illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0006 不要不急罪で叩かれる人

フォンタン手術がいまのところ術後良好とのことなのでお礼参りに出てきた。不要不急の外出は不要不急罪で官憲に棒で叩かれる噂が船橋には流れている。むろん私が流した。

お礼参りは見つかってはならない。本来お参りはそういうもので、密でなくてはならない。密の字義は家の両側から木の棒をあてがい締め付けるさまである。いま手元にないが、諸橋大漢和にざっとそのようなことが書いてあった。段落変えを減らすと、このように密である。

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街を歩いてつくづくと感じたのは、私は船橋という街が好きであり、街もまた私を好いていてくれているということであった。商店街(飲み屋街)に畳屋がある。人通りは少ない。

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畳屋のある通りをそのまま東に向かうと、日本一小さい東照宮がある。

船橋東照宮 - Wikipedia

私の好みだ。路地を折れ、住宅街、というか住宅の一角になぜか鳥居が座っている。

その近くには、両論併記、むしろ近頃では悪評のほうが高いやもしれぬ「ソースラーメン」発祥のお店がある。開店していた。胸をなでおろす。

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手前の出前はタイカブだろうか。ホンダのフォルムには違いない。

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湾の対岸、横浜には、中村川という渋い風情の川が高架下を流れ、長く錨してあった屋形船が解体撤去されたという、優れた文人の手による記事を最近どこかで読んだ覚えがある。写真は船橋の海老川。

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同じ足で船橋大神宮に向かい、お百度石の前で、快癒の第一歩を叶えてくれた御礼を申し伝える。もともと緑と木々の豊かな神社だが、不要不急の空気がいつにも増して清涼に感じられた。

閉じた社務所の前で、神殿を背景に、乳飲み子を抱えた若い夫妻に記念撮影を頼まれる。応じた。1歳とのこと。2019年生まれ。赤子は2100年を見ることだろう。きっと強い子になりますよとぼそぼそっと伝えると、夫妻は照れたように笑い、礼をして、離れていった。

私のいまの気がかりは、手はよく洗ったものの、私の不浄が手渡されたデジカメに残っていないかということだ。ハンカチでよく拭ったが、どうだったろう。赤子と夫妻にとって1歳のお参りは一度しかない。要にして急である。似たような3人組を数組、境内で見かけた。

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帰りに、時間があったので、N国党首の住まうマンションを横目に飲み屋街を流した。

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ラブホテルを背に、お稲荷さん(きんたま袋ではないほう)から京成船橋の南口方面を撮る。写真の最奥行きに「天ぷら」という幟(のぼりばた)が見えるだろうか。船橋「いなか亭」で検索すると見つかるが、貴君らは来るまい。私は官憲を恐れながらこそこそと足を運ぶつもりである。

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そのお稲荷さんも、私が船橋に越してきた2015年2月から5年2ヶ月弱、少しずつ姿を変えていた。お稲荷さんの裏手(蟻の門渡りではないほう)に緑色のブルーシートが掛けられ、おそらく補修であろう、工事が進められていた。

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以上は前置き(1)である。

この、旧赤線から駅に向かう筋道を私は愛しており、ここがやられたら船橋の終わりだと思い定めている。それが「いなか屋」の角を折れるや、胸に「路上の客引きを取り締まりましょう」的な(すぐに目を背けたので正確なフレーズは忘れた)ワッペンをかけた、あれは自警団だろうか、何だろうか、ALSOCか警察だかの制服に身を包んだ10人ほどの集団とすれ違って頭を抱えた。

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これくらい長々と呪い(まじない)を駆使したならば、貴君らは写真に忍ばせたねこちゃんたちの数を忘れたに違いない。自粛要請からわずか a few days に過ぎないが、船橋繁華街を占める、ねこちゃんのテリトリーが拡大した気配が感じられる。

これが前置きの(2)。

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私は、CALMINさんのところのはる君のフォンタン手術がまずは着実な第一歩を月面に刻んだとCNNの報道で知ってから、お礼参り(教師をぼこぼこにするほうではないやつ)をしなくてはと密かに思ってきた。それが、このたびようやく叶ったのである。

「密、密、密」

私はつぶやき、だれにも見られないように足を運んだ。そのつもりだった。きんたまであるとか、立花孝志であるとか、あらゆる秘術を駆使したつもりである。ねこが、その道中を見守ってくれていた。さすが、ねこちゃんである。

本心は悟られてはならない。本音論などは、少し離れたところに住むはずの、元フジテレビキャスターに任せておけばいい。

私の秘術はあともう少しで、うまくいくところだった。それが見つかってしまったのである。私の得た情報によるところ、中京のお百度勢は、残り25回に向かっているはずであった。インターネットはわるい文明といわざるを得ない。

よって私は願を成就するために、再び初めから、恥を晒しつつ、生き延びなくてはならない。

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不惜身命。はる君、私たち役に立たない老兵が、君の未来を願っている。願うのと託すのとは違う。私たちの流派はむやみに託したりしない。むしろ災厄を引き受けるほうに優れている。だからたとえば、今日これからUSとGBとの夜間会議が待っている(NYCが心配だ)。

私は会議中に腕組みをし、目を閉じ、考えているふりをしつつ、願い、確かめて頷くだろう(…はる…晴れは、雲居を払うの意だ…OK…) ケホケホ。これは咳払い。#不幸にもまたそういうことを書いてしまう。

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それら何やかやの、合間を縫うようにして、ここしかないタイミングで街を歩くことができた。

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いい、散策だった。どうやら、私は自分が思う以上に、船橋の街を好み、街のほうでも、私を憎からず思ってくれているらしい。

大切なことなので書く繰り返し 575

にゃーん😺😺😺