illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ホマレ姉さんにご相談です

ホマレ姉さん(id:homare-temujin)にご相談です。すみません、遅い時間帯に。ちなみに「ご相談」の「ご」は、相談を持ち掛けるのが自分でも、授受を伴う際に、動詞に敬語を添えると、相手方への敬意になるという用法です。案外、知られていない。説明にも困ることがあります。「お願いします」なんて、ありふれた常套句なんですが、この「お」がそうです。願うのは自分ですが、敬意は、願われる相手方に伴う。

本題(ご相談)に戻ります。

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これの冷蔵庫部分に、付箋ないし、白板(ホワイトボード)的なものを備え付けたい。鯵に包丁を入れて、白髭のねぎで包んで、生姜の薄切り少々を乗せて、上の、大同電鍋で、明日朝の出番を待っているんですが、(そうこうしていると)ちょっとひらめくじゃないですか。例えば、キャベツとじゃがいもが残っていた、ソーセージもあった、お見せするようなポトフじゃないけれど、もう1品、即席(人参なしの)ポトフにしようと。その「ポ・ト・フ。*キャベツ *じゃがいも *ソーセージ」って、書いておきたい。それはインターネットの何かではなく、冷蔵庫に張り付いた何かです。暮らしの、目の止まるところに。いまその瞬間に書いておかないと、明日の朝には忘れちゃうwwwwwww

白板とペンかなあ。どうなさってます?

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ふと思い出したんですけど、トリスペさん(id:trick-spec)、お元気でしょうか。僕、トリスペさんすごく好きで、hatenaに入ったのは、トリスペさんと、ホマレ姉さんと、トリスペさんとホマレ姉さんのやり取りを見て、なんです。トリスペさんと、茨城県南(笠間)を散歩したい。焼き物を見(目利きし)て、いくつかを、ホマレ姉さんにお送りしたい(お-送りする。送るのは僕ですが敬意は送られるホマレ姉さん側です)。僕は偽造署名なんてほんとはどうでもいいんですよ。では、おやすみなさい。

男の子はなぜ現れたか / 江國香織「デューク」について

江國香織「デューク」は、亡くなったデュークが男の子に姿を変えて、女の子に「いままでずっと楽しかったよ」と伝えにくる話です(のっけから申し訳ありません)。ただ伝えるだけでなく、デュークが女の子にしてもらってうれしかった具体的なひとつひとつのことを、1日かけて、女の子に返してあげる話です。デュークの「ずっと楽しかった」一生が、クリスマスの2週間前の1日に象徴的に凝縮されて受け渡しされます。

もっとも象徴的なのがプールで女の子の手を引いてすーっとすべらせた光景でしょう。女の子はどちらかといえばきょとんとしている。男の子は廊下をモップのようにすべるデューク時代の遊びが(よほど)(印象に残って)楽しかった。だから、(お返しに)手を引いてあげたのでしょう。

そのような1日の出来事を、いまの若い人たちのことばでいえば「伏線回収」をなぞっていって、ひとつだけわからないことがありました。謎が残ります。

それはなぜ男の子がその日、満員電車で泣きじゃくる女の子の前に、守るように立ってあげたかです。このことは伏線回収がなされていません。

江國香織は次のように物語を紡ぐこともできたはずです。

デュークは、私がまだ子どもだったころ、風の強い冬の日の朝に、街中でくーんと鳴いて困っているところを、私が見つけて持ち帰ってきた仔犬だった。あんまりかわいそうなので1日中抱いていた。父も母も私があまりに仔犬を抱いているものだからかえって何もいわずにいた。翌日、その翌日と、デュークはいつの間にか「うちの子」になった。私は小さいデュークが何をするのでも心配になり、よその大人が「かわいいね」といって手を伸ばそうものなら、駆け寄って、前に立って、頑としてはねのけた。

デュークは、ずっと、私のデュークだった。デュークも私も、どちらも大人になってからも、私のデュークだった。

江國香織はそれをしなかった。させなかったのは、おそらく、父上の江國滋譲りの何かでしょう。女の子には、なぜ、あの日、男の子が自分の前に立ってくれたかを、《終点まで》立ち続けてくれたのか、その意味を、もう一段、大人になる過程で、ふと気づいた(福音の)日があったはずです。それは生命の一回性に関わる話です。生命や暮らしといったものには謎が多く、放置されたままの伏線ばかりであって、何かの拍子に花火のようにかろうじて閃光を放つ、その繰り返しということは、一般によく知られています。

「デューク」は、物語にとって肝心ともいえる、冒頭に対する回収を手放すことによって、かえって生命の一回性に近接することに成功している。そんな文芸評論めいたいい方もできるかと思います。江國滋がこのような(=僕が縷々、解釈めかして述べてきたような)野暮を嫌うのは重々承知の上で、しかし、野暮を重ねることにのみ可能な足場や足跡もあることを、記しておいてわるくないのではと、いち愛読者として、場違いな冬の花火のように、ふと思った次第です。

受かりたいといわれたら

TOEICと東京医科歯科対策のオンライン授業を(高時給で)やっております。始めました。日本の近代化は総体として誤りです。しかしながら、「受かりたい」「何とかしていただけないでしょうか」といわれたら、そりゃ何とかします。できるだけのことをします。

