illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

みそがいい味

20:00

諸々の用事を終えて帰宅。今日はよく働いた(仕事ではない)。

味噌を詰めたジャーサラダの瓶を眺めて頬がゆるむ。そう、12月下旬に仕込んだ味噌が順調も順調、水加減を少し変えた硬軟どちらのタイプもよく発酵している。


週末の味噌づくり/その1 - illegal function call in 1980s

実は柔らかいほうは捨てようかと一瞬思った。だって匂いと熟成度合いがすごいんだもん。固いほうはおとなしくしょっぱくドライに育っている感じ(なんだそりゃ)。安心してこの先も付き合っていける。ウェットなほうは、もうこれぞ麹、発酵効きすぎの見た目。そして匂い。おとといかき混ぜたときにもきついなと思って、白カビが少しいたので取り除いた。でもまあこの時点でふつう。

それが昨日今日のわずか2泊3日でいちだんと熟成が進んだ感じ。どうしてだろう。春だからかな。捨てるなんて愚を犯さなくてよかった。人差し指で少し掬ってなめるとこれぞ味噌。ドライのほうと交互に舐めると黒霧島がいくらでもいけそう。

それにしてもこの半年で俺の食生活は変わった。

味噌仕込むかねしかし。


週末の味噌づくり/その2 - illegal function call in 1980s

21:00

だいたい諦めていたんだ。前にも書いたが俺の実家は屋号が麹屋で発酵ものにはべらぼうに強い。20から21に世紀が変わる5年の間に家を守っていた祖母と母親を立て続けに虹の橋に送って、ああ俺はもう心からうまいと思えるものを食べる機会はないんだなと身に沁み、肝に銘じた。

そもそもインターネットでレシピを探して作って食べるという行為は浅ましい。そうは思わないか。正直俺は嫌いだ。ご飯やおかずというのはその家の歴史、文化、話し言葉、躾、風土、菊と刀、であるはず。失われたら腹を切るべし。

それを標準化したパラメーターのように食材をグラムと手順で切り出して写真を撮ってシェアする。ばかりか、サービスとして収益を上げる。なんだそりゃ。時代の趨勢であるか。

百姓はうまいものは市場(いちば。しじょう、ではない)には出さないものなんだ。そしてたとえうまいものでも、恥じながら、どこか後ろめたさを感じながらいただく。70年代から80年代にはそういう感性が残っていたのを、俺はこの目で、この手で、覚えている。

だから長い間俺は猫のように身をひそめてインターネットの動静を探り、慎重に慎重に、このサイトなら大丈夫だと見極めようとして、石橋を叩いては渡らず壊し、をしてきた。


今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~

ホマレ姉さんはほんとうにすごい。毎回感激する。細かいところで何かしら1つ以上学ぶところが、はっとさせられるところがある。どうしたらこんなに次から次に出てくるんだろう。かつて北村薫宮部みゆきを評して「宮部みゆきの引き出しは桐でできている」という名文句を残したがほとんどそれだ。

ちなみに吾輩は有機信者ではない。逆じゃ。近郊農業に手を出した百姓は売れるとなれば大丈夫なように加減をしてしゃーしゃーとぼちぼちと化学肥料を農薬を使うのだ。小中学生は覚えておくように。

農薬に関して、うちではそうだった。背中にドラムをしょって井戸のようにしゃこしゃことレバーを出し入れしてまだ若いトウモロコシに噴霧する。ハニーバンタム。俺もよく手伝った。地味(土の味)をよくするために怪しい白い粉をまく。ふはは。なんてことをこの前知人に話したら「いつの時代の話を」と笑われた。

閑話休題

姉さんのレシピを、何とか時間をやりくりして真似て作る。俺は蘇ったね。作って、食べる。おいしいといって食べてくれる人がいる。仕込む。時を待つ。当たり外れもある(姉さんには外れはないと思うけど)。インターネットの向うに自分の食生活を明るくしてくれる人がいる。なんてすばらしい。転向した。

そんなわけで、味噌を仕込み、かき混ぜ、猫姫様にお越しいただくところまで来た。ベランダか河原かわからないが、2016年までには俺はきっと家庭菜園に手を出すことだろう。美味は人を饒舌にする。自然薯掘りにいきたい。

22:30

(追伸)ちが。さつまいものバターきんぴら、おいしゅうございましたと、そのことだけを書くつもりだったんだ。さつまいもうまい。子どものころ天ぷらといえばジャガイモよりもサツマイモ(醤油でなくて塩か柑橘系の搾り汁で食べる)が好みでした。


バターの風味がたまらないゾ〜さつまいものキンピラ - 今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~