illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0010 だめにんげnプロフェッショナルの行方

男性役割、いや、競争社会や上昇志向から「降りる」ことの難しさ - シロクマの屑籠

2020年現在においてなお、シロクマのいうように、研修医がこぞって(揃って)コミュニケーション強者になったとはとても思えない。そんなわきゃなくて、むしろ光を、手を伸ばすべきは、いまなお《だめ人間のまま》研修医を、血液内科医を勤めている若い人たちだ。この件は(そもそもおれのところに話が来(るはずも)ないが)対話も論証も介在する余地がない。

第2章:血液内科医(1) - セカンド・オピニオン(船橋海神) - カクヨム

シロクマは白々しく高みから論じた風を演じていないで、「自分はこんなふうにかつてだめ研修医だった」というエピソードをどんがらがっちゃん週次で開ちんちんすべきである。他に道はない。お前が自分の言説で見えなくしているんだ。ちんかすやろうめ。

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「復活の日」準備日記#0008 ストーブリーグの春

まずは、枕に英辞郎1448から。

hot stove league

〈俗〉《野球》ストーブリーグ,野球談義をする人たち,【語源】野球の試合がなくなる冬季に,野球ファンたちがストーブを囲んで,選手の移籍・契約更改・引退などの話をする様子から

ストーブリーグということばがあります。

こと日本の、80年過ぎ以降からは、(低成長に転じたとはいえ)高度経済成長、爛熟の総仕上げといった観で、このことばは(とりわけ顕著になったのは落合博満の頃からかな)《銭闘》といった品のない熟語とセットで想起されるようにもなりました。

しかし、元は違うと玉木正之常盤新平かの説で読んだことがあります。上の、英辞郎の訳解にも、その匂いが感じられるので、引いてみた次第です。

「野球の試合がなくなる冬季に」これに続く趣が、少々、違う。

(1)もともとの意味は、オフ・シーズンにファンがストーブを囲み、ペナントレースを振り返って、回顧談にふけることをいう。

玉木正之プロ野球大事典」新潮文庫20P.295

スポーツライターはエンターテイナーでなければならない、とジョン・ラードナーというスポーツライターは書いていた。ラードナーは野球小説を書いたリング・ラードナーの長男である。1960年に亡くなるまでスポーツや映画のことも書いてきた。彼もまた活字によってスポーツを面白くしたジャーナリストである。

冬には、スポーツ紙の選手の結婚や契約更改の記事のかわりに、楽しいスポーツ物語を読みたい。そうして、春を待ちたい。(略)いまは毎日、コタツに入って居眠りばかりしているが、実は、私は春をひたすら待っているのである。また、暑い夏を待っているのである。

常盤新平「ベースボール・グラフィティ」講談社文庫P.65-66

この、ストーブリーガー究極の姿は、おそらく、ヘミングウェイ「老人の海」で、ヘミングウェイと老人が、ディマジオを想起するシーンでしょう。あまりに有名なその箇所は、あえて引きません。代えて、

「彼が守備位置のセンターで打球を追っているのを見ると、その優雅さに息をのむような気持にさせられる。すこしも急いでいるように見えないのに、素晴らしいスピードで球に追いついている」(殿堂入りの名門外野手モンティ・アービン)のだった。

ハンサムで内気で長身で、そのうえ名門チームの中心打者、身だしなみは一分の隙もない。そんなヒーローの条件を完璧に備えていた。

伊東一雄/馬立勝「野球は言葉のスポーツ」中公文庫P.20

 *

プロフェッショナルが描くスポーツというのは、おそらく、不在(いまここにないもの。次の瞬間にはあり得るかもしれないもの)によって際立つ、想像を惹起する力にこそ生命があるのではないかと思います。海老沢泰久は、長島(彼は半ば依怙地に、ヤマ偏なしで表記します)茂雄の魅力の本質を、「僕たちが期待する、次の瞬間に対するイマジネーションを、あれほどまでに完璧に満たしてくれた力」(意訳)といったように表しています。

