illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

受かりたいといわれたら

TOEICと東京医科歯科対策のオンライン授業を(高時給で)やっております。始めました。日本の近代化は総体として誤りです。しかしながら、「受かりたい」「何とかしていただけないでしょうか」といわれたら、そりゃ何とかします。できるだけのことをします。

三島由紀夫が晩年に小説を書いて1冊数百円(当時の金額)でサラリーマンの小遣いから買ってもらう、そりゃ自分だってそれだけのサービスはする、でも、嫌になっちゃうんだ(大意)と述べていましたが、それを克服する方法がある。山際淳司「筋肉栽培法」に書かれています。

「それ以上のことは考えなくていい」。石井直方さんです。山際さんは青春の迷いの中に当時あった。そう見られる節がある。山際さんは何かを知る。得る。気づいたのだと思います。「悪くない方法だ」と。それ以上、内面を探ることを「方法として」断念しています。それは積極的な断念です。

授業をしているとその刹那に日本の近代化の総体とその結節点として顕れている自分のことを考慮の外に置くことができます。実際に、80点の生徒さんが96点を取れるようになったと知らせてくれる。うれしい。その先に何があると考えなくていい。いいというのは、その瞬間に考えることから解放されるという意味であり、また、僕が考える必要はないという意味です。

それは血液グループ先生が、よよん君のお母様から感受したであろう健全な生活保守の実践的なマインドと方法論です。「(病から)(とかく不健康に流れがちな思惟から個別具体的なものごとを媒介していまこの瞬間に明るさを導入することによって)逃げる(絶えず身をかわす)」ということです。ジャックデリダ差延風の何か。

授業を終えたら明日朝のためのお米を研いで食器を流しを洗います。くーちゃんは寒くないかなとホットカーペットに目を遣る。明日(2020/10/20)から佐賀のアルバイトさん頭数1041人を動員して12日間の署名偽造大作戦が始まります。本当に始まるのでしょうか。夢で(食べたうなぎで)はなかろうか。高須克弥の逮捕が心から待ち望まれます。