illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ひねもすキッチンに在り

今日はだいたい一日中、台所に立っていた。実に気分がいい。

別段、何を仕込むわけでもなく、

届いたこれを、夢中になって使い、切り刻んでいた。キャベツ、にんじん、きゅうり、玉ねぎ、それらに塩をしてタッパーに封じ、冷蔵庫で出番を待ってもらう。移し替える際にときどきこぼれるので、くーちゃんが誤って口にしないように細心の注意を払う。

しかし、あれだけの量をイトーヨーカドー船橋店で買ってきたというのに、切り刻んでしまえば冷蔵庫はなかなか乙なものだ。まだ空間がある。

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ばあさんは一日の多くを台所に立って過ごしていた。一日三食、何をそんなに調理することがあろうかと、それは近代化の別ルートに足を踏み入れてしまったおれたちの誤認識である。台所は、流しは、冷蔵庫は、刻一刻と姿を変えていく。その合間に、三度の飯がやってくる。主客が逆なのだ。

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おれは朝5時、ばあさんか、おふくろが階下で大根を刻む音で目を覚ますのが好きだった。毎日、育ててもらって不遜ないいかただが、よくやっていたものだと思う。昼は11時半、夕方は6時、何かしらを刻んでいた。その音が暮らしを形作っていた。作られて出てきたものは溺愛、もとい出来合いに近いラーメンだったり、スーパーオータニで仕入れたパック入りの刺し身だったりした。

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が、諸君! それはわれわれだって同じ、否、より豊かだったとは思わんかね。炊きたての白いつやつやのコシヒカリ、千切り大根の味噌汁、卵、海苔、野田の醤油、庭で干した梅干し、樽から出したばかりの白菜の漬物、そこにスーパーオータニで買ったししゃもを焼いたもの。

ラーメンだって、キャベツは庭でとれたしゃきしゃきだった。卵は(すまんな)養鶏農家時分の付き合いから、市場に出回らないのがいくらだって入ってくる。それを割り落とし、化学調味料は避ける。代わりに、醤を垂らすのさ。海苔もけっこういいものを使っていた。あれは何だったんだ。

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で、今日、おれにどこまで出来るか試してみた。

だめだった。

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じゃがいも、苦手なんだ。形がピーラーで剥くのに向いていない。塩をすればいいってもんでもない。おれが子供のころ、揚げ残した油でちょちょっとじゃがいもをスライスしたのを揚げて、塩を振って出してくれたのは、ばあさんあれは何だったのか。皮付きのさつまいものこともあった。

何かこう、余ったもので、ばあさん曰く「ちょっと、手を加えて出すものだから、大したものじゃないのよ。こういうのは女に任せて、xxちゃん(おれ)は立派な大人になればいいの」「はい」。

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おれにだって、つべこべいう以外の返事をすることがあるのさ。

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それで今日、クリームシチューを作ったとき、水加減を多めにして、煮立つ寸でのスープをカップによそって口にしてみた。悪くはない。溶けたブロッコリーの風味が効いて、なかなかよかった。だが、ばあさんの作るのは、これじゃない。小麦粉か、片栗粉か、何か知らないが、謎の白い粉をたらし、いい塩梅にかき混ぜ、料理の途中で匙に取って小皿を湿し、ちょっと口にさせてくれる、あのうまさは、一体、何だったのだろう。