クイズこれは何でしょう。
第10話わいせつ折り鶴の里 - わいせつ石こうの村(黄金頭) - カクヨム
ではこれは?
これは?
出るんですよ。書き手のエッセンスが。
おれのかわいいくーちゃんは自分の家(つまりここ)を常温サウナのように思っている節があり、これ、
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とこれ、
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07XCNNQVB/
との間を、室温22℃プラスマイナスで、実に巧みに行き来している。
*
くーちゃんはそんな感じだが、ねこによって個体差があるらしいのが面白い。
わがお仕えする3人のねこさまには体感温度に関して、次のような具合である。
はなちゃんは暖かめが好き。くーちゃんは22℃プラスマイナスを巧みに。みーちゃんはエアコンの温風下の位置取りを好む賢いさん。
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そして下僕は、本日、彼女たちの使用の合間を縫って、部屋に4箇所配置してある「ほかほかのわな」(上のほうの商品)のカバーの洗濯に順次、勤しんでいる。現在進行形なう。
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ねこ界隈では、トイレも座布団も水飲みも食器も、ねこさまの数プラス1用意するといいと、よくいわれる。よくできた認識だと思う。3箇所だと洗濯できない状況が出てきてしまう。稼働2にして1つを洗う? それはありえない。
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と、そんなこんなで、来週あたり、大寒から三寒四温に向かって立春。個人的な恵方巻きの到来である。
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写真は、やさしくてかわいくてかしこいさんのくーちゃん。暖かくて、適度な距離を保てる場所に、身を沈めてひと眠り。
白菜のひっぺがす冬/縁(へり)干せば
名人は「かきつばた」でやるところを、僕は「はひふへほ」で。
ぷぺぷぺー\(^o^)/
くーちゃん😺💗(T_T)
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船橋駅前のイトーヨーカドー地下1階の外れに野菜市場が入っていて、そこにむかしでいう「おつとめ品」すなわち少々の傷を帯びた野菜がお値打ちで売られている一角がある。
白菜を買ってきた。値段は記さない。何でもかんでもむやみに値段を晒せばいいと思っているインターネットを私は好まない。
家に帰り、流しで水を当てながら、外側から1枚ずつ白菜の葉をはがしていく。どうも何かおかしいなと思い、そうこうしていると、ばあさん(1923生まれ)が、
これを上手にひっぺがすのよ。
とだれともなしに声にしていた情景が蘇ってきた。1980年のモスクワ五輪の頃だったように思う。
1枚ずつ、はがしていく。まず1枚めから、茶色い「ぬめり」がある。これに爪を立てて軽くこちら側に掻く。ぬめった部分がいい塩梅に(これもばあさんのことばだ)、へこみ、落ち、水で流される。
かなり大ぶりの白菜なので、これを4面にやらなくてはならない。それも外壁の1枚では済まない。部位によって、ぬめりの侵食度合いは異なる。といっても、頂点の薄い緑を茶色く染めている箇所を別にすれば、2枚めまでで済む。
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剥いた、根元あたりの付着している薄墨色の点々が、ポリフェノールなのか、売りに出される際に洗いきれなかった土埃なのかは、ほんの数秒、手を当てて確かめなくてはならない。イトーヨーカドーで売られている清潔な白菜は、ほぼ100%ポリフェノールと考えていいだろう。そんなものに興味はない。
包丁で根元を落とし、「でかい。太い。おちんぎん」と思い、「ばあさんすみません」「くーちゃんごめんなさい」と頭を下げ、1枚ずつめくっていく。洗い、軽く水を切る。ボウルに並べて、さらに水を落とす。手が冷たい。
*
とてもすべてに包丁が回りきらないので、適当なところでボウルを持ってベランダに出て、網に並べて吊るす。今日は曇りだが明日は晴れだろう。船橋は今日(1/26)、外をこの冬で初めてのほんの少しだけ温かい風が吹いた。ばあさんはいっていた。
「明日の陽気を見極めて、夕方に干すの。もう、霜は降りないから、大丈夫」
手ぬぐい被りをした頭を指差す面影は、昭和61年ごろだったか。クロマティを挑発する遠藤一彦のようにも見えた。
そうしてベランダから戻る。ばあさんはこんなに捨てる端を出さなかったろう。不肖の孫はシンクを見て嘆く。捨てすぎである。だがそれ以上、取り置く勇気も気概も、ない。
「ひっぺがすというのは、あれは方言だ」
共産主義者の入婿(私の血縁上の父親ともいう)は、そういっていた。自分だって方言を話す。むしろ中途半端なインテリにありがちな話で、その話しことばは、根付いていない、無様に聞こえるものだった。だからなおさら悪質なように僕には思えた。自分を棚に上げ、他人の方言は標準化したくてたまらない性分。これについては、いちどかにど殴り合ったことがある。