三島由紀夫が晩年に小説を書いて1冊数百円(当時の金額)でサラリーマンの小遣いから買ってもらう、そりゃ自分だってそれだけのサービスはする、でも、嫌になっちゃうんだ(大意)と述べていましたが、それを克服する方法がある。山際淳司「筋肉栽培法」に書かれています。

「それ以上のことは考えなくていい」。石井直方さんです。山際さんは青春の迷いの中に当時あった。そう見られる節がある。山際さんは何かを知る。得る。気づいたのだと思います。「悪くない方法だ」と。それ以上、内面を探ることを「方法として」断念しています。それは積極的な断念です。

授業をしているとその刹那に日本の近代化の総体とその結節点として顕れている自分のことを考慮の外に置くことができます。実際に、80点の生徒さんが96点を取れるようになったと知らせてくれる。うれしい。その先に何があると考えなくていい。いいというのは、その瞬間に考えることから解放されるという意味であり、また、僕が考える必要はないという意味です。

それは血液グループ先生が、よよん君のお母様から感受したであろう健全な生活保守の実践的なマインドと方法論です。「(病から)(とかく不健康に流れがちな思惟から個別具体的なものごとを媒介していまこの瞬間に明るさを導入することによって)逃げる(絶えず身をかわす)」ということです。ジャックデリダ差延風の何か。

授業を終えたら明日朝のためのお米を研いで食器を流しを洗います。くーちゃんは寒くないかなとホットカーペットに目を遣る。明日(2020/10/20)から佐賀のアルバイトさん頭数1041人を動員して12日間の署名偽造大作戦が始まります。本当に始まるのでしょうか。夢で(食べたうなぎで)はなかろうか。高須克弥の逮捕が心から待ち望まれます。

おれのくーちゃん

おれのくーちゃんは換毛やいわゆる発情期になると、少し、鳴き方や挙措が変わったかなと感じられるときがある。不安定になるというか、いつもと、少し違う。そういうときに、しっかり、安定していてあげたい、あげなきゃなと思う。それは20年前、別れた妻に、いや、何でもない。くーちゃんにとって、それはどうしようもないことだ。離婚の話ではない。

どうしようもないことの、身を過ぎたおれとしては、おれはくーちゃんを、できるだけ守ってあげたいと思う。生の(根源的な)不安というやつから。空振りに終わるのかもしれないが、それはそれで、下僕の報告書に、努めた後で、初めて、書けばいいこと。くーちゃんはおれの気持ちを知らない可能性が高い。生涯、知らなくていい。

www.youtube.com知らないほうがいい。おれがこの、罪深い身を以て知ればいい。おれのくーちゃん。

おれのゆで小豆

staubで小豆を茹でて餡を練った。

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これが信じられないくらいに甘くてうまい。砂糖の分量は世に流布されるグラム数から3割方、減らした。それでもこんなに入れるのかとおっかなびっくりしながら入れて溶かした。夕べ、冷える前に味見をしたときにはさほどでもなかった。いい甘さに仕上がったと思った。水分がまだ見た目にわかる程度に残る。

今朝、起きて、少し火を入れようかと思って蓋を開けたら、そうか、そういうことだ。水を吸って膨れるんだ。浸透圧がどうなるのかは知らないが、甘味成分も小豆の側に寄るのではなかろうか。

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ほんの少しでいい。これ以上は無理。べらぼうに甘い。おいしい。われながら何とよくできた。これ以上をパンに乗せたら、罰が当たる。理が通らないという意味で無理。もったいない。畏れ多い。こういうときに昔の人は神(棚)に供え、祀ったのではあるまいか。

糖は上白糖ときび砂糖を半分ずつ。世にいわれる7割量。湯に溶いて、しっかり混ぜてから、ゆで小豆の茹で湯を減らして、そこに静かに注いでいった。40年くらい前に、お袋が、ばあさんが、夜の台所に立ってしゃもじ(木べら)を回していた姿を、思い出す。あのときも、何ともいえないいい香りが、匂いが、していた。その様子を何のことのない、当たり前のことと思って、おれは育った。

おれのくーちゃん

毎日の食(の準備)をアウトソースして、浮いた時間を(も)動員し、何かしらの社会的な成功を収めようという発想が誤りのもとです。

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具材が手に入る距離にあり、いつでも自分で、作って食べられる。もりもり食べる。頭の回転がよくなります。そうした基本的な原理原則に寄って立つ安心感は、立命を呼びます。そこのところの順序を取り違えていたら暮らしはうまくいきません。2021年8月実績は食材費が7-8食(3日分)で3,000円弱でした。9月も似たペースです。月28,000円。けっこういいものを十分に食べていると思います。ここまでたどり着くのに30年かかりました。日本の近代化は総体として誤りです。

