Abstract
藤子・F・不二雄「征地球論」に登場する3人の野球選手は誰かを考察しました。今回は以下を行いました。
- 重要な描写的事実の(準)確定
- その考察
- 実際に行われたプロ野球の試合の絞り込み
本パート1の到達点として、
- 3人の野球選手は、広島東洋カープの{山根和夫|福士敬章}、同じく衣笠祥雄、{ヤクルトのスコット|横浜大洋のジェームス|阪神の川藤幸三}の可能性がある
- また、ゲームの行われた日は、1980年5月3日、同5月10日、同5月24日の可能性がある
という論考結果を得ました。
次稿パート2では、能う限り、本作で描かれているプレイが、どのゲームの何イニング裏表のどのようなものであるかに迫りたいと考えます。
事実(Fact-)と第1段階考察(Consideration1-)
藤子・F・不二雄「征地球論」には、P.247、P.250(「史料の引用元」のページ番号。原稿左片隅に付されたもの。以下同じ)には、野球選手が3人、描かれています。
- (Fa1)野球選手Aの存在: 左下のブラウン管TVに映っています。ヘルメットではなくソフト帽でロゴがCです。(Co1-1)野球中継の手法から、ソフト帽Cをかぶっているのはマウンド上の投手であることが示唆されます。監督などベンチサイドの可能性もありますが、表情が若いので棄却します。
- (Fa2)時刻: 棚に置かれた時計の針は4時10分前後を指しています。同ページの屋外の描写から、また画面は引きませんが母親の「学校から帰るなり」(P.248)から、未明ではなく(Co1-2)午後4時10分前後であることが推定されます。(Co1-3)この野球の試合はデイゲームです。
- (Co1-4)土曜日であることが強く推察されます。P.249に「週休二日になっても」と母親が愚痴をこぼしていること、および、サラリーマンの父親がデイゲームを自宅居間で寝そべって見ている描写によります。ただし、後述のGWと仮定とした場合とは、この描写および全体描写と、不整合をきたすように感じます。すなわち、GWならGWと書くだろうと、でも、それがありません。
- さて、P.247からP.249の間に、間に攻守交代(チェンジ)の描写がありません(父親が反応していません)。時間の経過も母親の子供部屋と居間との往復程度とほとんどないと読み取れます。ここから、(Co1-5)「カーン」の描写で打ったのは、Cチームの対戦相手であると考えられます。これは、やや弱い推論です。
- (Fa3)野球選手Bと野球選手Cの存在: P.250の1コマ目に、塁上でクロスプレイを行う2人の野球選手(それぞれ、守備側=野球選手Bと、攻撃走塁側=野球選手C、とします)が描かれます。
- 野球選手B: (Fa1とCo5を援用)Cチームの内野手で、塁線の描かれ方と走者の滑り込み角度から、(Co1-6)Cチームの内野手(三塁手であり、三塁上のスライディングプレイ)であると考えられます。グラブの持ち方から、(Fa4)右投げの内野手です。Cをロゴとするチームに所属し、彫りの深さとこの骨格比率(プロポーション)を持ち、この塁上での守備ポーズをとる選手として、(Co1-7)衣笠祥雄選手(身長175cm)が候補に上ります。長嶋茂雄さんに見えないこともありませんが、本稿では採用せず、別の機会に譲ります。残念ながら、野球選手Bのソフト帽のロゴは描かれていません。
- 野球選手C: まず、(Fa5)背番号4を付けています。次に、(Co1-8)野球選手Bと同じかそれよりも背の高い、腰回りの幾分細身の選手に見えます。
- 作品の描かれた時期: 初出掲載誌「1980年(昭和55年)『マンガ少年』7月号」です。発売は、1980年6月第1週です。当時の締切慣行について私は詳しくありませんが、(Co1-9)執筆時期は1980年5月中旬よりも前と仮定できそうです。半袖やランニングシャツの描写は、掲載時期が初夏であることと整合します。
- なお、打者走者以外の三塁への滑り込み(例、走者進塁や盗塁)は、大きなポイントではありますが――今回は考慮外、次回以降への課題、とします。換言すれば、(Co1-10)「カーン」は野球選手Cの放った三塁打の打球音と見なして論考を進めます。
第2段階考察に先立つ検討〜背番号4に関して
1980年のセリーグ各球団の背番号4をつけた選手と身長, 体重[]は次の通りです。加えて、1980年のシーズンに三塁打記録があるか、ある場合はその本数を記します。