彼は、先ほど電話したところ、自治医大のコロナ病棟の上の上、つまり二階ほど上で(どうしてもこういうのを入れてしまうわが性分よ)、静かに寝息を立てているらしい。口から、話すことばが失われて久しい。
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まだ「塩昆布」などという文明の利器(文明の力。安岡力也と書こうと思ったが禁欲する)のなかったころ、ばあさんは、塩、天日干しをしたりんごと柑橘の皮、細く切った昆布、赤い唐辛子、水、少々の味の素、益子焼の器、によって、白菜の切れ端も根元も、それは見事な漬物に仕上げてくれた。
白くて固い部分に、鰹節と醤油を少し垂らして食べるのが、とりわけうまかった。
藤子・F・不二雄「征地球論」に登場する3人の野球選手は誰かを考察しました。今回は以下を行いました。
本パート1の到達点として、
という論考結果を得ました。
次稿パート2では、能う限り、本作で描かれているプレイが、どのゲームの何イニング裏表のどのようなものであるかに迫りたいと考えます。
藤子・F・不二雄「征地球論」には、P.247、P.250(「史料の引用元」のページ番号。原稿左片隅に付されたもの。以下同じ)には、野球選手が3人、描かれています。
1980年のセリーグ各球団の背番号4をつけた選手と身長, 体重[]は次の通りです。加えて、1980年のシーズンに三塁打記録があるか、ある場合はその本数を記します。
以上から、
を、探索すればいいことになります。これを行うと、野球選手Aと野球選手Cが自動的に定まります。その際の、探索順位として、野球選手Bの(Co1-7)衣笠祥雄選手(身長175cm)に対し、(Co1-8)野球選手Bと同じかそれよりも背の高い、腰回りの幾分細身の選手に見えます、から、(Co2-1)ヤクルトのスコット選手が第1候補となります。次いで、横浜大洋のジェームス、その次が阪神の川藤幸三選手となります。
ここで本来は注で記すべきですが、驚きと感謝とともに記したいことがございます。
ぼく「まさか川藤選手が挙がってくるとは思いませんでした。すばらしい\(^o^)/」
引用は上記「スタメンアーカイブ TOPページ / 日本プロ野球私的統計研究会」さんから行います。曜日は当方が振りました。なお小見出し「進捗」としたのは未完了のためです。パート2でご報告予定です。
「絞り込み」というより「当たりをつける」感じですけれど、文系の学問の着手点ってこんな具合です。
P.256で男の子が読んでいるのはアシモフの「銀河帝国の興亡3」です。1970年4月の刊行です。男の子は1965-6年生まれの14歳です。本書はおそらく父親(1934-35年生まれの45歳)が30代後半で買い求め、それを男の子が父親の書棚から選って1、2、3巻と読み進めてきたものと思われます。見どころのある男の子です。
僕も7歳だった1980年当時かその後か忘れましたが、10代で本作(征地球論。さすがにアシモフはもう少し後です)を読み、強い印象が残り、この内野手は衣笠だと直観した記憶があります――顔の彫りとポーズから。
加えて、Cのソフト帽をかぶった選手は、顔立ちから、山根和夫か北別府ではないかと思った記憶もあります。
それらのことを、尾崎豊「盗んだバイクで走り出す」ではありませんが、最近の若い方には通じないかもしれない1980年の話ではあるけれど、何かのよすがとして、記しておきたいと思った次第です。
どうも大変にお粗末様でした。パート2にご期待ください。ほんとの掛け値なしに、ここからは縮刷版との渡り合いです。
本作には、
など、他にも広重の浮世絵を読み解くような楽しみが――もちろん他の藤子作品にも――ちりばめられています。
今回触れたのは、その豊穣から、ほんの1点2点。ほんとうにすばらしい作品と作家です。藤子・F・不二雄先生、どうもありがとうございました。
前略Number Web様、鼠入昌史様
「榎本喜八だなんだといってもピンとこないに違いない」
ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある? - プロ野球 - Number Web - ナンバー
この執筆姿勢はよくないです。
記事末尾にたった1、2行、引用すればいいだけ。
沢木耕太郎、松井浩、どちらの著作からでもいい。また、ウィキペディアからでもいい。
1977年に東京スタジアムが取り壊されることになった時には、榎本は毎日工事現場にやってきて、その一部始終を見守っていた。
理由は2つあります。
東京スタジアムは榎本喜八のものです。榎本の晩年は東京スタジアムとともにあった。
もう1つは、文春さんが沢木耕太郎「さらば 宝石」の結びに応えないでいいのかな。
あるいは、彼が求めているのは、ヒット中のヒット、完璧なヒットという幻なのかもしれない。必死に走りつづけていたE――榎本喜八の姿が眼に浮ん(原文ママ)だ時、ふとそう思ったりした。
沢木耕太郎「さらば 宝石」P.228 文春文庫『敗れざる者たち』所収
*
ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?
