illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

御霊と旗に関して(2) - あるおじいちゃんBLの話

こちらは、どういふべきか、現代人の思ひ浮かべる御霊とは少し違うた用法の例です。

吾が主の御霊給ひて春さらば奈良の都に召上げ給はね(万 882)

まず語釈を。

  • 「さる」は、現代語でいう「なる」。季節のことばが頭に付いた場合にはとりわけその傾向です。「春になる」。この歌では「春になったなら」。「ば」は仮定条件/確定条件の受験勉強的語釈が本来はいるのですが、今回の主題でないのでやりません。
  • 2度でてくる「給ふ」は尊敬の動詞です。いちばんめに出てくるのが「くださる」(これは謙譲ととるべきかな)。にばんめは「なさい」くらいかな。
  • 末尾「ね」が、この歌ではいちばんむつかしいかな。強意確認の助動詞「ぬ」命令形。「きっとだぞ」の意味です。現代の、念押しの「ね」の、おそらく祖先でしょう。
  • 「我が主」は、主にもいくつかあるのですが、ここでは相手方への敬意と戯れです。

訳してみます。

あなた様のおこころ遣いを頂戴したく。春になったら奈良の都の役人にぜひ私めを登用なさっては(はっはっは)。

*

これ、太宰府に飛ばされた大伴旅人に、旅人が任官を終えて奈良に戻る折、山上憶良(教科書的には貧窮問答歌の人ですね)が贈ったとされる、いくつかの歌のひとつです。旅人(665-731)が都に呼び戻されるのが730年、65歳のとき。そもそも太宰府詰め(生涯2度目)を任じられたのが藤原4兄弟との権力闘争に敗れた果ての実質左遷であり(728)、それはいいんですが(よくない)、憶良(660-733)だって68歳です。当時としたらきはめて高齢。再任官の可能性なんてない。判りきつてゐます。

*

貧乏くさい歌で(あえて書きます。ほめています)知られている憶良ですが、彼はそうじゃない歌もけっこう残しています。ウィキペディアを引きます。ここの記述はいいとおもう。

仏教や儒教の思想に傾倒していたことから、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など、家族への愛情、農民の貧しさなど、社会的な優しさや弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。

抒情的な感情描写に長けており、また一首の内に自分の感情も詠み込んだ歌も多い。代表的な歌に『貧窮問答歌』、『子を思ふ歌』などがある。『万葉集』には78首が撰ばれており、大伴家持柿本人麻呂山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として評価が高い。『新古今和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に5首が採録されている。

 山上憶良 - Wikipedia

だれか、国文研究者が(発掘含め)やってください。憶良の多面性というのは、もう少し知られていい。そんな予感がします。僭越なりとも、僕自身、メンヘラ部長ですけれども、憶良はメンヘラ官僚(管理職)だった匂いが(かなり)する(笑)。

*

旅人(665-731)に対し、憶良(660-733)が、少し歳上です。憶良は、5歳下の歌人仲間(いまでいう筑紫歌壇の中心人物)に対し、「吾が主」と(あへて)いうんですね。そして(先にも記しましたが)、もはや、藤原氏の前に、宮廷に戻ったところで力はない。そこを|だから|こそ「旅人さんのお心尽くしで、どうにか」と、憶良は歌います。訳し直します。

(貴方様の)(御|言霊)の力で、春を迎えたならば(せめて想像の中だけでも)私を(かつての)奈良の都に召し上げていただけないものですか(お互い歳を重ねすぎましたね)。どうかご無事で(はっはっは (´;ω;`))。

いま気づいた。これ、御霊は、「春になる」「召し上げ」両方にかかっているのね。うん。互いに長生きして春を迎えられたならば。長生きしようね、どうかご無事で、という感じ。その、切なさと、笑いの皮膜が、うん。

憶良研究の最前線っていまどうなってるのだろう。