しかし、これはモダニズムの延長にある。私たちは、待ち望む、あるいは不在の寂しさをそのままに場に表白するだけで、期待していることをむやみに感じさせない、無限遠点に歩み寄るかのような、新しい(温故知新)ファン心理を読んで、のどごしを味わう機会、僥倖を与えられています。

goldhead.hatenablog.com

この、白さは何なのだろう。ポストモダンだ。あるいはポストモダン以降。

虫明亜呂無か、寺山修司かと思いました。だがそうではないんですね(ちなみに、はてなブロガーの中で、虫明亜呂無を読みこなしている量は、黄金頭さんと僕で馬連鉄板のはず)。むしろ、と少し頭を巡らせて思い当たった。

庄野潤三スポーツライターに転身したら、黄金頭さんの今回のエントリーのような筆致になるのではないか。あるいは、なぜ、このまま日刊ゲンダイのスポーツ欄に転載されないのだろうか、など。

*

屋上屋を架すことはしたくない。だから引用はしないが、黄金頭さんの今回の断章は、とりわけ結びが効いている。この結びがあるとないとでは雲泥の差が出る。そのように、彼の才能には、掌編小説家(エンターテイナー)としてのものに加え、スポーツを巧みに描き、私たちを楽しませてくれるエッセイストという側面がある。悲しくて、困っているのに、楽しいのである。

角度を変えていえば、それはジャーナリストとしての本質的な美質と呼んで差し支えないものだろう。いまではなぜか忘れられ、別の意味が全面に出ているが、journalは日記という意味だった。関内関外は、だから何が書かれようと、日記、日誌、日乗である。そのことが、戦時下の私たちを支えてくれている。

常盤新平の一節を再度、引いておきたい。

彼もまた活字によってスポーツを面白くしたジャーナリストである。

*

終息したら、春のオープン戦にお誘いして、「黄金頭コロナ日記」の企画を切り出す夢を思い描いている。

プロ野球大事典 (新潮文庫)
 
ベースボール・グラフィティ (講談社文庫)

ベースボール・グラフィティ (講談社文庫)

 

 

「復活の日」準備日記#0007 石田紋次郎の謎に迫る

石田紋次郎の話をたまにしたくなります。今日はその総集編です。長年の謎がまたひとつ氷解した気がしました。川村真二さんには申し訳ないけれど、全文を引かなくては話が成り立たないのでご容赦いただきたく存じます。

名人落語家の古今亭志ん生は、戦時中に、開拓民、軍人の慰問で満州に入り、大連で日本の敗戦を知った。

満州国は崩壊、生活に困窮し、空腹をかかえ、みすぼらしい姿で、わずかなタバコを金にしようと大連のデパートの知人を訪ねた。しかし、換金は断られた。

がっかりして志ん生はデパートを出ようとした。そのとき、見知らぬ人が声をかけてきた。相手は石田紋次郎と名乗った。以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。石田はデパート関係の仕事で来ており、志ん生の困った姿を見て、つい声をかけたのだ。石田は言った。

志ん生さんが内地へ引き揚げるとき、持って行ってもらいたいものがあるので、ご足労ですが家にきてほしい。よかったら今来てほしい」

何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した。ついて行くと、石田は途中でパンを買った。

志ん生さん、うちに行って、食事を差し上げたいが、それまでのつなぎにこれを召し上がってください」

志ん生は数日、満足に飯を食っていなかった。うれしかった。厚く礼を言って、パンを食べた。石田は、肉屋に行き、豚肉を買って来た。

「この肉は志ん生さんからの手土産ということにしてください」

志ん生はうなずいた。石田の家に着くと、石田は、出てきた奥さんに言った。

「今ね、志ん生さんに偶然会ったの。これを買ってもらっちゃったよ。せっかくのご厚意だから頂戴して、夕食をご一緒にしていただくことにした。さァはやくご飯を炊いておくれ、いただいた肉で飯を食べることにしようよ」