記事タイトルの問いかけに、私が答えます。
私はいまでも、中野区鷺宮の自宅から、榎本は――さすがにお年ですからたまに――不忍池を経て、南千住までの往復42キロの道のりを走っていると思います。いまでも、バットを振っていると思います。そうでなければ、これだけ多くの人が、亡くなって間もなく9年になろうというのに、榎本、榎本というはずがありません。
榎本の全盛期は、先の東京五輪(1964)の時期でもありました。榎本は――私、繰り返しますが――東京スタジアム跡地を、いまでも不思議な気持ちと面持ちで、見守っていると思います。
業務連絡です >> 黄金頭さん。
nekohanahime on Twitter: "バレンタイン用にSKI QUEEN発送しました。1/25着予定です。 @goldhead https://t.co/ORNR2Fs7WR 理論上存在し得ないので巧妙な詐欺かもしれませんwww"
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi08_02
ちょっと酒ばかりではあれかなと思い。お酒はお手元にありそうな気配でもあり。
メリークリスマス!
船橋海神 拝承
追々記(1/23, 16:55):
ちょっと自分でも気になる箇所があったので末尾に試訳Dを足しました。そちらにお進みください。
*
朝日新聞の愛のない口語訳に驚きあきれてかわいそうを通り越す話です。
大したことのない歌です。でもね、こういうのが大切なんですよ。
かきおくもかたみとなれやふでのあと我はいずこのうらにすむとも
品詞分解します。
朝日新聞(戸村登)訳:
(大意・自分がどこで朽ち果てても、この筆跡が形見になってほしい)という歌や、歌を略した「かたみかたみ」という文字も多く残されていた。
適当すぎる。ひでー。ぜんぜんちがうよ。「朽ち果てる」なんてどこにもない。こういうのは大意と呼ばない。「歌を略した」もちがう(後述)。
*
順番にそのまま訳します。
かきおくも:書き置いておくね。
かたみとなれや:(いっそ)形見となってしまえ(ばいい)。
ふでのあと:この筆の跡(が)
我はいずこの:(他の人はどうかは知らないけれど)私はどこの
うらにすむとも: 場所で暮らすとしても。
*
いっそ形見になってしまえばいいと思って、このことを書き留めておきます。この先、私が(訂:この世の、あるいはこの世の他の)どんな場所で暮らすとしても。(船橋海神試訳A)
*
いっそ(この恋の)忘れ片身になってしまえばいい(でもなりきれない)と思って、このことを書き留めておきます。この先、私がだれの胸の内で(この思い出をきれいなものとして大切に)暮らすとしても。(船橋海神試訳B)
*
第一感でAに寄るのはわからないでもない。でもBの可能性もあります。
三上先生のコメントが奮っている。てか、朝日の戸村登はせっかくの三上先生の話を聞いているようで、中身はまるで素通りしているわけか。
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の三上喜孝教授(日本古代史)によると、「かたみかたみ」は当時の落書きの定型という。16世紀後半~17世紀前半、巡礼者たちが各地の寺の観音堂などに「住んでいる地名+人名+かたみかたみ」と書き記した。「当時の落書きは信仰の一種。いまの落書きのような倫理的な問題があるとは、当時は考えられていなかっただろう」とみる。「旅の記念に自分が訪れたことの証しを書き残していったと思われます。ユースホステルなどに宿泊したお客さんが、備え付けのノートに思いを書き残す行為に近いのでは」
ということでBだな。旅の記念です。センチメンタル・ジャーニーじゃないのかな。別れが決まっている恋人との、あるいは成就しなかった思い出の場所にやってきて、記念パピコ(かたみかたみ)したのでは。
お参りでもよさそう。
朝日訳では世を儚(はかな)みすぎています。「自分がどこで朽ち果てても」は、よくないです。せっかく残してくれた落書きを、仏教的世界観(?)の呪縛から自由にしてあげないとかわいそうよ。
*
追記:
記念にと思って書いています。この先(旅を終えて)、私がどこで暮らしても(この旅/お参りのことは忘れません)。(船橋海神試訳C)
こうかな。こうだ。恋を外して三上先生説をとるならCだ。
*
追々記(1/23, 16:55):
「なれや」は、「なるだろうか」「ならないかな」(やを疑問あるいは反語ととる解釈)もあり得ます。そうすると歌の雰囲気がまた違ってくることに気づきました。
(訪れた記念に)書きおくこの歌が、形見にな(ってくれ)るだろうか、ならないかな。この先どこか別の場所で暮らしても、なってくれたら。(船橋海神試訳D)
お粗末様でした。