illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

初期作品は昏いという話

僕のフォロワーさんに、福岡の東筑高校というところを出て九州大学に進んだ優秀な学生さんがいる。彼はポルダリングをやっていて筋肉にも恵まれ、申し分のない青春時代に見えるのだが、たまに(理系の学生さんなのに)文筆の本質を衝くツイートをすることがある。

 その理由は、思うところはあるのだけれど、いまは直接には記しません。

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藤沢周平の初期作品をご存じか。

新装版 暗殺の年輪 (文春文庫)

新装版 暗殺の年輪 (文春文庫)

 

もうねえ、めっさ昏い。みんな、ばたばたと斃れていく。それだけではない。果し合いを前にした老藩士、範兵衛が、倅の嫁の三緒に「戦いのために一度だけやらせてくれ」(意訳)と懇願して(!)、三緒は応じて(!)、翌朝、三緒は自害する(!)。そしてその自己解釈が、えげつない。

藤沢周平・全作品を読む <ただ一撃>

どうか、入り口で藤沢作品に触れたと思ったら、上掲書を求めてほしい。わいのリンクからでなくてもちろん構わない。人として、書いていいこととそうでないことが、いくら創作でもあるだろう。そう思わず思ってしまう一線に触れる、大変に印象深い作品だ。

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しかしこれが時を経て、藤沢に一種のゆとりのようなものが出てくる。その誰の目にもわかりやい結実となったのは、やはり、これは「用心棒日月抄」だろう。幾度、わが苦境を救ってくれたか知れない。

いってみれば、「非正規」藩士、青江又八郎が、数々の藩の難儀を秘密裏に命を受け、解決する、藤沢の武家物はサラリーマンものだなどといわれる一端の作品でもあるのだが、に、しても、本作は全体の格調、完成度が段違いにちがう。

特にその、口入れ屋(派遣元)相模屋吉蔵の、長門裕之を思わせる(俺だけか?)ユーモラスな、人を食った風貌、台詞回し、そして青江との(これはもう、掛け値なしの)交情、藤沢周平は、本作を描き切ることで、暗く憂鬱な青年期を対象化し、脱したに違いあるまい。おそらく具体的には、妻に先立たれ、多くの子を抱えた、青江の口利き仲間、細谷源太夫の造形に自らを投影したことで救いを得たのだと思う。そのことはぜひ、藤沢の生涯を知りつつ、その筆致によってうんうんと頷いてほしい。

藤沢周平 - Wikipedia

用心棒日月抄 (新潮文庫)

用心棒日月抄 (新潮文庫)

 

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その意味で、藤沢はとても分かりやすい作家だ。ごく初期の作品には生と性と死が色濃く出ている。そこから脱した準初期には、人と人との関わり、暖かさ、会話の色が出てくる。それらの集大成が「蝉しぐれ」だろう。初恋、幼年期の友情、組織人としての板挟みからくる葛藤、等々。その合間に、数々の、筆の冴えの走る短篇が置石される。

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率直にいって、昏い話から出発しない作家は信用できないと僕は思う。必ずしも、処女作、第二作にそれと分かるように書かなくていい。それでも、読めばどれだけの昏さを携え、覆い隠し、昇華しようとしているかは、これはもう読み手にはびしびし伝わるところだ。

30歳、40歳になって、まろやかさ、明るさが出始めるのは、十分に、遅くない。それは、わが鬱の扱い、付き合い方を覚える時期とも重なってくるのではないかのう。

「三十代のおしまいごろから四十代のはじめにかけて、私はかなりしつこい鬱屈をかかえて暮らしていた。鬱屈といっても仕事や世の中に対する不満といったものではなく、まったく私的なものだったが、私はそれを通して世の中に絶望し、またそういう自分自身にも愛想をつかしていた。(中略)(そういう鬱屈の解消方法が)私の場合は小説を書く作業につながった。「溟い海」は、そんなぐあいで出来上がった小説である。」

—(「溟い海」の背景)

藤沢周平 - Wikipedia