illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

柿の木の話

今日は、昼間ずっと、柿の木の話をしたいと思って過ごしていた。

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柿の木というのは、青々としていて、腕が長くて、何かを持ちこたえているようでいて、それでいて折れやすい。皮は剥がれ落ちやすい。といいつつ、十分に日の光を当てなければ、薪にもなりにくい。果実は甘いと渋いの丁半博打みたいなところがあって、鎌倉時代あるいはそれ以前からの歴史を備え、しかしカラスに狙われやすく、落ちて崩れた熟し実は、後片付けが手に負えない。

まるで、僕たち私たちの卒業発表みたいだ。

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おれのばあさんは、秋冬になると、いそいそと柿をもぎり、皮を剥き、細いビニール縄を結って実を通し、皮は筵(むしろ)で天日干し、炬燵で向いては結わえ、向いては結わえを繰り返していた。それは(いまにして思うが)幼いおれにセーターや半纏を編んでくれる呼吸と、ほとんど同じリズムを刻んでいただろうと思う。

軒下にぶら下がった干し柿が、北関東で旬を迎えるのは翌年(よくとし)の2月である。

木皿に、ばあさんは器用に盆栽用のハサミでビニール縄を切った柿を並べて、おれが学校から帰るのを待っていてくれた。

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待っていてくれたのかどうかはよくわからない。

ばあさんは後にアルツハイマーにかかり、それでも、手は動いていた。おれには何ともいえない笑顔を見せてくれていた。昭和63年、否、平成3年頃の話だ。白い粉をふき、十分にひしゃげた干し柿は、とても甘く、ひとつふたつで腹にこたえる。

そんなことはお構いなしに、ばあさんは、おれがひとつふたつ干し柿を平らげると、干しいもや、甘辛の組み合わせが妙に合う、「柿の種」(ほんものの柿から得られた種でも、寺田寅彦でもない、有名ブランドのおつまみの)を、木皿に足してくれる。秋口には、レンジでチンしたとうもろこしを乗せてくれることもあった。

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いくらおれでもとても食べきれない。

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そうこうしているうちに、おれが生まれる前の昭和45年頃から、おれを見守ってくれていた、モチノキや、柏の木たちと並んで、諸般の事情により、柿の木たちの何本かも、伐採され、元の影を留めなくなった。時代が平成に改まって少し経ったころのことである。

諸般の事情とは全共闘くずれの共産党員のプチブルになりそこねた婿養子、つまりおれの父親の、事業失敗の穴埋めの幾ばくかに、それらの樹々と土地が費やされたことによる。

で、あるから、参考までに、平成前期、野郎がまだ意気軒昂だったころ、その件に関しては、互いにさんざんぶん殴りあった。だから恨みつらみはもうない。

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ただ、もっと、おれは、本家でとれたうるち米や、その芯の部分に、分家で丹精を込めた餡こを入れ、うちの庭でとれた産毛の生えたみどり葉で包んだ柏餅。だとか、いつの間にか軒下で粉をふく干し柿であるとか、とうもろこし(ハニーバンタム)であるとか、アスパラガス、不揃いのイチゴ、キウイフルーツ…それらいまでいう露地栽培の果実を、もっともっと、食べる、食べておくべきだった。

そして、大正震災の2週間ほど後に生まれたばあさんは、なぜ、何のために、何を生きる喜び、支えとして、育てていたのか。おれは、それが知りたくて、確かめたくて、学問をやったつもりだった。

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おれは昨日今日と、どうかしている。