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その逆立した構造と社会的諸関係の中で大切なものをお守りしようと決意することが、不毛な生からの脱却の一歩めかと存じます。対象が英霊である必要は毛頭ありません。見るべきは、いまここにある、にゃーんと鳴く生です。高須克弥容疑者の一刻も早い逮捕が待ち望まれます。なお、お勧めの最新テクノロジーは落し蓋です。落し蓋にも2つあり、アルミホイル、もしくはアルミホイルの下にクッキングペーパーを施す。鍋の大きさや具材に合わせて。あくがきれいに取れます。

f:id:cj3029412:20210918210113p:plain少し、料理ができるようになったといって差し障りがなくなってきたかもしれません。まだ、味が濃いです。ばあさんとお袋は、薄味で上手に、見事に食べさせてくれた。大正の精神が令和のオクラに埋まっているとはなかなか、まだまだいい難い、個人的状況です。それでもおいしいです。

栗といつまでも

いつものシャポー/澤光青果/イトーヨーカドーとは違ってたまには少し遠くに足を伸ばしてみた。伸ばしたとはいっても船橋中央図書館と同じ建物(!)でここは日ごろの散歩圏内。ヤマイチさん。外回り営業の途中で「そういえばここにもスーパーがあった」と入ってみたら中々に興味深い。帰宅した後に買い物袋を用意して、栗、小あじ、さつまいも、鶏もも、ニラ、卵、などを買ってみた。

スーパー ヤマイチ | 船橋店

日本の近代化が総体として誤りであるのは明白だが、いまは口にすべきときではない。金木製は2021年の船橋では9月10日から11日に香りを放ち始めた。

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さつまいもは細い部分は斜めに包丁を入れると断面が広く見えて好ましい。実用上も火の通りが速くなる。よく洗えば皮はむかない。罰が当たります。

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お尻を包丁で切ったりしない。縦に割る。

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実家は栗をやっていたので何をどうすればいいかはだいたい覚えている。皮の付いた栗を内外どちらもむきやすくする方法(茹で方)はあるが、ばあさんが「手間はかかるようでもいちばんおいしいのはこれ」といっていたやり方を採用した。ネット(インターネットではない)から取り出して、洗って、ひと晩、ぬるま湯に浸して――もちろん途中で何度か替える――包丁を縦に入れて正中線で2つに割って、爪を立てて外皮を、次いでピーラーで内皮をむく。面倒くさいかなと思ったが案外そうでもない。台所に石油ストーブを置いて、松前漬けの下ごしらえをしていた子供のころの様子が浮かんできた。40年も前のことなのに、ばあさんのやっていたことは概ね覚えている。

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炊きあがるのを待ちます。お米8にもち米2、水は規定より気持ち少なめ、十分に浸水/吸水させた上で、塩少々、清酒少量。よくかき混ぜて、通常炊き。

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おいしくいただきました。

いただいたところで、せっかくなので諸兄には、近代化が総体として誤りだという話をしたい。栗をむくのは全行程でいっても手間ではない。楽な部類である。大変なのはいが栗を拾うところ。ズック靴で入って足をやられたらいい。いが、毛虫、ぶよ、何でもござれである。

 

だから厚手の靴下に厚底の長靴、雨でないのにセパレートの雨がっぱ、軍手の2枚重ね、頭に手ぬぐい、農作業用のハット帽、右腰から蚊取り線香、左腰に栗を入れる籠、右手にトング――当時はトングとは呼んでいなかったはずだ。が、呼び名が思い出せない――で、左足かかとを土に固定しつま先でいがを挟む。口が開く角度を見極めて、右手からトングの先を伸ばして栗をつまみ、左わきの下をくぐすように籠に入れる。籠がいっぱいになったらキャンプ設営所(大げさだがそんな感じ)に籠を空け、水分を補給し、時計を見る。この繰り返しである。ちなみに設営所では、一次仕分けとして、虫食い穴の有無、穴なしのほうは大まかに大中小で段ボールにわけて入れる作業を担う。

 

お察しかと思うが農家で食べるのは虫食いに限られる。スーパーで買った栗をむいたときにどうも勝手が違うと思った。こう(きれいに)はいかない。穴の周囲を包丁で落としたり刻んだりつまようじでほじり取ったりする。大きさもまちまちである。中には、小さい穴だけれど中で虫が育っているのもある。そういうのは実の半分がとれればよし、とれそうになければまとめてごみにして、庭先で焼く。火はドラム缶でくべる。底に、アルミで包んださつまいもを入れておくのが上手い。ぱちぱちと爆ぜる音がして、だからおれにとって秋の風物詩は、金木製と、庭先を流れる火燃し(ひもし)の煙。そのはぜる音。

 

明日9月13日、大正12年(1923)生まれのばあさんは、生きていれば98歳になる。おれとちょうど半世紀違う。おれなりにがんばったつもりではあるけれど、やはり日本の近代は総体として誤りだと思う。生家では秋の初物は神棚に上げて、じいさんが柏手を打っていた。いまおれのいるところには神棚がない。

 

代わりにねこちゃんがいてくれる。ばあさんには済まないことをした。おれは東京に出て学問なぞをやるのではなかった。長い長い遠回りの末に、ようやく、これなら、ばあさんに食べさせてやれるかなという風味の栗ご飯を炊けるまでに、40年を要したことになる。

クリといつまでも