 川村真二「その恩の重さは、月とスッポンほどの違いがある」(日経ビジネス人文庫『働く意味 生きる意味』P.46-47)

やがて用意が出来た。石田は志ん生の大好きな酒を振る舞い、奥さんも、有名な客がお土産までもって来たと思って、とても喜び、肉も、酒もしきりに勧めてくれた。

石田は志ん生の肩身を広くして、奥さんの前で恥をかかせず、遠慮なく飯を食わせてやろうと、取りつくろってくれたのだ。志ん生は心の中で手を合わせた。ありがたさに食事中、涙がどうしてもこみ上げてくる。涙を奥さんに見せないよう天井を見上げ、巧みな話術と仕草でごまかし、あくまで悠々とした態度を演じた。

食事がひと段落つくと、石田は志ん生に内地に持って行ってもらいたいと、ふとん、洋服、毛皮の襟のついた外套を取り出して言った。

志ん生さんが持って行ってくれれば安心だ。私が内地に戻ったら、もらいに行きますからそれまでこれを着ていてください」

さらに、帰り際、石田は「さっきの肉のお礼に家内から」と1,000円の金を出した。志ん生は一瞬迷ったが、芝居を演じ切って、「かえってご迷惑を、それでは」と鷹揚に懐に入れた。

帰国が決まったとき、志ん生は石田の家に駆けつけた。石田は喜び、付け焼きの餅をたくさんくれた。

志ん生は無事帰国して石田の息子を探し出し、両親の健在を知らせた。息子は大喜びした。

前掲書P.48

数年後、石田が帰国した。志ん生は家捜しに走り、毛布などを石田の家に持って行った。

それでも気のすまない志ん生は石田宛てに手紙を認(したた)めた。

「どんなことがあっても、出来るだけのことはさせてもらいますから」

石田は返信した。

「内地に引き揚げてから、あなたには大へんなお世話になりました。どうやってそのご恩返しをしたらよいかと思っているくらいです」

志ん生は石田の言葉に胸をつまらせた。

志ん生が内地に戻り、平穏無事な世界で石田にしたことと、満州国が瓦解した中国大連で、日本人は誰も命の瀬戸際にいたとき、石田が志ん生にかけてくれた情け、その恩の重さを、志ん生は「くらべもんにはなりません。月とスッポンほどのちがいですからね」と言った。

二人の美しい交流は生涯続いた。

同P.49

*

1箇所だけわからないところがあります。それは石田紋次郎の、

以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。

この部分。声をかけられた当の志ん生も、「何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した」と、わからない。

*

それが昨晩、わかった。

芸に救われることが、人にはある。戦時下、磁場や地層が平時と反転したり捻れたりする。帰り道、僕がこのコメントを付けたあと、黄金頭さんは、僕の記事のひとつにスターをそっと置いてくれた。

「以前黄金頭さんの話を読んで随分励まされたという」

いまがそれだ。彼、黄金頭さんの心優しさは、たとえばそういうところにある。

*

石田紋次郎は僕と同じような何か、天籟を、志ん生に聞き、見たのだろう。

その志ん生は、戦後またたく間に評判になった。それまでの人生の不遇、ツケを取り返すかのように、とんとん拍子で、世に受けた。その間も志ん生は、あるいは「何のことかよくわからない」ままだったかもしれない。

石田はわかっていた。

*

天籟。てんらい。ふたつめかみっつめの意味に「詩文の調子が自然で、すぐれていること。絶妙の詩文」とある。またちなみに、桶谷秀昭が昭和20年8月15日にこのひとつめの意味「天然に発する響き。風が物に当たって鳴る音など」を聞いたとする新聞記事を後に引いて、司馬遼太郎と書簡をやりとりしている。

