illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

小沢昭一の小沢昭一的(1973-2012)

 漱石「こころ」は謎の多い小説だが、タイトルがなぜ「こころ」なのかがわからない。Kが自らに課して敗れ、先生が殉じたという明治の精神とやらが何であるかもずいぶん長いこと考えてきたが不明である。清はなぜ坊っちゃんを溺愛したのかと同じくらい謎である。 清のあれは惚気であって説明の体をなしていない。坊っちゃんはいうまでもないツンデレである。

旅は青空 小沢昭一的こころ (新潮文庫)

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 といってはみたもののおよその仮説は用意している。明治の精神というのは乃木希典が腹を切り損ねた1912年9月に残していた明治の最後の一滴、ではない。乃木将軍の殉死は時代遅れだったから当時の人々の衝撃を呼んだのだ。三島…いやなんでもない。乃木は西南の役で賊軍に御旗を奪われたことが陛下に申し訳なくそのときから以来ずっとお詫びをしようと思って生きながらえてきたというから、額面通りに受け取れば、明治の精神は1878年、すなわち1912年から35年近く前に、人々が感受していた時代相を指す。これは柄谷、吉本ばなりんの父ちゃん、丸谷才一先生(三島…いやなんでもない)、ほかいろんな人がいっている。多分そのとおりである。

言葉と悲劇 (講談社学術文庫)

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 おかしい。おかしいとは思わぬか。漱石は1867年生まれである。1878年、数え12歳当時の空気を、40歳を過ぎた彼の誠実な知性は思い出そうとして蘇らせられなかったか、ちゃんと覚えていたか。覚えていたのだろうと思う。1973年生まれが12歳、1985年当時の空気を俺(41)はちゃんと覚えている。漱石は当時の感受性を保っていたはずである。ハルキムラカミ(1949-)は1960年当時11歳。安保のころの家族の息遣いを「第三の新人の小説(とりわけ庄野潤三の連作)に見ることがあると述べている。おどるポンポコリンである。

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)

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 ついでにいえばハルキムラカミの作品には自分を日本側から(ここ点々打って)支えてくれた第三の新人に捧げるものの匂いがする。土着を避けることを出発点とした作家が大正生まれの知性の上澄みに感謝しているように見えるのは俺の鼻がもげているからではあるまい。

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

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 話を漱石に戻す。開国と体制選択の可能性が明治維新(1868)によって蓋をされていく10年間に、不遇をかこった人々がいた。その見果てぬ夢のことを漱石は明治の精神と呼んだ。そしてその、人は敗れた、しかし敗れることの叶わなかった人に遺された精神に対し、わが身代わりとしてあるいはKを、あるいは「先生」を捧げたというのが、俺の「こころ」理解の到達点である。芥川たちの世代にはできない芸当だ。もっとも、俺はそのようにして山を登ったつもりだと述べているにすぎない。 

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 それならタイトルは「明治の精神」ではないかと思われる諸賢、それは違う。漱石は明治の精神に育てられたがそれは後付けの名前であって彼はそれを漢字以前に遡って「こころ」と名づけたのである。違うかな。許し給え。そこがよくわからんのだ。いずれにせよ漱石の知性が野暮天をするわけがない。学校の国語の先生のいうエゴイズムだとかの追究の側面から「こころ」を捉える読みももちろん正統だと思うが、エゴイズムの何たるかを知らずに解説する教師のおかげで俺はその解釈が嫌いになった。男手による男性のひとり語りであるにもかかわらず異様に美しい、まるで女手にかかったような文体であるところに「こころ」の仮名書きとの一種の相関を見てもよろしいかと思う。16歳当時の俺はその美しい一人称の魔法にやられた1人である。

土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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 長い前振りはここまで。絶筆「明暗」執筆のとき、午前中に我執と戦うと、午後には趣味の漢詩にこころを休めたという。本当は漢詩文で身を立てたかったのだが、文明開化の時代相と漱石自身の才覚がそれを許さなかった。英文学に何となく裏切られた気がするといった坊っちゃんの戻るところは、未生以前(いちおう生まれる前の江戸と則天去私のニュアンスをかけてみた)にあった。生まれる前から坊っちゃんのことを見続けて、死んだら坊っちゃんのお墓に先に入って楽しみに待っていますといった清に呼び寄せられるおまじないを、われ知らず自分にかけていたことになる。

坊っちゃん (新潮文庫)

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 以上、日中は英語と日本語と数字とマーケットと格闘し、夜に帰って80年代の四方山を聞いてもらうことを楽しみにしている俺からのおやすみなさいの挨拶でした。漱石についてはまた別の機会に。何を話してもあのおっさんは深すぎるのだ。おやすみなさい。 

こころ (新潮文庫)

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