illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「愛(いと)し」の語源について

「愛」の由来や語源はほとんど知らなくていいと思います。ただ、それが古い形容詞の形をとった「愛(いと)し」の語源は知っておくと、文章を読んだときの味わいが増すこと請け合いです。

kikumonagon.hatenablog.com

いいものを読みました。

季雲納言 (id:kikumonagon) さんのお書きになるものは、いつもどれもほんとうにいいなあと思うのだけれど、今回のエントリーは、とりわけ、そのほどよい熱量がよかった。彼女にはめずらしい、投げ出すような書き出し。涙と髪の描写(ここはほんとうにお見事)。「しまったんだろう」「すればよかった」。後悔は、日本の伝統的な文学のエッセンスのひとつです。

そして感心すると同時に、何度も読み返して、というのは(いい意味での)噛み溜まりが残って、腑に落ちたときの手応えが胸に迫ってきたのが、次の一節。

あの人は私がやけに黙りこくっている理由が三送会であることを知ってるくせに何も言ってこないし。あれこれ言っても仕方ないと思っているのか自分が正しいと信じて疑わないのか。 

 で、

私は何がしたいんだ。

こう受けて、

これからも優しい母を全ての基準として生きていくんではないだろうか。
また自分の大事なものを捨ててしまう気がしてならない。

こうくる。

*

この部分には、それまでの丁寧な筆の運びとは明らかに異質なものが感じられます。そして僕は、こういう前提抜きの、飛躍込みの思いの丈というのがやっぱり、エッセイや私小説の本来の味ではなかろうかと思う。ごつごつしたものが残ると批評家がよく口にするときのあれですこれは(意味不明の供述)。

優しいお母様だから好き、好ましいとは限らないし、もちろん好きは大前提なんだけれど、それゆえの予感というものがあり、屈してしまうことへの怯えが、いまその瞬間にしか書けないことばで紡ぎ出されている。

*
冒頭の話に戻して、平たくいえば、厭し(いとし)→愛ほし(いとほし)→愛し(いとし)→いとしい、と連続する形容詞のグループです。いやだ、見ていられない→見ていると困る、かわいそうだ→(だから手で包んで覆い隠すなり、抱きしめてしまえというくらいに)好きだ、とうふうに意味が転じてきます。

季雲納言さんも、お母様も、特にお母様は、

今までいい子ちゃんだったからかもしれない。反抗期のなかった私が受験でイライラするとあの人は理解できないという顔をすることもあったし、物に当たったり怒った顔で話を聞いていると「…なに?」とすぐに怖がる。

見ていて困ってしまうんですね。季雲納言さんに対して、かわいそう、切ない、までもうあと一歩なのだけれど、その前で立ち止まっていらっしゃるように見える。

*

今回の季雲納言さんのエッセイ、表白は、「愛し」と思われた側の内面を照らし出しているところに、まるでロシアのマトリョーシカのような構造を予感させるところが、ご本人はそのような狙いはなかったことと思いますが、僕は好きです。

*

  • お母様(立ちすくむ)→季雲納言さん(捨ててしまう予感)→季雲納言さんの好きな人、もの

*
この連鎖を変える、覆すにはどうしたらいいでしょうか。

それはやっぱり、三年生を送る会に、行くべきだったかもしれません。だって、別の記事を読んでも、季雲納言さんが思う以上に、後輩のみなさんは季雲納言さんのことが好きだから。みなさん、立ちすくんだり、捨ててしまう予感に怯えたりする暇なんて、きっとないでしょう?

*

  • 季雲納言さん(明るい愛情を注ぐ)→後輩たち(がんばろうって思う)→次の代へ

*

愛情というのは難しくて、とくに親子関係の場合には、「愛着」というように、離れがたいことがいろんな感情や欲求、欲望に優先してしまうことがしばしばあります。親が優しいと、余計にそこから離れることが難しい。

*

引用します。

(中略)堀内は、自分の結婚はまわりの全員に祝福されると信じていた。しかしそうはならなかった。よりによって、もっとも祝福してもらわなければ困ると思っていた母親が反対したのである。彼女はなぜか自分の婚約者が気に入らなかったのだ。堀内はどうしても結婚したかったので何度も母親を説得したが、結局駄目だった。彼女は一度いいだしたら絶対に自分の意見を変えなかった。堀内はいろいろ悩んだ末に結婚をあきらめ、46(引用者注:昭和46年。原文は漢数字)年のオフに札幌へ行って、婚約者と彼女の母親に手をついて謝った。母親の性格を知っていたので、その反対を押し切って結婚しても、うまくいくはずがないと思ったのだった。この事件で、堀内の心は深く傷ついた。

