石田紋次郎の話をたまにしたくなります。今日はその総集編です。長年の謎がまたひとつ氷解した気がしました。川村真二さんには申し訳ないけれど、全文を引かなくては話が成り立たないのでご容赦いただきたく存じます。
名人落語家の古今亭志ん生は、戦時中に、開拓民、軍人の慰問で満州に入り、大連で日本の敗戦を知った。
満州国は崩壊、生活に困窮し、空腹をかかえ、みすぼらしい姿で、わずかなタバコを金にしようと大連のデパートの知人を訪ねた。しかし、換金は断られた。
がっかりして志ん生はデパートを出ようとした。そのとき、見知らぬ人が声をかけてきた。相手は石田紋次郎と名乗った。以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。石田はデパート関係の仕事で来ており、志ん生の困った姿を見て、つい声をかけたのだ。石田は言った。
「志ん生さんが内地へ引き揚げるとき、持って行ってもらいたいものがあるので、ご足労ですが家にきてほしい。よかったら今来てほしい」
何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した。ついて行くと、石田は途中でパンを買った。
「志ん生さん、うちに行って、食事を差し上げたいが、それまでのつなぎにこれを召し上がってください」
志ん生は数日、満足に飯を食っていなかった。うれしかった。厚く礼を言って、パンを食べた。石田は、肉屋に行き、豚肉を買って来た。
「この肉は志ん生さんからの手土産ということにしてください」
志ん生はうなずいた。石田の家に着くと、石田は、出てきた奥さんに言った。
「今ね、志ん生さんに偶然会ったの。これを買ってもらっちゃったよ。せっかくのご厚意だから頂戴して、夕食をご一緒にしていただくことにした。さァはやくご飯を炊いておくれ、いただいた肉で飯を食べることにしようよ」
川村真二「その恩の重さは、月とスッポンほどの違いがある」(日経ビジネス人文庫『働く意味 生きる意味』P.46-47)
やがて用意が出来た。石田は志ん生の大好きな酒を振る舞い、奥さんも、有名な客がお土産までもって来たと思って、とても喜び、肉も、酒もしきりに勧めてくれた。
石田は志ん生の肩身を広くして、奥さんの前で恥をかかせず、遠慮なく飯を食わせてやろうと、取りつくろってくれたのだ。志ん生は心の中で手を合わせた。ありがたさに食事中、涙がどうしてもこみ上げてくる。涙を奥さんに見せないよう天井を見上げ、巧みな話術と仕草でごまかし、あくまで悠々とした態度を演じた。
食事がひと段落つくと、石田は志ん生に内地に持って行ってもらいたいと、ふとん、洋服、毛皮の襟のついた外套を取り出して言った。
「志ん生さんが持って行ってくれれば安心だ。私が内地に戻ったら、もらいに行きますからそれまでこれを着ていてください」
さらに、帰り際、石田は「さっきの肉のお礼に家内から」と1,000円の金を出した。志ん生は一瞬迷ったが、芝居を演じ切って、「かえってご迷惑を、それでは」と鷹揚に懐に入れた。
帰国が決まったとき、志ん生は石田の家に駆けつけた。石田は喜び、付け焼きの餅をたくさんくれた。
志ん生は無事帰国して石田の息子を探し出し、両親の健在を知らせた。息子は大喜びした。
前掲書P.48
数年後、石田が帰国した。志ん生は家捜しに走り、毛布などを石田の家に持って行った。
それでも気のすまない志ん生は石田宛てに手紙を認(したた)めた。
「どんなことがあっても、出来るだけのことはさせてもらいますから」
石田は返信した。
「内地に引き揚げてから、あなたには大へんなお世話になりました。どうやってそのご恩返しをしたらよいかと思っているくらいです」
志ん生は石田の言葉に胸をつまらせた。
志ん生が内地に戻り、平穏無事な世界で石田にしたことと、満州国が瓦解した中国大連で、日本人は誰も命の瀬戸際にいたとき、石田が志ん生にかけてくれた情け、その恩の重さを、志ん生は「くらべもんにはなりません。月とスッポンほどのちがいですからね」と言った。
二人の美しい交流は生涯続いた。
同P.49
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1箇所だけわからないところがあります。それは石田紋次郎の、
以前志ん生の噺を聴いて随分励まされたという。
この部分。声をかけられた当の志ん生も、「何のことかよくわからないが、他に用もない志ん生は同意した」と、わからない。
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それが昨晩、わかった。
間もなく西船橋。帰りの電車で、黄金頭さんの変わらぬ暮らしぶりを読める至福。今日はひときわ激務だった (´;ω;`) 😺 / 1件のコメント https://t.co/EonjLk8tvd “さて、帰ったが - 関内関外日記” (2 users) https://t.co/J5lxrmEToX
— nekohanahime (@nekohanahime) 2020年4月17日
芸に救われることが、人にはある。戦時下、磁場や地層が平時と反転したり捻れたりする。帰り道、僕がこのコメントを付けたあと、黄金頭さんは、僕の記事のひとつにスターをそっと置いてくれた。
「以前黄金頭さんの話を読んで随分励まされたという」
いまがそれだ。彼、黄金頭さんの心優しさは、たとえばそういうところにある。
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石田紋次郎は僕と同じような何か、天籟を、志ん生に聞き、見たのだろう。
その志ん生は、戦後またたく間に評判になった。それまでの人生の不遇、ツケを取り返すかのように、とんとん拍子で、世に受けた。その間も志ん生は、あるいは「何のことかよくわからない」ままだったかもしれない。
石田はわかっていた。
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天籟。てんらい。ふたつめかみっつめの意味に「詩文の調子が自然で、すぐれていること。絶妙の詩文」とある。またちなみに、桶谷秀昭が昭和20年8月15日にこのひとつめの意味「天然に発する響き。風が物に当たって鳴る音など」を聞いたとする新聞記事を後に引いて、司馬遼太郎と書簡をやりとりしている。