illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

朝日新聞の愛のない口語訳に驚きあきれてかわいそうを通り越す

追々記(1/23, 16:55):

ちょっと自分でも気になる箇所があったので末尾に試訳Dを足しました。そちらにお進みください。

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朝日新聞の愛のない口語訳に驚きあきれてかわいそうを通り越す話です。

www.asahi.com

大したことのない歌です。でもね、こういうのが大切なんですよ。

かきおくもかたみとなれやふでのあと我はいずこのうらにすむとも

品詞分解します。

  • かきおく:カ行四段動詞「書き置く」連体形。係助詞「も」の上は連体形です。
  • も:不確かさ、不安、懸念の係助詞。AかもしれないしBかもしれないしそれ以外かもしれない。
  • かたみ:名詞。「形見」。直観的には「片身」(かたみに袖をしぼりつつ)にも掛けているかなとも思いますが、この方の他の歌を見てみないと何ともいえません。また、「記念パピコ」(後述)。
  • と:格助詞
  • なれ:ラ行四段活用動詞「なる」命令形。なってしまえ。
  • や:詠嘆、強意の係助詞。「いっそ」なってしまえ「よ」。あるいはなって「おくれ」。追記:疑問/反語もあります。疑問/反語ととる場合は試訳Dのようになります。
  • ふで:名詞。筆。歌。言の葉。
  • の:格助詞
  • あと:跡。筆跡という意味と、この後(のち)という意味と、(旅を終えた)(世を去った後の)後の世、まで歌い手は視野に入れています。
  • 我:名詞
  • は:係助詞
  • いずこ:代名詞。somewhere / somethere else
  • の:格助詞
  • うら:名詞。これがこの歌で一番むつかしい。「裏」「浦」「内側(裡)」「内面」「心」。恋歌ととるなら「だれか別の人の心」となっておかしくない。そうすると「片身」にも反射効が生じる。恋歌かもしれん。いま書いていてふと腑に落ちる。また、用例はあまりないけれど、梢(こずえ)という意味もあります。
  • に:格助詞
  • すむ:マ行四段活用動詞「すむ」終止形。文法は大したことないが意味は(これも)むつかしい。まずは、(1) 裏/浦-住む(縁語)だろうと思う。(2) 裏/澄む、もあり。その場合は「だれか別の恋人のところで(いまのこの辛い恋の)思い出がきれいになる」。ない。ないない。
  • と:接続助詞。「としても」の「と」。「と」の上に用言が来るときは終止形です。
  • も:不確かさ、不安、懸念の係助詞。AかもしれないしBかもしれないしそれ以外かもしれない。この歌2度目。ここはうまいなあと思います。

朝日新聞(戸村登)訳:

(大意・自分がどこで朽ち果てても、この筆跡が形見になってほしい)という歌や、歌を略した「かたみかたみ」という文字も多く残されていた。

適当すぎる。ひでー。ぜんぜんちがうよ。「朽ち果てる」なんてどこにもない。こういうのは大意と呼ばない。「歌を略した」もちがう(後述)。

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順番にそのまま訳します。

かきおくも:書き置いておくね。

かたみとなれや:(いっそ)形見となってしまえ(ばいい)。

ふでのあと:この筆の跡(が)

我はいずこの:(他の人はどうかは知らないけれど)私はどこの

うらにすむとも: 場所で暮らすとしても。

*

いっそ形見になってしまえばいいと思って、このことを書き留めておきます。この先、私が(訂:この世の、あるいはこの世の他の)どんな場所で暮らすとしても。(船橋海神試訳A)

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いっそ(この恋の)忘れ片身になってしまえばいい(でもなりきれない)と思って、このことを書き留めておきます。この先、私がだれの胸の内で(この思い出をきれいなものとして大切に)暮らすとしても。(船橋海神試訳B)

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第一感でAに寄るのはわからないでもない。でもBの可能性もあります。

三上先生のコメントが奮っている。てか、朝日の戸村登はせっかくの三上先生の話を聞いているようで、中身はまるで素通りしているわけか。

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の三上喜孝教授(日本古代史)によると、「かたみかたみ」は当時の落書きの定型という。16世紀後半~17世紀前半、巡礼者たちが各地の寺の観音堂などに「住んでいる地名+人名+かたみかたみ」と書き記した。「当時の落書きは信仰の一種。いまの落書きのような倫理的な問題があるとは、当時は考えられていなかっただろう」とみる。「旅の記念に自分が訪れたことの証しを書き残していったと思われます。ユースホステルなどに宿泊したお客さんが、備え付けのノートに思いを書き残す行為に近いのでは」

ということでBだな。旅の記念です。センチメンタル・ジャーニーじゃないのかな。別れが決まっている恋人との、あるいは成就しなかった思い出の場所にやってきて、記念パピコ(かたみかたみ)したのでは。

お参りでもよさそう。

朝日訳では世を儚(はかな)みすぎています。「自分がどこで朽ち果てても」は、よくないです。せっかく残してくれた落書きを、仏教的世界観(?)の呪縛から自由にしてあげないとかわいそうよ。

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追記:

記念にと思って書いています。この先(旅を終えて)、私がどこで暮らしても(この旅/お参りのことは忘れません)。(船橋海神試訳C)

こうかな。こうだ。恋を外して三上先生説をとるならCだ。

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追々記(1/23, 16:55):

「なれや」は、「なるだろうか」「ならないかな」(やを疑問あるいは反語ととる解釈)もあり得ます。そうすると歌の雰囲気がまた違ってくることに気づきました。

(訪れた記念に)書きおくこの歌が、形見にな(ってくれ)るだろうか、ならないかな。この先どこか別の場所で暮らしても、なってくれたら。(船橋海神試訳D)

お粗末様でした。