今週のお題「プレゼントしたい本」
書き上げてみたらなんだか愛着がわいてしまい、お題にのることにした。
川崎貴子さんの著作でおすすめがあったらだれか俺にプレゼントしてくれないかな。
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さて。
のっけから申し訳ないけれど、ひどい。この人の責任じゃない。近頃は多くがこんななんだ。本多勝一なんて、持ち上げられすぎだよ。
面と向かって1点、文句いうぞ。この記事の著者には、「文章力を向上させたい」まずこのフレーズから、違和感を感じてほしい。「文章力」「向上」「初心者」なんて中身のない、それでいて手垢のついた熟語で押してくるようでは、拙い。センスがよくない。
かくいう俺は、最低限「言葉遣い」「息遣い」「用字用語」「文法」「日本語の由来」「修辞技法」といったふうに要素を見ることが必要だと思う派閥に属している。次に、それらを先達は、どうわがものにしてきたのかを例証する手続きがあるとなおいい。
上の記事の中では、かろうじて本多勝一の紹介でその手前まで来かかっているけど、足りない。足りないというのは、この記事の著者自身が、これは見事だなあと思った一節が果たしていったいどこなのかが例証されていないから。「助けてくれる」「理解しやすい」「お目にかからない」「林修が勧めていた」。ああそうですか。齋藤孝だって大概にしやがれと思っているのに、林修で最近は十分なのか。
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いずれ整理しなければとは思っていた。始める。ほんと、さわり中のさわりよ。
言葉遣い
暇なときになじんでおくのがいい。というか、めくるのが楽しい。ならば、肌になじませて、自然に覚えてしまうのがいい。ちなみにいえば、学校国語は便覧だけ徹底的に仕込めばいいんだよ。(なぜこんなに楽しくてためになる読み物が、副教材扱いという不十分な地位にあるのだろう?)
ある程度の下地を得たら、いきなり福田恒存でいい。強面の右翼(純正)ですけれどおもしろい。文体の品格と柔らかさ、緩急の出し入れがちょっと異次元。剣豪である。ではあるのだが、「私の国語教室」はポレミークでうまみに欠けるところがある。そこで次の1冊。
国語論には関係がなくて手を伸ばしにくい。のだが、こちらのほうが、丁寧に、女性を口説くようにして(女性週刊誌の連載だからかな)ことばが重ねられている。好ましい。きれいな福田恒存。
さまざまな文章読本の中ではこの1冊だと思う。
実践寄りのところでは、丸谷才一もその散文体の正統性を高く評価している海老沢泰久がいいだろう。まず、本書は料理を題材にとった文明開化史というスケールが、海老沢の翻訳調の文体とみごとに調和している。
次に、こちら。
とりわけ巻末の、丸谷による海老沢解説は、価値が高い。現代の日本語散文体にとって正統とは、美とは何か、そしてそれらがめったに形を成さないのかが、簡潔にまとめられている。
実は先に挙げた辻静雄の評伝「美味礼讃」を海老沢に勧めたのが丸谷その人。本書「ただ栄光のために」を手にすると、ずいぶん以前から丸谷は引き合わせる機会を狙ってうずうずしていたのだという感じが伝わってくる。
息遣い
丸谷/海老沢のラインは少々固いところがある。やわらかい手練れも読んでおきたい。いろいろあるが、2冊、選りすぐってみた。
岡本綺堂はもっと評価されてほしい。もう、とにかくうまい。ため息がもれる。
街角の/煙草屋までの(5/7)と、いい感じの五七調で進んできて「旅」でズコっとなっていただけたらと思う。吉行エッセイの中でもとりわけ濃い1冊。
用字用語
単に俺の好み。何だっていいんじゃない。どのみちメディアの言葉遣いなんて色がついてるし。時事通信のこれは多少は薄いかなという話。
文法
言わずとしれた新明解の第4版。これと国語便覧があればこと足りる。
日本語の由来
中世古文からやるとやらないのとでは厚みと伸びがえらく違ってくる。
ここから入って、大野晋先生の著作を少しずつ固めのほうに読み進めていけばいいでしょう。

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この機会に、百人一首も覚えてほしいほととぎす。
修辞技法
あんまりない。うーん。どうかな。でも入り口は佐藤先生のこれかな。
いまや現代クラシックスみたいな位置付けか。即実践というわけではない。俯瞰と概念整理には有用。かつ、そこそこおもしろい。