海老沢泰久「ただ栄光のために」P.217

ただ栄光のために―堀内恒夫物語 (新潮文庫)

ただ栄光のために―堀内恒夫物語 (新潮文庫)

 

堀内というのは、昔のジャイアンツのエース、堀内恒夫さんです。彼は、プロ入りする前も、してからしばらく後も、いわゆるマザコンなんですね。季雲納言さんがそうだとはいっていないつもりです。そういう話をしたいのでは、断じてない。

*

僕は今回、季雲納言さんさんのエントリーを読んで、真っ先に思い出したのが、このシーンでした。それだけの、瑞々しさ、息遣いが、季雲納言さんのエントリーにはあった。海老沢泰久は丁寧に記すけれども、季雲納言さんはどちらかといえば、断章、飛躍で押していく。

それはあたかも、清少納言の得意技のように、僕の目には映りました。彼女、清少納言もまた、幼いころから私生活ではいろいろとあり、それを感じるだけの十分な感受性と文才を備えて、そうして記されたエッセイは、千年の時を越えて、私たち読む人の心を打ちます。

季雲納言さんには、また、たまにこの手のものも、書いてほしいと願っています。

とある追悼 西部邁

猫飛ニャン助氏。

中の人はその筋には知られた批評家と思われます。

氏の品のよさを感じずにはいられない。

まさか、猫飛氏からこの状況このタイミングで「銀座百景」のような叙情が出てくるとは思いも寄りませんでした。私なら葬儀委員長には猫飛氏を強く推すだろう。

日本の未来は (Wow Wow Wow Wow)

昨今、「ストーリー」「文章」の現状や未来を憂う/心配する記事を続けざまに見かける機会がありました。

anond.hatelabo.jp

note.mu

大丈夫です。なくなりません。なくなる/消えていくとしたら、うまく書けない書き手です。気にすべきは、ストーリーや文章ではなく、自分の技法の足りなさ、開拓の余地です。そのように、まだそこに余地があるとすれば、それは現状から未来に向けての可能性です。

気持ちはわからないではありません。ウェブに誰もが日記やストーリーや文章を載せられる時代になりました。全体量、それも玉石混交の「石」がこれだけ量産されると、「玉」の比率が下がっていく。同時に、これまでの常識的な感覚では評価されるとは到底思えなかった「石」に毛が生えたようなのでお金になっている、ように見える。

大丈夫です。なっていません。石は石のままです。お金にならずにじっとしている石がほとんどです。

反対のこともいえます。じっとしている「玉」もまた、思いの外に多い。おふたりだけ引きます。例えば、ご存じ黄金頭さん。

goldhead.hatenablog.com

文章から対価を得る(その現世的対価対才能の比重において)という意味では圧倒的に不遇の方です。けれど、私は知っています。いまがまだつらいだけで、黄金頭さんにはきっと光が当たるときが来る。近現代の文人にも、例えば森敦のように60歳を過ぎてから(もちろんご存じのように彼は20代で一瞬「ちらりん」と才能を光らせて隠遁するわけですが)芥川賞を得た方がいます。

もうひとりは、たんぽぽさんです。次の2つのブログを見(比べ)て(みて)ください。

tanpopotanpopo.hatenablog.com

hanacake.hatenablog.com

明と暗、光と影、躁と鬱が、見事なコントラストを描いている。エッセイだけでなく歌(短歌)もなさる(むしろ順序としては逆かな?)。その短歌がまた実にいい。ひとことふたこと、別チャネルでお話ししましたが、とてもお優しい方です。私は短歌というチャネルを通じてたんぽぽさんの優しさに触れることができた。私に若干の短歌の素養がなかったとしたら、テキストを通じたお声を聞く機会もなかったでしょう。

このことは、黄金頭さんについてもいえます。田村隆一を、石牟礼道子を読んでおいてほんとうによかった。

ついでにいえば、「ストーリー」も「文章」も、畢竟は型です。いまこうして書いているひとつひとつの文も、型です。オリジナルの文などというものは(ということは発想/思考様式も)ほぼ、ありません。このように書くと、それこそ型が飽和して未来がないようにお感じになるかもしれません。

