わが家ではオイルショック(1973)の前までは養鶏をやっていた。73年の後もほそぼそと続けていたが第二次(1979)で完全に手を引いた。理由は飼料高である。養鶏は利益率が低い(これは卵は物価の優等生、を裏から見た図になる)。それでも往時には3,000羽を飼っていたそうである。規模が大きくなるほど為替と飼料の値段が効いてくる。
3,000羽というのは人の記憶で生産/原価管理ができる限界だと、かつてばあさんがいっていた。逆にいえばばあさんは3,000羽の鶏どものコンディションをおよそ覚えていたことになる。じっさい遺された農業日誌を開いたときには驚いた。細かい線が縦横に網目のように引かれている。Excel風にいえば、縦軸が鶏の番号、横軸が日付である。そしてマス目には○と☓が記されている。
鶏は1日に1個しか卵を産むことができない。たまに休む。お休みが続くと要注意のサインだ。☓が一定日以上つづくか、およそ16ヶ月といわれる交替の時期を迎えるとお役御免となる。帳簿に二重線が引かれる。区画の番号を変えるのは手間なのでたとえば同じ1,008番でも初代、二代目…と、あたかも落語や歌舞伎の襲名のようである。そんな大げさな。たかが鶏にすぎない。
以下は帳簿に二重線が引かれた後の思い出話。
午前3時
- 前の晩から目星をつけておく。小屋から連れだす。羽交い締めにして足を紐でしばる。木槌で頭を殴って気絶させる。裏の木に逆さ吊りにする。
午前3時40分
- おとなしくなっている。出刃包丁で首を落とす。そのまま血抜きをする。
- 朝の庭の草むしりが一息ついたころに血はすっかり抜けている。
午前5時
- お湯をわかす。ぬるま湯でよい。熱い湯につけると肉が固くなってまずいのである。
午前5時15分
- 足を掴んで湯につける。そうして毛をむしる。湯につけるのは毛穴を開かせるためである。
午前5時40分
- バーナーで残りの毛を落とす。
午前5時50分
- 包丁を入れる(おしりから)。内蔵を取り出す/掻き出す。水で丹念に洗い流す。解体する。
午前6時30分
- この世のものとは思えないいい匂いで目を覚ます。
午前6時45分
- しゃぶしゃぶ。「ばあさんは鶏を捌く名人だなあ」とじいさんがうなる。「まだありますからね」とばあさん。「昼にいただきに戻ってきていいですか」と婿。「ぼくも帰ってきたい」。おふくろ「だめ」。
- 大人はずるい。
- そこで一計を案じ急遽、腹痛になる。ただしこの技は「腹痛」を理由にしているゆえお粥しか食べさせてもらえぬ諸刃の剣である。父母から小言をくらうがお楽しみを知っている僕にはどこふく風である。
午前中
- 学校を休んだ手前おとなしく寝ている。
正午
- 昼に婿殿が戻ってきて満足して職場に戻っていく。階下からいい匂いをさせても狸寝入りをして耐え忍ぶ。そうしてゆっくり惰眠をむさぼる。
午後2時
- 起きだして「ばあちゃんお腹よくなったよ」「じゃあ食べるかい」。蒸鶏やら焼き鳥やらを出してくれる。ごまの香りがただよう。食べたあとはいい子なので洗い物を手伝う。肩を叩いてあげる。なぜかお小遣いをもらう。
生涯ほとけさまのようなばあさまであった。そんなばあさまは関口宏をはじめとする動物番組を嫌っていた。犬も猫も飼っていたことがあるし、ペット嫌いというわけではない。「生き物を見せものにして」「おもちゃじゃない」というのが嫌う理由であった。関口某の見るからに偽善の表情も好みに合わなかったようだ。
ばあさんは「鶏がかわいそう」だとか「命の教育」だとかいうことは決して口にしない人だった。80年ごろからそんな浮ついたフレーズや道徳の名を借りたなんたらが目に触れるようになったが「テレビや新聞はばかだね。あんなことをしていたらいまにバチが当たる」「鶏は卵を産むのが仕事。肉もおいしい。こんなによくできた生き物はほかにいない」という一線から動こうとしなかった。そうして満面の笑みで、僕によく昔話をして、ときおり卓と皿に目を配って尋ねるのである。
「おいしいかい」
「おいしい」
「それはよかった」
それだけだった。僕はそれでほとんどすべてのことを了解した。
家族の夕飯の支度をおえるときまって午後5時半には床に入り、翌朝は3時から庭仕事をする人だった。そのような暮らしが嫁入り前、生家の暮らしを支え始めた昭和15年ごろから半世紀以上つづいて休むことがなかった。
「料理上手は60年の豊作」
ほかに適度なほめことばを知らなかったじいさんが、生前、照れ隠しによく口にしていたフレーズである。 この拙文を書き終えるまでじいさんには「まったくほかにいいようがあろうものを」と内心思わないでもなかったが、どうやらそれは誤解だったようである。孫もまた同じ穴の狢であった。
(追伸)反省の弁
鶏を飼っていながら、食卓に上がる蒸鶏がそこから来るという発想が及ばなかった子供時代の不覚を深くお詫び申し上げます。「羽交い締め」ということばの由来を知ったのは、ずいぶん後になっての話でございました。