文春文庫に「'xx年度版ベスト・エッセイ集」というシリーズがある。
90年代前半まではまずまず読める。それ以降は、うーむ、といったところ。爺さんおっさんが好んでエッセイに書く3大話というのがあって、それは初恋の人、母親、葬式である。この一事をもっても、男というのは実に救いのない生きものであることがおわかりいただけるかと思う。しかしそれも80年代までは芸としてきっちり昇華してくれる人たちがいた。たとえば次の名人。
うらうらと爛春を感じる日々が流れる。
またもめぐりくる春を生きのびて、己の倖せを祈るより、歯の抜けるように物故してゆくあたりを見て、相済まぬと思う気持の方が心をよぎる。
向田邦子の碑が立った。
森繁久彌「時は巡り/友は去り」文春文庫『'85年版ベスト・エッセイ集/人の匂い』所収P.16
諸君、森繁の爺さんは85年(いまから29年前)からずっと「時は巡り/友は去り」といい続けてきたのである。森繁でGoogle検索するとこわもてのライオンズのリリーフエースが先頭に出るあたりが統計的手法の限界である。俺は許さぬ。あほか。古今東西、森繁といったら森繁に決まっておる。
その爺さんは名うてのプレイボーイであった。黒柳徹子のことを50年以上「1回どう?」と口説き続けたことは知られている。だがこれに対するトットちゃんの返しは森繁爺さんの好色ぶりほどには知られていまい。徹子嬢いわく、
いつまでも言ってくださいね。
であったそうな。
お見事。名人には名人にしかわからない世界がある。君ら1回くらいやってるだろ。
閑話休題。
その爺さんが案の定、向田邦子姉さんを口説いている。そのことを久しぶりに発見/確認し、そのお点前に頭が下がった。
時々、冗談めかして「長いつき合いですね。一度どこかの温泉へでも二人だけで行きましょうか」などとからかったことがあるが、「もう一寸待ってネ、今忙しいから」とかわされた。ほんとうに文筆以外に彼女の心をとらえている偉丈夫がいなかったのか、あったとすれば嬉しいことだが、遂にそれも分からずじまいだ。でも、そんな人のいたことを正直願う気持は今日も去らない。
同P.16-17
これだ。これこれ(あの例のダメ的な抑揚で)。
森繁さんというのはほんとうに文章が洒脱で、洒脱なお人柄がそのまま文章に顔を出している。柳腰のような、たおやかな男手。文壇裏紅白でいえば15年でも30年でも50年でも連続で気の向くままに出てくださいという彼こそ大御所である。
しかしその森繁爺さんを措いて『ベスト・エッセイ集』最高傑作はほかにある。それは98年のベスト・エッセイ集に収められた「最高の贈り物」である。
紹介しない。読んでくれ。ゴーストライターではないと思う。比喩的にいえば次のリンクのような感じである。それだけじゃない。あっと驚く。
【画像】16歳現役jkが描いた油絵「主婦歴58年の勲章」が素晴らしい : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
エッセイというのはその当時、人柄の匂いを後世に伝えてくれる。それは小説にもノンフィクション(ルポルタージュ)にも学術論文にもできない仕事だと思う。