そうではないのです。同じ芝浜でも、三木助志ん生志ん朝とでは味に違いがある。同じ恋の歌でも、俵万智和泉式部とでは違う。優劣ではなく、よいほうの味の違いです。そこから、学び取ることはいくらだってある。

太古から、そんなに、人のやること考えることは、変わらない。呉智英がたまにbotでつぶやいています。

だったら書かないか、書かなくていいかというと、やっぱり書いてしまう。話して、笑ってしまうわけです。笑いであれ、悲しみであれ、同じことです。

口直しに和泉式部の歌など

口直しをします。

眺むらん空をだに見ず七夕にあまるばかりの我が身と思へば

当世風にいえば「エモい」なのですが―エモ・ボール―だって今日びは通じないのでしょう? もう私とっくに諦めました。何を諦めたかって、和泉式部のこの歌は、いまの人たちが使う意味のエモいにぴったりだと思うのだけれど、この歌をひとめ見て「あ゛ー」と思ってくれる人は、まずいない。

*

仕方がないのでお手紙書いたさっきのお歌の和訳はなあに。

*

だめです。和訳の前に品詞分解です(ちなみに、こういう品のいい、技巧と情感の相寄り添った歌を、二次試験に出すべきなんだ)。

*

  • 眺む:マ行下二段活用動詞眺む終止形(らむ/らんの上は終止形です)
  • らん:現在推量助動詞らむ終止形(らむ→古い形。らん→少し時代の下った形)自分のいる場所とは離れているところで今起きている事象を「きっとこうでしょう(ね。ぷんすか)」と想像するときに使います。遠距離恋愛の男が女を、女が男を。あーめんどくさいw アルフィー星空のディスタンス」ってありますね? あれですあれ。この助動詞めっちゃ重要なので力入れて書いた。で、えっとね、あーもう! 七夕の距離感の伏線なのよ(←野暮だw)。
  • 空:名詞。七夕の縁語
  • を:格助詞。目的格
  • だに:副助詞。現代語の「すら」に近いニュアンス
  • 見:マ行上一段活用動詞見未然形
  • ず:打消の助動詞ず終止形
  • 七夕:名詞。空の縁語。ここでは詠み手が女性ですから織姫。そう書かないところが技(これが野暮)
  • に:格助詞。時間や場所を表す
  • あまる:ラ行四段活用動詞あまる終止形(ばかりの上は連体形か終止形か学説が定まっていない)
  • ばかり:副助詞
  • の:格助詞
  • 我:名詞
  • が:格助詞。現代語では「の」に近い
  • 身:名詞
  • と:格助詞
  • 思へ:ハ行四段活用動詞思ふ已然形。「(なになにすれ)ば」の上は已然形
  • ば:接続助詞。確定条件。「なになになので」。現代語のifからは遠い意味です

*

(貴方はいま空をご覧になっていますか)(私は貴方を思いながら見ているのですけれど)空などちらとでも見るわけがありません。織姫が彦星を思う以上(比べものにならないくらい)の我が身ですから(見たら燃えてしまいます)。

*

平安宮廷には腐女子がいるわけですよね。赤染衛門とか。清少納言とか。紫式部とか。私この歌前々からいいと思っていて。彼女たちが「キャー」「切なくてマヂもう無理…」「(紫式部)あの人ちょっと男関係に問題が多いから(小声)」とかTweetする姿が目に浮かぶ。普通は浮かびません。

*

まあ、和泉式部といえばこれ、

dk4130523.hatenablog.com

「とどめおきて」なんですけどね。ほんとに、技巧という点では完璧です。

*

で、めんどくさいのでw 結論だけ放り投げます。「眺むらん」も「とどめおきて」も、現在推量の助動詞「らむ」が鍵を握っている。いまここにはいない、離れた愛しい人を歌う。

和泉式部こそ、遠距離恋愛の歌の名手である。あーもう! 野暮は嫌なんだ!w

*

id:kikumonagon さん、助けてください…w)