「復活の日」準備日記#0006 不要不急罪で叩かれる人

フォンタン手術がいまのところ術後良好とのことなのでお礼参りに出てきた。不要不急の外出は不要不急罪で官憲に棒で叩かれる噂が船橋には流れている。むろん私が流した。

お礼参りは見つかってはならない。本来お参りはそういうもので、密でなくてはならない。密の字義は家の両側から木の棒をあてがい締め付けるさまである。いま手元にないが、諸橋大漢和にざっとそのようなことが書いてあった。段落変えを減らすと、このように密である。

*

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街を歩いてつくづくと感じたのは、私は船橋という街が好きであり、街もまた私を好いていてくれているということであった。商店街(飲み屋街)に畳屋がある。人通りは少ない。

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畳屋のある通りをそのまま東に向かうと、日本一小さい東照宮がある。

船橋東照宮 - Wikipedia

私の好みだ。路地を折れ、住宅街、というか住宅の一角になぜか鳥居が座っている。

その近くには、両論併記、むしろ近頃では悪評のほうが高いやもしれぬ「ソースラーメン」発祥のお店がある。開店していた。胸をなでおろす。

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手前の出前はタイカブだろうか。ホンダのフォルムには違いない。

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湾の対岸、横浜には、中村川という渋い風情の川が高架下を流れ、長く錨してあった屋形船が解体撤去されたという、優れた文人の手による記事を最近どこかで読んだ覚えがある。写真は船橋の海老川。

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同じ足で船橋大神宮に向かい、お百度石の前で、快癒の第一歩を叶えてくれた御礼を申し伝える。もともと緑と木々の豊かな神社だが、不要不急の空気がいつにも増して清涼に感じられた。

閉じた社務所の前で、神殿を背景に、乳飲み子を抱えた若い夫妻に記念撮影を頼まれる。応じた。1歳とのこと。2019年生まれ。赤子は2100年を見ることだろう。きっと強い子になりますよとぼそぼそっと伝えると、夫妻は照れたように笑い、礼をして、離れていった。

私のいまの気がかりは、手はよく洗ったものの、私の不浄が手渡されたデジカメに残っていないかということだ。ハンカチでよく拭ったが、どうだったろう。赤子と夫妻にとって1歳のお参りは一度しかない。要にして急である。似たような3人組を数組、境内で見かけた。

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帰りに、時間があったので、N国党首の住まうマンションを横目に飲み屋街を流した。

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ラブホテルを背に、お稲荷さん(きんたま袋ではないほう)から京成船橋の南口方面を撮る。写真の最奥行きに「天ぷら」という幟(のぼりばた)が見えるだろうか。船橋「いなか亭」で検索すると見つかるが、貴君らは来るまい。私は官憲を恐れながらこそこそと足を運ぶつもりである。

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そのお稲荷さんも、私が船橋に越してきた2015年2月から5年2ヶ月弱、少しずつ姿を変えていた。お稲荷さんの裏手(蟻の門渡りではないほう)に緑色のブルーシートが掛けられ、おそらく補修であろう、工事が進められていた。

*

以上は前置き(1)である。

この、旧赤線から駅に向かう筋道を私は愛しており、ここがやられたら船橋の終わりだと思い定めている。それが「いなか屋」の角を折れるや、胸に「路上の客引きを取り締まりましょう」的な(すぐに目を背けたので正確なフレーズは忘れた)ワッペンをかけた、あれは自警団だろうか、何だろうか、ALSOCか警察だかの制服に身を包んだ10人ほどの集団とすれ違って頭を抱えた。

*

これくらい長々と呪い(まじない)を駆使したならば、貴君らは写真に忍ばせたねこちゃんたちの数を忘れたに違いない。自粛要請からわずか a few days に過ぎないが、船橋繁華街を占める、ねこちゃんのテリトリーが拡大した気配が感じられる。