実践編への足掛かり
- 音読
- 品詞分解
- 句読点
- 省略
これに尽きる。音読は、息継ぎ。品詞分解は、アトミックなレベルから日本語を鍛えなおすかなり有効な方法論。句読点は、まず読点(、)をひたすら打たない/最小限にとどめる訓練。なぜ有効かは自分で考えろい。過程で、樋口一葉や、近松のほうによれていくとすれば余慶である。省略は、主語的なもの(「が」「は」)を立てないでエッセイを完結させる練習とか。
ビジネス作文
そんなの適当にやっとけ。みんながそういわないからおかしくなるんだよ。もうちょい先のところで改めて触れる。ビジネス関連で唯一あるとすれば、次の「敬語」。
敬語
および、やっぱり大野先生に戻る。
理論書
これとか、比較的入りやすい。最近手にしたもののなかでは、上の大橋先生の「現代批評理論のすべて」が、おもしろかった。柄谷は、あえて珍しいところを勧めてみた。漱石への言及があるのと、講演録というところを評価した。
先人の取り組みの例
次は、短編を一度書き写してみれば、その作家の文体がもっと身近なものになる。私はドラマから入ったから、構成をアメリカの劇作家ユージン・オニールから学び、科白は翻訳されたレジナルド・ローズ(アメリカの劇作家)から学んだ。そして文脈という劇の流れを岸田国士氏の各著作から学びとり、岸田流とオニール流の混合した中から、自分に最も近い文体を選び、そのドラマ時代を約十年間送った後に、小説に手を染め、その十年後に井原西鶴の作品を現代語訳するという段階を経て、次第に文体が定まっていったといえる。
まだ。もうちょい我慢して俺の話に付き合ってな。大切なのは、この先のところ。
岸田作品の戯曲の頁をめくらずに、次の頁の部分を想像しながら、原稿用紙に書き、三枚ぐらい書いた後で”真物”と照合した。勿論、大作家には及ばないが、この時に自分の文章の拙けなさ(原文ママ)をいやと言うほど知ると同時に、自分の文体がまたなんとなく掴めたものである。独自の方法で独学しながら文体を作り出すところに、文章を書く妙味があると知ってもらいたい。
「文体の中に自分がいる」藤本義一審査委員長(香老舗 松栄堂/「香・大賞」実行委員会『かおり風景2:1998-2006』P.11-12 淡交社)より。
ちなみに俺、海老沢泰久と山際淳司の著作をほとんどすべて暗唱してから(笑)これ、やってみたんだけど、まるでだめだね。ならない。まるで、ならない。何かネジが緩むか、吹っ飛んじゃったんだとおもう。
いつやるか
大学生のうちにやっておこう。おきなさい。やれ。つべこべいうんじゃない。
だいたい、大学生が実用文なんて志の低いものを書くんじゃない。自分の文体の足場ができれば、30歳、40歳になって花開くかもしれないから。
川崎貴子さん、うまいよねえ。花開いてる。新しい時代の向田邦子。ぼくら社のころから、ひときわ光ってた。俺にはこういうのが書けないんだ。どうやって身に着けたんだろう?
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でね、社会人になってからでは思うように時間がとれないよ。それに、部分社会の法理ではないけれど、職場には職場のカノン(正典/聖典)というのがある。いや、俺はこの表現がより正しいと習った、信じていると思っても、カノンに従うよりほかにないし、まあ苦虫をかみつぶせばいい。たとえば「各位殿」の「殿」。我慢すりゃいいさ。
逆に、それくらいまで自然に違和感を覚えるようになれば、自分の文体と、カノンがいい具合にまじりあって、実用文なんて自ずと書けるようになる。よいね。あくまでも、自分の文体が先。実用なんてものは末節です。
ある程度の大学まで出させてもらって、会社の報告メールひとつ書けないなんて話にならないよ。
補遺/韻文と散文
忘れてた。
できれば、詩歌もやっておいて。文章の流れ、コク、深み、軽み、まるで違うから。そうねえ、次なんてどうよ。

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ああ、平出隆をどこかに入れればよかったね。ここまで来ちゃうともう入らないや。あひゃー。
追伸/学術論文
指導教官に倣って/習って。でも、上に挙げた方法論が損になることは決してないよ。
アカデミズム(人文社会系)で文章が上手だなあと思うのは、俺のかつての専門に引き付けていえば次のおふたり。宮崎先生は、あえて色物を勧めようっと。
(「下」はきょう現在なぜかAmazonで取り扱いがないみたい。 なぜだ。)