歌物語のすすめ

*

テレビなくピアノもバーもステレオも

あるのはぐるぐるお巡りばかり

*

昔、ひとりの若者がいました。

若者は都から遠く離れた町に生まれ育ち、いつか自分は都に出て大物になるのだという野望のようなものを抱いていました。若者の前には杜子春のときのような仙人は現れてくれません。そこで若者は少しだけ自信のあった歌声を武器に、都にやってきました。

若者は歌手になろうと思ったのです。

初めはなかなか売れませんでした。しかしあるとき、そのころ流行っていたフォークソングという分野に手を出したところ、そこそこの売上を得ることができました。味をしめた若者―といってもすでに30歳に近くなっていましたが―は、ある額にほくろを養った大物歌手の後援を得て、コミカルな歌を世に問います。

*

こんな村嫌だよ俺は東京に

いつか出て行き牛を飼うのさ

*

これで追い風を得た若者は、その後、いかにも大物風の歌をうたい、願ったとおりのお金持ち、大物になりました。時は流れ、いつしか歳は還暦を越えていました。一見、うらやましい暮らしぶりです。

しかし、視聴者は知っています。いえ、少なくとも私はという意味です。

男の笑顔には、どこか影があるのでした。「雪國」「酒よ」といった抽象度の高いタイトル曲をしみじみと歌っているふうの目の奥に、何かしら実はこの人は心からしみじみとしていない、悔いを残しているのではないかという一抹の寂しさが見えてくることがあるように思いませんか。

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私は、デビュー当時の吉さんのままでいてほしかったと思うほうです。

*

恋しくて追いかけたくなる寒い夜は

都にあれ国の雪思う

*

くーちゃん (´;ω;`)

今週のお題「受験」

91年2月に、上智の外国語学部ドイツ語学科と東大の文3を受けました。

上智は、場馴れです。というと本命、本命合格者の方には申し訳ないようですが。

僕は(棄教しましたが)プロテスタントの信仰を授かり、だから、キリスト教方面の知識は自然に身についていました。上智キリスト教史の出題比率が比較的高い。特別な対策をしなくて済みます(実際、英語も世界史も楽でした)。それと、他に早慶の文など場馴れの候補はありましたが、なんとなく、受かって、東大に落ちた場合に進んでもいいかなと思ったのは上智です。由緒ある新聞学科に移ってもいいかなくらいに思っていました。

加えて、極めて邪な理由で、女子学生の比率が高い(高そうな)ところもポイントでした。高校が男子校だったからです。入学初日から、毎日しにたいと思っていました。共学の中学時代まではそれはもう楽しかった。その思い出がなければ僕はもっと早くにテロリストになっていたに違いない。

*

東大に受かってよかったと心底思ったのは合格発表後の手続きのときです。

本郷の、掲示板に自分の受験番号の掲載されていることを確認する。万歳をする。体育会系のサークルの先輩方が胴上げをしてくれる。勧誘される。断る。実家に電話をかけて「受かったよ」と伝える。実は合格電報がそれよりも早く実家には届いていて、

「連絡が来るのはまだかと思って待っていた。ほんとうによかったね」

なんて、婆さんが電話口で話してくれる。当時、婆さんはアルツハイマーにかかっていましたが、僕と僕の状況のことは、かろうじて覚えてくれていたのかな、僕に出来た唯一の婆さん孝行だったと思っています。

*

その電話の後、合格者に向けた諸々の手続きに進む。法文なんちゃら館、かな。合格掲示板と手続きの場所には30から50mの距離があって、そこには何があると思います、奥さん?

女子大生が左右両方からサークルの勧誘に待ち構えています。そこで、わしゃわしゃと、強引に、電話番号住所を書けと迫ってくる。

頭が良くてモテるってないの?

「坊や、基本的にそれは幻想だ」「基本的に?」「東大の合格掲示板から諸手続きまでの50m。女子大生に四肢をもみくちゃにされる。それで一生分おしまいさ」「気持ちよかったですか?」「ああ。最高だった」

2017/10/23 10:42

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ですから、4月5月は渋谷に出ていけば夕飯にお金を使ったことはありません。少なくともGW前までは、受け身でスケジュールを埋めるのに一杯いっぱいだった。酒池肉林の前半部分も、後半部分も、そうです。体脂肪率が低く、筋肉質でした。それに、しばしばブコメしますが「でかかった」。カチカチ山のたぬきさん、おっぱいもんで、ねんねして、だっこして、おんぶして、また明日。

