喉元過ぎれば熱さを忘れる。熱しやすく冷めやすい。さっと潮が引くように。
いろんないいかたがあるけれど、緊急事態宣言発令翌朝のJR船橋駅と西船橋駅からは、それらの《予兆》が感じられた。
静かだ。人通りが少ない。だが、と思った。どこかで見た覚えがある。盆と正月だ。
傾いていて申し訳ない。勤め人の首がみな似た角度で傾き、マスクをして、スマホか、新聞か、つま先の先を見て首をすくめている。その角度に、カメラ(スマホ)も、なびいてしまったようだった。
この風景も、盆暮れ正月くらいの期間は持続しようが、其れが過ぎれば元の木阿弥だろう。経済が続いていれば。続いていなければ、より乾いた空虚が写真に収まることになる。その先に、5月1日、メーデーが待っている。皮肉か好機か。
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今日、新しく感じたことはほとんど1点だけ。
「必要」だが「不急」は《控えろ》と助さん角さんが、安倍晋三を印籠にして、な。(´;ω;`) メーデー蜂起あり得るなあ。 - cj3029412 のブックマーク / はてなブックマーク
メーデー蜂起は別にしても、この「控える」の用法が私にはわからなくて(具体的に何をどうしろというのか)、
同地裁は、「(破産など)申立ての受理は行うが、緊急度が高くなければ、開始決定は緊急事態宣言の解除まで処理を停止する」と説明
ただでさえ時間がかかるといわれる開始決定プロセスが、ここに「緊急度が高くなければ」を挟み込むのは、却って平常運転をアッピールする狙いかとか、やっぱり「要請」なのかとか。
日本的なものが、毎日、何かしら、新しい意匠を凝らした着物から、二人羽織の手を伸ばすようにして、私たちに牙を向けている。
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悲しかったのは、やはりこの災禍の日々に、関根潤三さんが亡くなったこと。関根さんのことは、日を稿を改めて、記したい。
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明日も出社する。復活の日は、掛け値なしで、遠のいたように見えた。
コロナウィルス禍が過ぎ去っても、いま爪や牙を向けているのが、日本という型の典型的な変形なのだということを「災禍の記憶」として、私たちの内に、DNAに、刻んでおけるかどうか。
— nekohanahime (@nekohanahime) 2020年4月9日