていった。それを、兄者! 兄者は僕に親切にしてくれた! そして、どんな形でも協力するよといってくれた。僕の中に衝撃が走った。それで僕はいまでも「おれがイチローとプレーを!? マジかよ、ちっぽけなエイボン・パークで生まれたおれが?」と口にしています。

この直近の5年間、イチロー選手、あなたが僕をどれだけ助けてくれたか、僕にしかわからないことがある。僕の人生に、いい時、わるい時、浮き沈みがあったことは、あなたもご存じでしょう。その中で、互いの友情は微動だにしなかった。あなたはどんな状況でも、ぴたっと僕のそばについてくれた。そして絶えず支えてくれた。僕が不当な扱いを受けたときも、あなたは毎回僕の側に立ってくれた。自分がフィールドに立つのが辛いときでさえも。

今回のことは、ツイートやインスタグラム(で表すに)はふさわしくないと僕は思いました。そこで僕は(この)適切な形を選びました。そこで、僕がどれだけあなたに感謝しているか、できるだけ大きな声で伝えなくてはと思った。あなたの友情と導きがなくては――それからあなたが僕に「秘密」を打ち明けてくれることがなかったら(もちろん、兄者の秘密は決して口外しないぜ!)、いまあるような強打者ディー・ゴードンは存在していなかった。

兄者、大好きだぜ! この先もずっと兄者は僕の人生の大切な一部です。どうか、第一線を退いた後の暮らしを幸多く、大切に。そしてオフの日には僕のところに来て、一緒に打撃を。なぜって、そんな日が、これからなくなって寂しくなるのがわかっているから。もう、兄者なしで野球をしなくてはならないのだから。

弟者

ディバリス

ディー・ゴードン - Wikipedia

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