illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

肝心の背中は見損なつた

過日、塔のへつりのそばから上京なさった小野さんという方から、「鯖管さん(の書くもの)は暗いですね」というお褒めを賜った。「暗いのに(オフ会では)意外ですね」とも仰せられた記憶がある。

ちがふ。そつくり会津登山鉄道に乗せて返さう。

書くものは必然的に暗くなるのだ。みなさんが明るくライトな筆致で過ごせるのが、小生には不思議でならない。

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それはいいのである。私はふたつのことに思い当たった。

ひとつは、私は何かと何かの両立を絶えず求め心がけ成し遂げられずに、40有余年を過ごした虎(あるいはその亜種)であると。

もうひとつは、やはり、日記ではもっぱら悲しみと吐露するのが本筋であると。

(ふたつといいつつ、)みっつめについては、本稿の末尾に記す。

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(1)

両立がしたいのである。

平たくいえば、勉強と部活だ。私は人生の局面きょくめんで、そりゃ、勝つ/勝ちにつながるほうを選んでしまう。そのことを、昨年、し(伏せ字)を思っていたとき、ある哲学を嗜まれる方から「何だかんだで実社会に戻ったらさくっと適応してしまうのではないですか」と、ある種、痛切な助言をいただいた。

実際そのとおりになった。

けれど、水泳を忘れ、読書を置き去りにし、あまつさえ、ここ1週間ほどは、岩波の万葉集を開くことも二の次にしている。このモードに入ると、いつもこうなのである。

それじゃだめだと思って駒場に3年い、(居る、の連用中止で読点を打つのは、池波正太郎の筆法である)なるたけ無駄なことをしようと心がけたが、しょせんは付け焼き刃、ちくしょう。(´;ω;`)

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(2)

斯のやうに、胸の奥を吹き荒ぶ風を嵐を、貴君らの多くは、何がしかのオピニオンに変換してPVを稼がんとするであらう。しかしだね、特に(若い)男子諸君、かなしみをかなしみのままにひらがなで書いておかないと、45歳くらいで市ヶ谷の駐屯地に立てこもって檄文を空から投げ下ろすやうになるとは思はないか。

なるんだぜ。三島は、わかっててやったんだ。彼は胸のうちをやはらかいことばで記す道を選ばなかつた。それは、太宰のやうなものに通底するからなんだ。おれは51対49で太宰に分があるやうに思ふ。かといつて全身が太宰であつては困る。実社会では、全身が、高等文官試験を通つた三島(平岡)のほうが遥かに役に立つ。比べものにならなゐと断じていゐくらひだ。

だが、厚生労働省で月150時間以上の残業をしてゐる彼らの悲しみはどこへゆく。政策提言では埋まらぬものがひとにはきつとある。

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(3)

ここからが本題である。

小野さんは、カラオケの前のN次会でも、カラオケでも、まるで巧みなホステスのやうに(これくらいは言葉狩りに遭はなくてもいいだらう)、席を変え、話に相槌をうち、カラオケでは何だつたか、女性参加者たちを総立ちのハーモニーとダンシングにさせてゐた。私はその光景を見ながら、なかなか私のそばの席に来ないのは、私の出資が足りないのではないかと、どきどきしていた。

小野さんの、やはらかい気配りと優しさ(それらはお書きになるものの背後にあつて私たちを安らがせてくれるものにほかなるまい)が際だつたオフ会であつた。

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次は私はhiromi郷の「二億千万の瞳」で度肝を抜きたいと思ふ。小野さんの肝心の背中は見損なつた。

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