- 広島東洋:(念のため)水谷実雄[180, 86]あり1
- ヤクルト:スコット[187, 79]あり4
- 読売巨人: (永久欠番)
- 横浜大洋:ジェームス[183, 84]あり2
- 阪神タイ: 川藤幸三[174, 74]あり1
- 中日ドラ: ジョーンズ[188, 91]なし
第2段階考察(Consideration2-)
以上から、
- 1980年のセリーグ開幕から5月20日、遅くとも5月24日(土)までの間に行われた
- 土曜日のデーゲーム「広島vs○○戦」で(○○はヤクルト、横浜大洋、阪神のいずれか)
- 衣笠祥雄(野球選手B)が三塁を守り
- 相手○○チームの背番号4の選手が三塁に滑り込むプレイがあり
- それが午後4時10分過ぎであるようなもの
を、探索すればいいことになります。これを行うと、野球選手Aと野球選手Cが自動的に定まります。その際の、探索順位として、野球選手Bの(Co1-7)衣笠祥雄選手(身長175cm)に対し、(Co1-8)野球選手Bと同じかそれよりも背の高い、腰回りの幾分細身の選手に見えます、から、(Co2-1)ヤクルトのスコット選手が第1候補となります。次いで、横浜大洋のジェームス、その次が阪神の川藤幸三選手となります。
ここで本来は注で記すべきですが、驚きと感謝とともに記したいことがございます。
ぼく「まさか川藤選手が挙がってくるとは思いませんでした。すばらしい\(^o^)/」
探索手法
- ウェブ検索。具体的には、スタメンアーカイブ TOPページ / 日本プロ野球私的統計研究会さん。いつも何かとお世話になっています。
- 図書館で新聞の縮刷版
探索進捗
引用は上記「スタメンアーカイブ TOPページ / 日本プロ野球私的統計研究会」さんから行います。曜日は当方が振りました。なお小見出し「進捗」としたのは未完了のためです。パート2でご報告予定です。
- ヤクルトに関して、1980年5月3日(土/祝)のゲーム(これは、連休初日に臨時登校があってその日から翌日翌々日の連休を見越して不良行為にふける14歳として、またGWのデーゲーム慣行として、ありえるかと思います): 5/3(土) 広 広島市民 ● 2--3 6パラーゾ 5角富士夫 7*若松勉 8スコット 9*杉浦亨 3大杉勝男 2大矢明彦 4渡辺進 1鈴木康二朗 山根和夫
- 横浜大洋に関して、1980年5月24日(土)のゲーム: 5/24(土) 広 県営宮城 ● 3--5 8*長崎慶一 6山下大輔 4基満男 9*高木嘉一 7*ジェームス 3松原誠 5田代富雄 2福嶋久晃 1高橋重行 福士敬章
- 阪神に関して、1980年5月10日(土)のゲーム: 5/10(土) 広 広島市民 ○ 7--1 6真弓明信 4+加藤博一 8佐野仙好 7*ラインバック 3*藤田平 2若菜嘉晴 5岡田彰布 9北村照文 1小林繁 山根和夫/川藤幸三選手の途中出場記録は今回は及ばず
「絞り込み」というより「当たりをつける」感じですけれど、文系の学問の着手点ってこんな具合です。
史料の引用元
おまけ
P.256で男の子が読んでいるのはアシモフの「銀河帝国の興亡3」です。1970年4月の刊行です。男の子は1965-6年生まれの14歳です。本書はおそらく父親(1934-35年生まれの45歳)が30代後半で買い求め、それを男の子が父親の書棚から選って1、2、3巻と読み進めてきたものと思われます。見どころのある男の子です。
僕も7歳だった1980年当時かその後か忘れましたが、10代で本作(征地球論。さすがにアシモフはもう少し後です)を読み、強い印象が残り、この内野手は衣笠だと直観した記憶があります――顔の彫りとポーズから。
加えて、Cのソフト帽をかぶった選手は、顔立ちから、山根和夫か北別府ではないかと思った記憶もあります。
それらのことを、尾崎豊「盗んだバイクで走り出す」ではありませんが、最近の若い方には通じないかもしれない1980年の話ではあるけれど、何かのよすがとして、記しておきたいと思った次第です。
どうも大変にお粗末様でした。パート2にご期待ください。ほんとの掛け値なしに、ここからは縮刷版との渡り合いです。
追記
本作には、
- 競馬開催シーズンである。
- 「ハルク」とある。新宿駅西口かな。
など、他にも広重の浮世絵を読み解くような楽しみが――もちろん他の藤子作品にも――ちりばめられています。
今回触れたのは、その豊穣から、ほんの1点2点。ほんとうにすばらしい作品と作家です。藤子・F・不二雄先生、どうもありがとうございました。