これが前置きの(2)。

*

私は、CALMINさんのところのはる君のフォンタン手術がまずは着実な第一歩を月面に刻んだとCNNの報道で知ってから、お礼参り(教師をぼこぼこにするほうではないやつ)をしなくてはと密かに思ってきた。それが、このたびようやく叶ったのである。

「密、密、密」

私はつぶやき、だれにも見られないように足を運んだ。そのつもりだった。きんたまであるとか、立花孝志であるとか、あらゆる秘術を駆使したつもりである。ねこが、その道中を見守ってくれていた。さすが、ねこちゃんである。

本心は悟られてはならない。本音論などは、少し離れたところに住むはずの、元フジテレビキャスターに任せておけばいい。

私の秘術はあともう少しで、うまくいくところだった。それが見つかってしまったのである。私の得た情報によるところ、中京のお百度勢は、残り25回に向かっているはずであった。インターネットはわるい文明といわざるを得ない。

よって私は願を成就するために、再び初めから、恥を晒しつつ、生き延びなくてはならない。

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不惜身命。はる君、私たち役に立たない老兵が、君の未来を願っている。願うのと託すのとは違う。私たちの流派はむやみに託したりしない。むしろ災厄を引き受けるほうに優れている。だからたとえば、今日これからUSとGBとの夜間会議が待っている(NYCが心配だ)。

私は会議中に腕組みをし、目を閉じ、考えているふりをしつつ、願い、確かめて頷くだろう(…はる…晴れは、雲居を払うの意だ…OK…) ケホケホ。これは咳払い。#不幸にもまたそういうことを書いてしまう。

*

それら何やかやの、合間を縫うようにして、ここしかないタイミングで街を歩くことができた。

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いい、散策だった。どうやら、私は自分が思う以上に、船橋の街を好み、街のほうでも、私を憎からず思ってくれているらしい。

大切なことなので書く繰り返し 575

にゃーん😺😺😺

「復活の日」準備日記#0004

喉元過ぎれば熱さを忘れる。熱しやすく冷めやすい。さっと潮が引くように。

いろんないいかたがあるけれど、緊急事態宣言発令翌朝のJR船橋駅西船橋駅からは、それらの《予兆》が感じられた。

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静かだ。人通りが少ない。だが、と思った。どこかで見た覚えがある。盆と正月だ。

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傾いていて申し訳ない。勤め人の首がみな似た角度で傾き、マスクをして、スマホか、新聞か、つま先の先を見て首をすくめている。その角度に、カメラ(スマホ)も、なびいてしまったようだった。

この風景も、盆暮れ正月くらいの期間は持続しようが、其れが過ぎれば元の木阿弥だろう。経済が続いていれば。続いていなければ、より乾いた空虚が写真に収まることになる。その先に、5月1日、メーデーが待っている。皮肉か好機か。

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今日、新しく感じたことはほとんど1点だけ。

www.tsr-net.co.jp

「必要」だが「不急」は《控えろ》と助さん角さんが、安倍晋三を印籠にして、な。(´;ω;`) メーデー蜂起あり得るなあ。 - cj3029412 のブックマーク / はてなブックマーク

メーデー蜂起は別にしても、この「控える」の用法が私にはわからなくて(具体的に何をどうしろというのか)、

同地裁は、「(破産など)申立ての受理は行うが、緊急度が高くなければ、開始決定は緊急事態宣言の解除まで処理を停止する」と説明

ただでさえ時間がかかるといわれる開始決定プロセスが、ここに「緊急度が高くなければ」を挟み込むのは、却って平常運転をアッピールする狙いかとか、やっぱり「要請」なのかとか。

日本的なものが、毎日、何かしら、新しい意匠を凝らした着物から、二人羽織の手を伸ばすようにして、私たちに牙を向けている。

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悲しかったのは、やはりこの災禍の日々に、関根潤三さんが亡くなったこと。関根さんのことは、日を稿を改めて、記したい。

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明日も出社する。復活の日は、掛け値なしで、遠のいたように見えた。