俺いま何か神が降りてきた気がする。

*

そのまま、いまでいうウェイウェイ方面に行ければよかったのかも知れません。

しかし、そんな毎日が楽しいわけがない。半月もすれば厭きます。

dk4130523.hatenablog.com

こうなって、

dk4130523.hatenablog.com

こうなります。

*

91年92年に(それまでも並外れて読んでいたとは思いますが)、僕は猛烈に本を読み始めました。

世界に、爪痕を、何としても残したかった。駒場寮(いまはなき)では、堀江君という風体のあがらない地味な男の子がフランス語の辞書をめくっていました。携帯電話の代理店契約ビジネスや、光通信や、3DOの前夜だったころの話です。

センター試験は756点か758点、二次では英語がはちゃめちゃに出来ました。

それでも、いま(2018年)に至る道は、そうそう変わらないものだったと思います。離婚して、うつ病を発症して、痛風にやられ、くーちゃんを愛するしか出来ない人生です。受験のときは、まさか具体的にこうなるとは思っていませんでした。

けれど、予感のようなものは、あった気がします。

何のお役に立てずに済みません。

勝手訳 「夜泣き婆」

こわーw

kihiminhamame.hatenablog.com

[原文]

遠州見附の宿、夜泣き婆。
その家に憂いあらんとする時、この化け物、門口に来たり、泣きけるとなり。
人、また、その声を聞いて思わず涙をこぼしけるとぞ。
かかる事、二・三度に及びて、その家に必ず憂い事有りしとなり。

[品詞分解]

  • 遠州見附(名詞。地名「怨讐見付け」のもじりか。怖い…w)
  • の(格助詞)
  • 宿(宿)
  • 夜泣き婆(名詞)
  • その(連体詞)
  • 家(名詞)
  • に(格助詞)
  • 憂い(名詞)
  • あら(ラ行変格活用動詞あり未然形)
  • ん(未来の助動詞む終止形)
  • と(接続助詞)
  • する(サ行変格活用動詞す連体形)
  • 時(名詞)
  • この(格助詞)
  • 化物(名詞)
  • 門口(名詞)
  • に(格助詞)
  • 来(カ行変格活用動詞来連用形)
  • たり(完了の助動詞たり終止形)
  • 泣き(カ行四段活用動詞(´;ω;`)連用形)
  • ける(伝聞過去の助動詞けり連体形)
  • と(格助詞。引用)
  • なり(伝聞の助動詞なり終止形)
  • 人(名詞)
  • また(副詞)
  • その(連体詞)
  • 声(名詞)
  • を(格助詞)
  • 聞い(カ行四段活用動詞聞く連用形)
  • て(接続助詞順接)
  • 思わず(副詞)(ハ行四段活用動詞思ふ未然形音便)+(打消の助動詞)
  • 涙(名詞)
  • を(格助詞)
  • こぼし(サ行四段活用動詞こぼす連用形)
  • ける(伝聞過去の助動詞けり終止形)
  • と(格助詞。引用)
  • ぞ(係助詞。強意。係り結びを作る)
  • かかる(連体詞)
  • 事(名詞)
  • 二三度(名詞)
  • に(格助詞)
  • 及び(バ行四段活用動詞及ぶ連用形)
  • て(接続助詞)
  • その(連体詞)
  • 家(名詞)
  • に(格助詞)
  • 必ず(副詞)
  • 憂い事(名詞)
  • 有り(ラ行変格活用動詞あり連用形)
  • し(過去助動詞「き」連体形。強意)
  • と(格助詞。引用)
  • なり(伝聞推量の助動詞なり終止形)

品詞分解を行ったことで訳の見通しがよくなり、よりいっそう怖くなりましたね。なっていない? なら仕方ない。訳しますw

[和訳]

怨讐見付けの夜泣き婆の話[遠州昔話]

ある家に不幸がまさにこれから起きようとするとき、この化物が家の前にやってきて泣くのだそうです。その泣き声(の悲しさ)は、家人が聞くと思わず涙をこぼしてしまうほどだとか。

そして、そのようなことが二度三度に及んだ家には、実際に何らかの不幸が必ず起きたらしいのです。

*

北見花芽 (id:KihiminHamame) さん、ごめんなさいっ! ここまでやることはないのだけれど、非常にその、細かい部分で特に助動詞が工夫された原文でしたので、つい解釈欲がわいてしまいましたw